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ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

サッカー審判員よ。今のプレーはなぜファウルなのか?なぜファウルではないのか?それが問題だ(後編)

日本代表の初戦があった日曜日の午後、小学生低学年の審判を楽しんできました。競技規則を本当に理解しているのか確認するには小学生1~2年生ぐらいの主審をやると効果的です(苦笑)ほんと色々と驚かせてくれます(笑)。で、小学生低学年の試合で審判員をやるときのポイントなどはまた今度書きますね。

 

さて、閑話休題。今回のお題「あるフィジカルコンタクトが不用意な反則であると主審はどのような基準で判断しているのか?」に答え出します。

 

*前回まで「ボディコンタクト」という和製英語になっていたので競技規則通りの表記=physical contactにしました。

 

で、前回書いたように審判員はファウルであるかどうかの判断を通じて選手と一方的なものではなく相互的なコミュニケーションを常に行っていると言えます。

 

では何をコミュニケーションしているかと言えば「そのプレー認めるとサッカーが面白くなくなるよ」ってことではないでしょうか。

 

なんか拍子抜けさせてしまったらごめんなさい。それでもこの表現にしたのは以前『ボールがアウトオブプレーの時の「ファール」 』の回で書いた「ファールがなぜ許されないか。ずるくて危険だからです。」も含むファールの本質だと思うからです。

 

例えば:

 

「いいねえ。いいね~ぇ。その体と体のぶつかり合い、せめぎ合い。サッカーの醍醐味のひとつだよねえ~」

もしくは

「ちょっとちょっとそのプレーが許されるサッカーってあり~?」

 

ってことです(こんな日常会話はあり得ないと思いますけど)。

 

私が小学生の時のこと。ひとつ上の先輩で飛びぬけて身体能力が高い人がいました。どのくらい高いかというと小学6年生にして中学生の野球部と試合をしてエースで4番、中学生をきりきり舞いさせていました。今でいえばダルビッシュのような体つきと強肩と球のキレ。で、その先輩も小学校のときはサッカー部しかなかった学校なのでサッカーやってました。

 

それほどの身体能力なわけですから当然ガキ大将としてもやりたい放題。昼休みなんか草サッカー試合やっていても彼が勝手に「オフサイド~!」なんていってプレー止めたりファウルを決めたり。こうなると他の先輩はつまらなさそうにしながらも、公然と文句を言えないわけです。

 

そう、未熟な集団で審判員が存在しない状態でサッカーが行われると、こうなってしまうっていう極端な例かもしれません。だから審判員が必要・・・ってことが言いたいわけじゃなくて、この集団の感じている「つまらないなあ~」とか「面白い!」って感情の境目がファウルとノ―ファウルの境目ではと思うわけです。

 

今回のお題は「明らかなファウル」ではなくファウルコンタクトと正当なコンタクトの境目はどこに?です。

 

それに対する答えは「境目」は:

 

① 集団(選手と審判員)の合意 

② 集団のレベル

 

の2点によって決まるというわけです。

 

まず①について。

ある試合における最初のファウルの認定で主審は「今日はこれ以上のフィジカルコンタクトをやったら試合がつまらなくなると思ってるからね~!」と選手に対してコミュニケーションしているわけです。で選手は「OK~!そこまでやっていいわけね」となるわけです。ここに「集団の合意」が形成されるっていう前回お話したヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」状態が出現するのです。

 

で、当然ですがこのような「集団の合意」は主審のファーストファウルで初めて現出するというより、もともと選手個々また審判員個々の意識の中に内在していますね。

 

「集団の合意」という言葉をヴィトゲンシュタインから思いついたわけですけど、中編を書いた後に、松崎康弘さんの本「ポジティブ・レフェリング」を「かつー」さんのブログで知り読んでいたらもっといい言葉がありました。(実践的かつレフェリングに対する考え方の示唆に富んだとてもいい本です)

 

それはコモンセンス(共通理解)です。

 

で、私の言っていることは松崎さんがおっしゃってることと結局同じかもしれません。ので松崎さんの本を読んでいただいたほうがいいかな~と思いつつ、今しばらく自分の言葉で自分の考えを書いてみますね。(もちろん松崎さんには及びませんけど)

 

さて「集団の合意」が元々あったなら主審の役割は、ある試合によってその程度を調整し設定したら最後までその合意を維持するということになります(=ファウルの基準の一貫性)。ですからあるコンタクトをファウルと認定するのと同じ確信をもってあるコンタクトは正当なフットボールコンタクトであることを確信する必要があります。

 

つまり「このプレーに笛を吹いて止めたら試合が面白くなくなるよ」って確信です。この確信はとても大切で選手との「合意強化」の意味でもファウル認定と同じ様に迷いがあってはいけません。自信をもって笛を吹くのと同じように自信をもって笛を吹かない(もしくはプレーオンのシグナルを出すかノーファウルのボディランゲージを使う)。なんとなくはダメってことですね。

 

う~ん。このままだと結局ファウルの境目を明確にすることはできてませんねえ。

 

言い訳っぽいの承知で書くと、結局「これは誰がなんといおうとファウルだ」というプレーは存在しても「これが誰が何といおうとファウルの境目だ」ということを示すプレーは存在しない - 「集団の合意」から切り離された「ファウルの境目」のような実体など存在しないってことですね(もはや禅問答)

 

で、やはり具体的なプレーや事象を挙げながらファウルとそうでないプレーを示すしかないわけです。ただ今回はそれは行いません。ここではあえてファウルの境目を見るポイントだけあげます。(今までも書いてきたことです)

 

1) 相手競技者のプレーへの影響(=相手に思い通りのプレーをさせなかった)

2) 時間と空間

   ●ボールとの距離や位置関係 ●優先順位

3) 因果性

   ●相手競技者のプレー?●自滅?●シュミレーション?

 

1)は、これファウルに限らずフットボールコンタクトの正当な目的でもあるわけですよね。競技者はお互い相手に思い通りプレーさせないように争っているわけですから。でも、これはインストラクターの方に教えてもらった言葉の中でその後ファウルの見極めにおいて最も役に立っている言葉であることも事実です。つまり相手が転んだとか、単によろめいたとかではなく、そのコンタクトによって思い通り(意図通り)プレーできなくなったかどうかです。

 

ただ繰り返しになりますけど、これだけではもちろんファウルではないです。そこで2)です。ボールが全く自分がコントロールできる範囲にないのに相手競技者にコンタクトして思い通りにプレーさせなかったとしたらファウルですね。

 

ボールが直線距離にして自分のすぐ傍にあっても相手競技者の体の反対側にあるのでとりあえず背中を軽く押してみよう等々。体とボールとの位置関係はファウル見極めの上でも大切です。

 

またスローインされたボール、ゴールキックされたボールなどなど空中にあるグランドにあるにかかわらずボール争いをする場合、全く優先権がない(間に合わない、届かない=ボールをプレーできる可能性がほぼゼロ)のにチャージにいくタックルにいくなど(この場合「無謀」以上になる可能性も増えますね)さほど強いコンタクトでなくてもこれはファウルと成り得ます。

 

3)の因果性は実際の場面では例えば正当なコンタクトであるのにコンタクトされた選手の体力が落ちていて倒れてしまったのか、正当なタックルでボールを奪われた競技者がタックルした選手の足に自分でつまづいただけなのか、コンタクトされてボールを失いそうになったので自らダイブしたのか等々。

 

さてファウルの「境目」を判断する二番目のポイント:

② 集団のレベル

についてです。

 

これはよくいわれるカテゴリーとグループに分かれます。

 

カテゴリーは年齢や所属団体などですね。小学生と高校生で同じ「集団の合意」ってわけにはいきませんよね。そもそも「合意」の形成に審判員が担う役割も異なります。

 

冒頭で挙げた小学生低学年ならどうしてファウルなのか、そもそも何がファウルで何が正当なコンタクトなのかとか教えてあげる必要があります。審判員は笛を毅然と吹いているけど、周りの選手(子供達)は「??」としている、でそのまま主審と子供の間には大きな「?」があるまま試合が進んでいるのはいただけません。

 

ブンデスリーガ、リーガエスパニョ―ラ、プレミアリーグセリエA、Jリーグそれぞれファウルの境目(集団の合意)が異なって当然です。

 

また同じ小学生の試合でも強豪チーム同士ですと当然身体能力も異なります。これが集団のレベルでいう「グループ」です。個々の身体能力が高いチーム同士(グループ)なら、少々のコンタクトも、ものともせずプレーを続けます。これを読み取って審判員が選手と集団の合意を形成できるようにする必要があります。

 

さて、ここで再度確認すると今回のお題の「ファウルの境目は何処に?」で語っているファウルは直接フリーキックになる反則7項目を不用意に犯すに絞っています。だから、この「不用意に」という言葉が集団の合意によって意味が異なると言ってもいいでしょう。ヴィトゲンシュタイン流に言えば?「『不用意に』って言葉の定義なんて誰も断定できない。あるのは選手と審判員の合意だけ。定義は不明確でもゲームは滞りなく行われる」という感じでしょうか?

 

逆に犯しただけで直接フリーキックやPKとなる「相手競技者を押さえる(=ホールディング)」は集団の合意を越えた国際社会の合意と言えるかもです(うーん、わかったような分からないような)。

 

あと、今回はあえて、あるフィジカルコンタクトが負傷などを引き起こす可能性の程度がファウルの判定基準になるとは書きませんでした。いませんけど過去記事でも書いたように当然選手の安全の確保や負傷の危険性の回避を念頭に正当なフットボールコンタクトかファウルかを判断することは極めて大切です。いつも心に留めておきましょう。

 

とまあ、三回にわたり書いてきた「ファウルの境目」について、ますますわからないとか、答が出てないじゃんというお叱りやご意見お待ちしております。

 

笛を吹かず続けてしまうと(もしくはアドバンテージかけずに流してしまうと)サッカーが面白くなくなる瞬間が「ファウルの境目」であり、それは選手と審判員との合意で決定されるというのが今回の説でした。

 

明日はいよいよギリシャ戦。ちょうど出勤時間帯です・・・。

 

では、I'll be back.