ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

ベッケンバウアーと釜本と日本兵と (前編)

ジムでの筋トレは続けていたものの、ここのところ何かと予定があり審判活動も小休止。この暑さで屋外活動自体控えたいという情けない(でも危険は危険ですよねぇ)心境でもありました。

 

さて本日は(も?)サッカー審判員の話ではなく、サッカーと戦争にまつわる、ほろ苦い思い出です。

 

遡ること1990年代、仕事でたびたび訪れていたのがシンガポール。もう10回以上は訪れていた時のある出張でのこと。その時の業務でお世話になったマレー系のシンガポール人(シンガポールはマレーシア―(=マレー)系の方々、中国系の方々、インド系の方々などアジア系の方々が多くの人口を占めています)の女性コーディネーターの方が私が帰国する日に旦那さんと一緒に地元のレストランで夕食を御馳走してくれることに。楽しいディナーの後そのまま、旦那さんの車でチャンギ国際空港まで送ってくれることになりました。

 

3人で空港に向かう途中私は、彼女の旦那さんとサッカー談議をしながらも、その一方で歴史についての戦争についての自分の無知ぶりを思い知らされることとなったのです。つづきは明日。

 

では、I'll be back.