ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

「異議」の前に思い出したい3つのこと。

今回とりあげる「異議」は選手からやベンチからのモノというより、より広い「異議」としてお話したいと思います。

 

まずサッカーにおいては審判員の判定に対する「異議」は許されてないわけで、イエローカード(警告)の対象となるわけです。理論上は2回繰り返せば退場。もしくは無謀なファウルを犯した選手がその判定に「異議」を唱えたら「反スポーツ的行為(日本では「ラフプレー」と記録されることになります)」と「異議」の2枚のイエローカードを連してもらうこととなり、即退場となります。

 

さて、今回は選手やベンチからではなく観客や「場外」での異議について、ちょっとだけ思ったことを。

 

例えば、かなり以前の話になりますけど、地元のリーグ戦で副審を務めていた時のこと。A2の私がオフサイドラインを監視しながらゴール前まで移動したら攻撃側チームが見事にゴールを決めました。と、直後に私の背後から「オフサイドだろ、オフサイドだよ!」との声が聞こえます。『うーん、確かにオフサイドポジションに一人いたんだけど、なんの干渉もしてないだよね~』と心の中で呟きながらも、とりあえず試合に集中です。

 

どうも、その方、別の試合でも目立っていたので見ていたのですけど、お孫さんを熱心に応援しにきたお祖父ちゃんという感じ。多分、ご自分もその昔プレーされていた(もしくは現役!)かもです。で、競技規則の内容も当時のまま・・・。

 

さて、今年になってはこんなこともありました。スローインの時にボールが出た地点より前方で選手がスローしようとしたので笛を吹くも、その前に投げられてしまって相手チーム側のスローインにしたところ・・・本部席に戻ると3級審判員の方々からも「今のは?」と質問があって説明。で、私が笛を吹いたタイミングなどの是非が議論されていると、とあるチームのコーチの方が私の判定に「異議」を感じている様子で「そもそもボールが出たところからスローインしないとファウル(正確には違反ですね)なんですか?」と。『うーん指導者やってるんだったら、競技規則ぐらい読んでよ~』と心の中で呟きながら「競技規則に書いてますよ」とお伝えしました(さすがに、そのチームの3級の方がたしなめておられました)。

 

さて、以上は競技規則を理解していないことによる「異議」なわけです。私は有名でも何でもないので、判定についてネット上で話題にされることはありませんけど、Jリーグを担当されている審判員の方にお話をきくと「決して自分が担当した試合についてのネットでの意見は見ない」と仰る方もいらっしゃいます。それはもう「場外異議」つまり「誤審」との攻撃からの自己防衛とも言えるかもしれません。

 

そうですね。ネット上での意見にも競技規則をちゃんと理解されての「異議」も多くあり、この場合はとても参考になりますし、もし自分の判定に対してであれば私なら謹んで拝聴させて頂きます。一方で上記に挙げた例のように競技規則を理解されていない場合も多々あるように思います。さらには誤審を批判する域を大きくはみ出してあらゆる罵詈雑言を浴びせているような例もあります。これはスル―しないと「やってられねえよ!」と思われること、よく理解できます。

 

いずれにしてもネット上で異議にさらされるのは何もJリーグ担当のサッカー審判員の方々に限った話ではなく、どんな世界でも一度名前や顔が「売れて」しまうとそれは有名税とも言えるものかもしれません。

 

一方で、そのような「場外異議」に対してどの判定が本当の誤審で、どの判定が「誤解」なのかはサッカー協会自体がもっとオープンに情報発信してはと思う次第です。隠すことで、また透明性を欠いたままで守れた組織は多くないことは歴史が語っています。何よりも誤審ということではなく審判員として、どのように判定すべきだったかというケーススタディになれば、より多くの審判員の恰好の学習教材となるだけでなく、より多くのサポーターの方々にもサッカーの魅力をより深く知ってもらうことにもなるのではと思います。(この点「3級審判員の悩める日々」さんが広く知らしめたであろう米国プロ審判協会の姿勢には拍手喝采!アメリカって色々問題山積な社会だけど、こういう懐の深さっていつも感心するなあ~)。

 

ここでふたたび競技規則にある「異議」について。これは正確には「言葉または行動による異議」と書かれています。英語では「dissent by word or action」となります。

このdissentという言葉はまさに「異議」とか「不同意」と訳されます。また別の意味として「(判決の多数意見に対する)反対意見」の米語ともなります。また動詞として見るなら「宗教上の見解を異にする」とか「(国教会の)教義に従わない」との意味もあります。ですので審判員の判定が正しいのか、間違っているとかにはかかわらず判定に従わないことは警告の対象となります。このことは逆を言えば異議は全く聞くに値しない意見では決してないことを意味します。ただし試合中に審判員がそれに「なるほどなるほど」と耳を傾けるわけはいかずです。心の中でしかと受け止める(もしくはスル―しながら)試合後になぜその「異議」があったのかしっかりと振り返りましょう。

 

さて教会もとい協会のオープンさを期待しつつも、やはり我々も変わらなければならないとも思うわけです。

 

というわけで?いまいちど「場外異議」の前に次の三つのことを思い出して欲しいです。

 

①競技規則を完全に理解してますか?

②リスペクトはありますか?

③色眼鏡で見てませんか?

 

①はすでにご説明したとおり。

②は事象の判定や審判員としての技術、姿勢についての批判なら歓迎されるべきものでしょう、ただしリスペクト(個人を尊重する念)を失ってはならない、つまり常に誰に対してもその人格を否定攻撃するようなことは行わないということです。

③については具体的にやめて欲しいことがひとつ。あの「中東の笛」ってやつです。これ完全に多様性を無視した差別用語です。よく平気でアナウンサーも解説者(元スタープレーヤー!も)この言葉を口にするな~と呆れるばかりです。この手の言葉はフレーミング効果を作りだし目の前で起きていることにもっともらしい理由を提供します。「中東の審判員ですから(誤審やグレーな判定があっても)しょうがないですよね~」というもっともらしく聞こえる(でも根拠がない)理由です。これ「日本の笛」って海外メディアに言われたらどうしますか?(念のためにサッカー以外の競技で起きていることは筆者が詳しく知るところではありません)

 

上記の3つを踏まえるなら私は「場外異議」は大いに結構と思うわけです。で、さっそく本日のFIFAクラブワールドカップ決勝でのメッシ選手の一点目・・・ハンドの反則で取り消すべきというのが私の判定です。あくまで再生スロー画像を見る限りです。多分主審からは死角で副審がファウルサポートを行うには遠すぎた(ペナルティエリアの中でもあるし)ということでしょうか・・・って言うかメッシ選手が巧すぎるってことか!リアルタイムで見てた時は全くわからなかったし本当凄いゴールだなと興奮しました・・・偉そうなことは言えませんです。はい。

 

では、I'll be back.