ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

カモメにボールが当たったら(後編)

さて、どうも文章読解能力が低いのか未だハッキリしないのですけど、フィールドにカモメが入ってボールに(が)当たったら主審はどうすべきかについて書きますね。
 
実は今までのやり方通り新旧の関連規則を並べて書こうとしたのですけど、ますます混乱しそうなので以下のように一覧にしてみました。

 

旧競技規則

●フィールドに「存在してはならないもの」は二つ

1)部外者

2)試合球以外のボール、その他の物、動物

●部外者 = 外的要因、チーム役員、フィールド外の競技者、交代要員、交代して退いた競技者

●外的要因=チームリストに記載されていない者(「退場を命じられた競技者」も同様の扱い)

●主審が試合を停止した場合の処置と再開方法:

 外的要因 : フィールドやその周辺から離れさせる。

        試合が停止されたときにボールがあった位置からドロップボール。

 チーム役員: フィールドから離れさせる。行動が無責任ならフィールドやその周辺

        から離れさせる。

        試合が停止されたときにボールがあった位置からドロップボール。

 フィールド外の競技者 :警告する。必要があればフィールドから離れさせる。

        その他の違反がなければ、プレーが停止したときにボールがあった

        位置から相手チームの間接フリーキック。第12条違反なら12条に

        従って再開。

 交代要員、交代して退いた競技者:

        反スポーツ的行為で警告。フィールドから離れさせる。プレーが停止

        したときにボールがあった位置から相手チームの間接フリーキック

 試合球以外のボール、その他の物、動物:(できるだけ早い機会に)排除する。

        試合が停止されたときにボールがあった位置からドロップボール。

●得点があったときにフィールド上に部外者がいた場合

 認めない: 部外者=外的要因=プレーに干渉。部外者=得点したチームの競技者、

       交代要員、交代して退いた競技者、チーム役員

 認める : 部外者=外的要因=プレーに干渉していなかった。部外者=得点された

       チームの競技者、交代要員、交代して退いた競技者、チーム役員

 

新競技規則

●フィールドに「存在してはならないもの」は二つ

1)部外者

2)試合球以外のボール、その他の物、動物

●部外者 = 外的要因、チーム役員、フィールド外の競技者、交代要員、交代して退いた競技者、退場を命じられた競技者

●外的要因=チームリストに記載されていない者

●主審が試合を停止した場合の処置と再開方法:

 外的要因 : フィールドから退出させる。

        試合が停止されたときにボールがあった位置からドロップボール。

 チーム役員、交代要員、交代して退いた競技者、退場を命じられた競技者: 

        フィールドから退出させる。適切な懲戒処置をとる。

        直接フリーキックまたはペナルティキック

 フィールド外の競技者 :警告する。フィールドから離れさせる。

        プレーが停止したときにボールがあった位置から相手チームの

        間接フリーキック。第12条違反なら12条に従って再開。

 

 試合球以外のボール、その他の物、動物:(できるだけ早い機会に)排除する。

        試合が停止されたときにボールがあった位置からドロップボール。

●得点があったときにフィールド上に部外者がいた場合

 認めない: 部外者=得点したチームの競技者、交代要員、交代して退いた競技者、

       退場を命じられた競技者、チーム役員。部外者=外的要因=

       プレーを妨害「フィールド上の部外者」で示すような得点の結果に

       ならなかった。

 認める : 部外者=得点されたチームの競技者、交代要員、交代して退いた

       競技者、退場を命じられた競技者、チーム役員。部外者=外的要因=

       プレーを妨害していなかった。

ボールがゴールに入りそうでボールがゴールに入った場合

 認める : 妨害=守備側競技者がプレーするのを妨げていない(ボールとの

       接触があっても)。入ったゴール=相手競技者のゴールでない。

 

 どうでしょうか?新旧の異なる点がお分かりいただけと思います・・・なんて偉そうに書いてますけど私もこうやって今回該当規則を一覧にしてみるまでカモメを「外的要因」と理解していましたけど間違ってますね。新規則の記述に従うならカモメは「外部からの妨害」となります。確かにこちらの言葉の方がしっくりきます。

 

で、ポイントとなる言葉は「干渉VS妨害」です。上記一覧に目を通していただくとなぜ干渉ではなく妨害という言葉でなければならないのかお分かりいただけるかと思います。

 

いきなり話がオフサイドに飛ぶと、ここでも大きなポイントは干渉という言葉がなくなり「妨害」という言葉が使用されていることです。干渉というスポーツにおいて具体的状況がイメージしにくい言葉でなく妨害という表現になっていることはまさに改正だと思います(ただしinterferingという元々の英語の言葉は変わっていない。つまりより良い訳になったということかと)。

 

で、今回の新競技規則で付加されたのが「ボールがゴールに入りそうでボールがゴールに入った場合」についての条文です。つまり「外部の要因によるボールへの接触があってもボールはもともとゴールに入りそうでそのまま入ったなら、アドバンテージが適用できる状況であれば得点を認めよう」ということです。

 

というわけでカモメにシュートしたボールが当たった場合でも(それがフィールの中であるなら)もともとボールはゴールの枠の中へ向かって進んでいて、そのままボールが入れば得点です。ただしカモメによってボールの軌道が変わって(つまりカモメに接触する前の軌道のままだとゴールには入らなかったと判断できるなら)ゴールに入っても得点は認められません。再開方法はこの場合ドロップボールですね。つまりプレーはカモメに「妨害」されたわけです。

 

で、このとき分かりずらいのは「相手競技者のゴールでなければ」という条件文です。この文章が直観的に違和感がある理由は普通得点すべきゴールとは相手競技者のゴールを指すからです。

 

この場合の「相手競技者」って誰から見た「相手」なんでしょうか?「チーム役員、交代要員、交代して退いた競技者、退場を命じられた競技者」の場合なら明確です。承認なしにもしくは禁止されているのに侵入した側が得になる結果(=相手ゴールへの得点)を認めてはフェアじゃないからです。つまり「相手」とは部外者から見た「相手」となります。

 

では外的要因から見た「相手」って?例えば4種の試合でどちらのチームの関係者でもなくまた子供を応援している保護者でもない観客が侵入した場合は、どうするのか?カモメから見た「相手」って?う~ん、日本語って難しい・・・いやいや英文も同じなんですね。そもそも外部者(物)から見た相手じゃなくて当該規則にある守備側競技者からみた相手なら辻褄はあいます。あいますけどまだ違和感は残る・・・。

 

というわけで前回書いたように「あまり深読みしないのが身のため」か・・・。う~ん皆さまのご意見アドバイスお待ちしてます(ズルイ)!

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カモメにボールが当たったら(中編)

本日は久しぶりに4種の主審を担当。

 

またまた反省てんこ盛りです。リストアップすると:

 

●ポジション(≒プレーの予測)

●ファウル基準(≒どこまで「許して」どこから「許さない」か)

●シグナル(≒判定結果を明確にしめす)

●PK戦(≒セレモニーの手順のおさらいとスマートな進行)

 

等々です。

 

特にポジションは散々で、カモメではなく私に(私が)ボールが(に)当たってしまいました(猛省)。つまり次のプレーを全く予測できてなくてボールの軌道に入ってしまっている情けない状況ですね。これから行くと上記タイトルも「ボールにカモメが当たったら」とも言い換えできます。つまり外的要因側からボールに干渉してしまうという状況です(もちろん審判員は外的要因ではありませんけど)。

 

さて気を取り直して前編の続きです。

 

でここで新旧の関連規則を並べてわかりやすく整理しようとしましたけど・・・やはり分かりづらい・・・。

 

そう例えば上記で私はさらっと「外的要因」って書いてますけど、外的要因の定義は新旧で異なっていないのかどうか・・・そもそもどんな場合では得点を認めて認めるべきではないのか・・・の表記されている文章が分かり辛い・・・って感じるのは私だけでしょうか?英文を読んでも感じる分かり辛さ・・・文章自体もそうですけど競技規則の各条文の関連性も俯瞰的に(全体と部分の結びつきや位置づけ、整合性などを)把握し辛いような・・・。

 

ただ結論を先に行っておくと新旧で条文の精神が大きく変化しているわけではなく、さらっと書けば「外的要因の影響あってもアドバンテージを適用して不公平な結果にならないように判定しましょうね~」ってことです。

 

ですので、あまり深読みしないのが身のため・・・とも言えなくもないですけど、あやふやな理解のままで放置させるわけにもいかず何とか頑張って書きます・・・書きますけど…暫しお待ちを(同時に色々と皆さまのアドバイスもお待ちしております)。

 

では、I'll be back. 

 

カモメにボールが当たったら(前編)

あれれと言ってる間に?前回の記事から一か月が過ぎようとしております。

 

その間1種の試合をいくつか担当させていただき、またまたインストラクターの方や上級の方から厳しいご指摘を頂いてしまいました。具体的な内容はあらためて書くとして、ひとことで言えば前回も書いた「走る」ということに尽きます。

 

いくら色々な言葉を並べてみてもやはりサッカー審判員は「走る」ことができなければ失格。試合の始まりから終わりまでどのように走るかは、その審判員の志の高低を表している・・・ということを諸先輩方から身をもって教えていただきました。そして我が志の低さに恥じ入るばかりのここ一か月の私であります。

 

そんな私でありながらエキサイティングな試合を担当させていただき感謝感謝でございます。

 

さて1種の試合を担当させていただく場合、試合前に必ず確認するのが「新ルール」でやるのか「旧ルール」なのかということ。というのも本当は通知によって一斉適用開始日が設定されるべきなんでしょうけど、リーグや試合によって運営本部の任意判断になっているのも現場の実情なのです。

 

なので審判団だけで勝手に判断しないで新ルールなのか旧ルールなのか(ヘンな言い方ですけど)試合毎の確認がマストとなります。

 

というわけでいよいよ改正競技規則についてです。順番に書く根気はないので、徒然なるままに・・・。で、先日の日本代表VSオーストラリア代表の試合で飛び交っていたカモメを見て考えたこと、「外的要因」についてです。

 

まあ、カモメが飛び交うローケーションでの審判担当の機会もそうそうないとは思いますけど、仮にボールがカモメに当たっても皆さんなら適切に対応できますよねぇ・・・。

 

というわけで次回、私も読んで困ったこの改正ポイントについて一緒に見ていきましょう。

 

では、I'll be back.

 

 

「経験と訓練」 君はハドソン川を目指せるか? 

先週末は試合が続き、今週は出張(しかも筆者が苦手の飛行機を使っての)の疲れもあり週末はお休みモード。

 

久しぶりに副審、副審、主審の3試合連続担当となり、いくらシニアの試合と言えど3試合目の直前には久しぶりに左の膝の外側に違和感(古傷の痛み)があり、脹脛(ふくらはぎ)が攣りそうになりました。それが証拠にこれまた久しぶりにインストラクターの方にご指導頂き、頂戴したコメントが「もうちょっと走りましょう」・・・。

 

恥ずかしながら仰せの通りです。「動き出しが遅い」とのお言葉には、自分も同感なのでなんの異論もございません。試合中に考えていたこと(=言い訳)は脹脛が気になってセーブモードになっていたことと、ボールが蹴られても意図通り前線の選手に繋がらず、またすぐに逆の方向に走る羽目になるだろう・・・との予想でこれまたセンターサークル付近で細かく動くセーブモードになっていたわけです。はい、これすべて言い訳でございます。主審としての基本が出来ていない。トホホな状態でした。

 

で、翌日はこれまた1種のリーグ戦での副審を担当。両チームグッとお若い方が揃っていたので、ちょっとスピード感が前日よりアップ。これまた色々反省点ありな試合でしたけど、オフサイドラインを形作っていた守備側選手と裏に抜けだす動きのFWの選手が競争となり横並びでトップスピードになったシーン、フラッグアップしませんでしたけどオフサイド(の反則)だったかも・・・です。というのもこの時サイドステップにこだわり過ぎてトップスピードの選手たちの並走に遅れてしまいラインから遅れた動きになったからです。・・・セーブモードアゲイン・・・反省。

 

「なかなか筋肉疲労が回復しなくて・・・」の言い訳には「年齢とは残酷なもので・・・」とのインストラクターの方のお言葉に慰められながらも落ち込み・・・。

 

でもこんな、「歳のせいで・・・」というのは結局出来ないこと(やりたくないこと)の言い訳に過ぎないことをあらためて思い知らされたのが昨日観た映画「SULLY」。そう、またまた素晴らしい作品を届けてくれた御大クリント・イーストウッド監督、86歳でございます。いやー無粋な邦題のようにこの御大の近年の多作ぶりとそのクオリティーの高さには思わず「奇跡!」と言いたくなるも、これはこの人にしてみれば必然であり、やりたいことやり続けている結果なんでしょうね。

 

思えば蓮實重彦センセイのお言葉を待つまでもなく、マグナムでバンバン人を撃っていた前からこの人は「凡庸な」映画作家ではなかった。いや「凡庸でない」映画作家にスポットライトが当たるなかこの御仁は世間からは「凡庸な」映画人として、いやそれどころかマグナムをバンバン撃つ脳みそ筋肉オジサン、もしくはわざわざ刑事(自分)と売春婦(本当の恋人)が乗ったバスが仲間の警察官からの一斉射撃でハチの巣になるシーンを撮りたいがために映画を作った俺マニアオジサンとしてしか世間は見てなかったような・・・。

 

そんな自分も世間がようやく映画作家としてこの人を認知した「ブロンコ・ビリー」を今から30年以上前に劇場で観た時、冒頭シーンの直後から2本立てだったせいかそのまま睡魔に襲われ鑑賞できず・・・の過去を持ちますです(さてさてもう一本の映画はなんだったのか…思い出せず)。御大、この「ブロンコ・ビリー」を監督、主演した時すでに50歳!。もう言い訳なんて・・・出来ません。

 

さてさて映画「SULLY」ですけど、御大得意の実話の再構築。でもこれだけ有名な事件(USエアウェイズ1549便のハドソン川への不時着)を映画にするのは本当に大変なこと。誤魔化せない、結末は皆知っているし・・・とこれ相当ハードル高しです。でもそこは巨匠、素晴らしいの一言です。いや~純粋に楽しめました。

 

さて、いつもの悪い?クセで審判目線でこの映画を解釈してしまうと、まずは印象に残ったのはトム・ハンクス演じる機長の「自分が感じたことと決断したこと」への揺るぎない自信でした。曰くもう一度同じ状況に遭遇しても同じ行動を採るとの揺るぎなさはプロ中のプロですな。「あの判定やっぱり・・・」「ああ、もうちょっと・・・」なんてやっている審判員の私とは比較するのもハズカシイ・・・。

 

「感じたこと」もすごく印象深く、ネタバレになるので詳細は省くとしてバードストライク(鳥の機体への衝突)によってエンジンが受けたダメージについてコンピュターによる解析とは異なる自分の感じ方を呟くシーン・・・分かります。「ファウルも感じるもの」って・・・レベルが違い過ぎるか・・・。

 

この映画は「コンピューターVS人間」とか「論理VS勘」のように捉えがちになるかもしれませんけど、実際に素晴らしいのはトム・ハンクス演じるサレンバーガー機長が危機的状況に置かれたコクピット内での冷静さそのままに、事故後の調査において論理性を失わずにコンピュターと異なる人間の行動特性をそして航空機の特性や客観的状況を説得力を持って周囲に伝えていく過程にあります。

 

この説得力はもちろん実話なのでサレンバーガー機長ご自身の卓越したプロフェッショナルリズムから来るのですけど、映画においてはトム・ハンクスの演技が可能にしたことでもあるでしょう。思えばこれまた30年以上前に見た「スプラッシュ」での演技で素晴らしい俳優になっていくんだろうな~と思った当時の若手コメディアンも今やアメリカを代表する名優です。巨匠(=イーストウッド翁)の映画に出なければ絶対に自分から進んでこの人の主演作など見ない自分にとっても、この人でしか持ちえなかった説得力だと断言できます(というふうに監督に導かれたのか)。共和党支持者の翁が民主党支持者のハンクスを最初からこの役に見据えていたことも・・・なんか納得。

 

さてさて、映画の素晴らしさは御覧いただくとして事故が起こったときに「前代未聞のトラブルながらなぜ冷静沈着に対応できたのか?」の問いかけにサレンバーガー機長は以下のように答えています。

 

「あのときの私たちが、不自然なほど落ち着いていたというのは誤解なんだ。たしかに無線の会話は冷静に聞こえるし、その内容も理路整然としている。しかし、そういう対応ができたのは、数十年もの経験と訓練があったからだ。」

 

「経験と訓練」・・・すべてに通じることですね。

 

蛇足ながらオートパイロット(自動操縦)では到底安全に空港に引き返すことはできませんですね。論理的に考えれば自明。あと邦題が・・・これでかなりの観客を失ってます・・・ような。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

「見えなかった事象にフラッグアップしない」の例外。

さて・・・改正競技規則のリサーチ&フィールドワークを行っておりますので暫しお待ちを(誰も待っていないか・・・)。

 

さてさて、ここのところ4種の試合より1種の試合の担当の方が多くなってきております。当然ながらスピード感も異なるわけですけど、何より審判に対する選手の「アピール力」が段違いに違います(苦笑)。

 

「ファウル!ファウル!」「オフサイドオフサイド!」「おぇええ!?」と枚挙に暇がないほど多種多様な「シグナル」が遅られてきます。ここは審判員としてもいつも以上に確信をもって判断(判定)しないとその「シグナル」に引きずられて判定基準の一貫性を欠いてしまう、なんてことに成りかねません。

 

と思いつつ副審として「やらかした」ケースを挙げると:

 

① 自分のサイド(A1)からは見えなかったゴール向こう側(ファーサイド)のゴールライン際のイン・アウトの判定で複数の選手が「出た!」と手を挙げたのでフラッグアップしてしまった。

 

② 自分の目の前(A2側)で守備側競技者が激しく相手競技者にチャージしてボールを奪った。攻撃側競技者がファウルアピールを熱烈に行った。私自身も直観的に「不用意な」コンタクトプレーと判断し主審の位置や視界を確認せずにフラッグアップしてしまった。主審はフラッグアップをキャンセル。

 

というような反省すべき点がありました。

 

①は絶対にやってはいけないこと。現在のボールの位置とラインの関係が見えてもないのに「ボールが出た」というシグナルを送ってはなりません。しかもアウトオブプレーになったというシグナルを一旦出したのにキャンセルするという二重失態なわけです。この時は主審が採用しなかったので(しかも選手からの異議もなかったので)事なきを得ました。「多分・・・だろう」でフラッグアップしてはならないという典型です。

 

②は主審を無視したファウルサポート。余計なお世話になわけです。正直、選手のアピール力に引きずられたことは否定できません。これまた絶対やってはいけない・・・。

 

この後、主審の位置と視界を確認してのファウルサポートがひとつ。この時は主審とアイコンタクトと確認シグナルを交換しながらファウル認定とあいなりました。

 

さて今回のテーマである「見えなかった」には二つの視座があることがお分かりいただけたと思います。つまり:

 

1)副審から見えなかった

2)主審から見えなかった。

 

というふたつです。

 

1)はとにかく「見えなかった」ら憶測(山勘)でフラッグアップしないということです。

 

2)は自分が副審なら主審が見えているのか見えてないのか判断です。で、自分が主審なら見えなかった・・・といって判断を見送るわけにはいきません。判定はマスト。ただし審判団が見たことから判定すべしということが大原則です

 

そう言えばその昔、ガンバ大阪の試合でのこと。ペナルティエリアの近くで主審の方がガンバのファウルをとったら遠藤選手が何回も何回も主審の人に抗議しているかのような姿が映し出されました。音声は聞こえないのですけど遠藤選手の口の動きを見ていると、このように言っているとしか思えませんでした。『見てないでしょ。見てないでしょ。』。フィールドを俯瞰的に把握できる遠藤選手からすればそのファウルが起こった時の主審の位置からでは事象が見えたはずがないと直感的に思ったのかもしれません。

 

閑話休題。さて1)の場合の例外がありますよね。一番よくあるケースはどちらの競技者が最後に触れたかわからない場合です。この場合はボールがタッチ(ゴール)ラインを割ったことは見えているので真っすぐフラッグアップして主審の判定を待ちます(もしくは「多分こちら」のシークレットサインの交換を試合前の打ち合わせに基づいて主審と行います)。

 

あっ~でもこれも例外ではないですね。つまり見えなった「どちらの競技者が最後に触れたのか」についてはフラッグアップ(=どちらのボールかのシグナル)しないわけですから。

 

でもやはり例外があります。そしてその例外こそ私が「やらかした」もうひとつのケースです。そう。このケースこそは「見えなかった」としてもフラッグアップしなければいけないのにフラッグアップしなっかた失敗なんですね。

 

それはオフサイドの反則のフラッグアップなんです。

 

その「やらかした」事象を再現してみると・・・

 

1)副審である自分の近くで攻撃守備が目まぐるしく入れ替わりながら最終ラインの上げ下げが行われていた。

2)守備側の最終ラインにいた選手がボールをキープし前方に蹴り出すも直後にボールは大きく跳ね返り最終ラインである守備側競技者の頭上をループ状に越えてその背後にいた攻撃側競技者(つまりはオフサイドポジションにいた選手)の足元へ。

3)守備側選手が「オフサイド!」とアピールするも私はフラッグアップせず最終ラインの真横に位置すべく移動。もちろん主審の笛も鳴らず。守備側ゴールキーパーの「笛がなるまで勝手に止まるな!」の声のもとプレーは続行。

 

という具合です。

 

で私がなぜこの事象においてフラッグアップしなかったというと、オフサイドポジションにいた攻撃側選手へ渡ったボールに最後に触れたのは攻撃側の味方選手ではなく守備側選手だったと判断したからです。つまり最終ラインを作っていた守備側選手の一人が前方に蹴ったボールは同じく前に走り始めた守備側選手に当たり跳ね返ったと判断したわけです・・・けどこれは私の憶測で実際には私は最後に誰がボールに触れたのかは見てなかったわけです。

 

つまり:

 

見えなかった事象=ボールの出どころ

 

だったわけです。

 

そう、この場合はたとえ「見えなかった」としてもフラッグアップして主審の判定を待つべきなんです。

 

逆を言えば主審は「出どころ」が見えてなければなりません。もちろん理想はボールの出どころもオフサイドラインと競技者の位置関係の両方とも副審が見ることです。でも目まぐるしくラインが動き、ボールの動きも早い場合、両方を視認することは難しい場合もあります。なのでボールの出どころ(=誰が最後に触れたか)が見えなくてもフラッグアップするのが基本です。

 

あと見えないケースとして出どころだけでなく、ボールが前方に出たタイミングも見えないことがままあります。この場合はご存知のように視認できなくとも聴覚(競技者がボールに触れた音)をフル活用してフラッグアップするかどうかを副審が判断しましょう。主審はボールの出どころを視認してフラッグアップを採用するのかキャンセルするのかの判断はできますけど、ボールが出たタイミングは常にオフサイドラインと競技者の位置関係とのセットで判断をしなければならないわけですから、これを見極めるのは(決定は主審でも)やはり副審の任務なわけです。

 

とういうわけで、オフサイドの反則を見極める時にはボールの出どころを勝手に判断してしまう(『見てない』のにフラッグアップをしない)ことのないように副審を担当する場合には注意が必要です。でも大事なことはできるだけフィールドに正対する、つまりサイドステップを駆使して監視するという繰り返し記事にしていることに尽きます。これだけでもずいぶん誤審(=間違ったシグナルを出す)になることは少なくなると思います。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

多数決による主審の決定

さて、次から次へと競技規則の改正点を記事に・・・と思いつつここでまた妄想してしまいました。例えば前々回とりあげた第5条に新しく追記された条文が、仮に以下のようになっていたとしたら・・・。

 

第5条 主審

 

2. 主審の決定

決定は、主審が競技規則および“サッカー競技の精神”に従ってその能力の最大を尽くし て下し、適切な措置をとるために競技規則の枠組の範囲で与えられた裁量権を有する主 審の見解に基づくものである。ただし状況によって主審は競技者も含む多数決によって決定を行うことができる。

 

(下線部、筆者妄想)

 

多数決で決めてたら試合時間も長くなり、プレーのスピード感もなくなり・・・別の競技になる・・・というか、審判がいる意味がなくなるのを承知で無駄な妄想(意味のある妄想とは?)をしてしまったわけです。しばし無駄なことにお付き合いを。

 

さて多数決とは何でしょうか?多数決ってよく民主主義を説明する(定義づける)時に出てきますよね。いわく多数決=民主主義のように。

 

これを検討するには民主主義とは何かを定義づけないとなりませんけど、そんなことは私にはできないので置いといて、多数決に話を絞ると:

 

多数決とは賛成、反対の数で物事を決める(ある選択肢を採用する)過程および仕組み

 

と面白味も発見もない説明になってしまいます。

 

実はここで考えたいのは多数決によって「正しい決定」が出来るのか?ということです。それにはまず「正しい決定」とは何なのかという問いに答えておく必要がありそうです。

 

例えばサッカーの場合では競技者同士の身体的接触があったある事象がファウルであるなら、「正しい決定」とはその事象を正当なコンタクトプレーではないと判断し、競技規則に基づいてその程度(不用意なのか、無謀なのか、過剰なのか)を試合全体を通じての一定の基準に置き換えて、懲戒罰の種類や再開方法や再開の権利をどちらのチームに与えるかを規則に基づき決めることです。これによってサッカー競技の魅力が最大限に引き出され、選手に大きな不満を起こさせずに試合は円滑に運営されるようになる、ということです(もちろん「決定」だけで達成できることではないのですけど)。

 

つまり「正しい決定」とはまず合理的である(=他のどの選択肢を採るよりももたらされる利益をが大きい)ということです。と同時に腹落ちする(=その選択肢を採ることに共感できる)ということでもあると思います。

 

「利益が大きい」などと書くと何やらお金が絡んだ経済合理性のお話しに限られるように思われるかしれませんけど、必ずしもそれだけではないですよね。抽象的な言い方ですけど、サッカー競技を観戦する楽しみがより大きくなるとか選手の安心・安全がより確保されるということも「利益が大きい」ということになると思います。

 

さてそれでは多数決という仕組みによって人は必ず「正しい(=合理的で腹落ちする)」選択肢を採用することが出来るのでしょうか?

 

よく言われるように賛成・反対の数だけ異なる個人がかかわって下した決定なんだから多くの角度から検討されただろうし、その検討の末だからより合理的な判断になっているはずだし、より多くの人の共感を得る結果になっているはずです・・・し、そうでないとも言えます。

 

これは言い換えれば、よ~く考えて考え抜けば、完璧とまではいかなくても、かなり合理的な判断になっているでしょうし、より多くの異なる意見に耳を傾けて審議を尽くせば全員は無理でもかなり多くの人の共感を呼ぶ選択肢になっている、一方で多くの人がかかわっていても考えぬいてなければ・・・異なる意見を無視して採った選択肢なら・・・「正しい」決定とはほど遠いものになる、ということです。

 

現実の世界を見ても分かるように多数決のすべてのケースで考えぬかれたと言えないばかりか、採決者が決を採ろうとしている案件に全く興味がないなんてこともあり得るわけですよね。また誤った知識や理解で賛成したり反対したりすることもあるわけです(イギリスのEU離脱残留かの国民投票のケースとか、そのようですよね)。

 

また人は常に自分の信念を貫けるほど強い存在でもありません。周りの雰囲気やプレッシャーで賛成か反対を決めることもあるでしょうし、一時の感情の高ぶりで非合理的な判断に陥ることもあるでしょう。

 

「つまり多数で決めた=正しい」と必ずしもならないことは上記からも自明で「数はそれだけでは正しいことの根拠にはならない」というこれまた当たり前のことを表しているに過ぎません。

 

では多数決は止めるべきかというと、現在の仕組みでこれ以外のよりよい決定プロセスは中々思い浮かびません。それは多数決が結果(=決めたこと)自体の合理性を担保している(考え抜かれた審議し尽されたという前提で)だけでなく、決定過程の合理性も担保しているからです。つまりより少ないコスト(=時間、お金、労力)とより少ない不公平感で物事を決定できるプロセスになり得るわけです。

 

ですから多数決は現状では:

 

常に正しい決定が行われるわけではないけど、正しい決定が行われる可能性がもっとも高い=完璧な仕組みではない。次善の策である

 

ということになります。

 

さてサッカーの試合中に主審が「決を採ります!」といって判定を多数決に委ねたら、まあ自チームに有利な判定を求めるのが常、11人VS11人の同数で最後は主審が1票を投じ決まるという流れに・・・ってイマトナニモカワラナイ・・・。

 

まあ、このような場面が訪れたときにすでに退場者を出しているチームはより不利な状況になり、主審の1票でも同数になる可能性も出てきて・・・では副審も多数決に参加してもらおうとなり・・・どうせなら主審と副審合わせて3人だけの多数決にしようかその方が簡単スピーディだし・・・よし競技規則改正だ・・・なんて無駄な妄想はどこまでも続く・・・。

 

というわけで主審は民意を代弁する代表民主主義を体現している・・・いやいや、ひとり裁判官とも言える・・・いやいやそれとも独裁者か・・・・なんて思いながら、いずれにしろ合理的かつ腹落ちする決定を下さなければならない責を負うていることだけは間違いないのです。つまり実社会においても中々体験することのできない決定することにおいての唯一人の当事者なんですね(一方で決定を行えるのは主審ひとりでもその決定に影響を与える「助言」を行える副審以下他の審判員の存在は大きいわけです)。

 

現実社会では決められないトップがいたり当事者がいない(なりたくないので皆逃げる)決定が存在しているのに、主審ってエライなぁ・・・なんて贔屓の引き倒しで本日の妄想は打ち切りでございます。

 

そもそもフェアに言えば、現実社会では何が合理的で腹落ちするか、つまり何が正しいかは視座や視点や視野が変われば一様ではないはずですけど、サッカーでは競技規則とサッカー競技の精神に反して決定することはできないのでブレようがないわけですね。

 

さて・・・もうそろそろ改正競技規則について書かなきゃ・・・です。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

ゴールかノーゴールか?サッカー主審、動体視力より大切なこと。

日本代表、負けた~。

 

FIFAワールドカップアジア最終予選の初戦。UAE代表の守備も崩せたようで総崩れにはならず。GKのエイサ選手のセーブも素晴らしかったですね。

 

今は、ちょっと脱力気味で、書きかけの記事を完成させる気力もなし(はい、言い訳です)。ちょっと混乱してクールダウンしきれていない頭のまま以下の過去記事へのリンクを並べておきます。

 

ちなみに、言わずもがな「得点(いわゆる『ゴール』)」とは以下のような状態のことです。

 

第10条


試合結果の決定

1. 得点

ゴールポストの間とクロスバーの下でボールの全体がゴールラインを越えたとき、ゴー ルにボールを入れたチームが競技規則の反則または違反を犯していなければ、1得点と なる。

 

 

動体視力か鷹の目か - 全豪オープンと7人の侍(前編)

動体視力か鷹の目か - 全豪オープンと7人の侍(中編)

動体視力か鷹の目か - 全豪オープンと7人の侍(後編)

 

選手でさえ確信を持てなかったゴールを判定する・・・。

「審判稼業はつらいよ」と今日もどこかで誰かが言ったとか、言わなかったとか・・・。

 

 

では、I'll be back.