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ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

「奇跡のレッスン」 サッカー審判編!(後編)

かなり以前の話になるのですけど筆者の次男と同じチームにいた子が明らかに試合中畏縮している姿を見たことがあります。怖がっているんですね、失敗を。もっと正確に言えば「失敗=コーチの言う通りのプレーが出来ないこと」によってコーチに怒られることにビクビクしているのが手に取るように分かりました。

 

こうなるといけません。このような関係性(畏縮している人とさせる人)になると何が起こるかというと「思考停止」です。最悪は無気力とかサッカー自体が嫌になるってことですね。

 

この思考停止状態は、このケースに限らず「怒られるのが怖いので・・・」という指導者と指導される側の関係で常に見られてきたことのように思います。

 

幸いかな自分が3級審判員を目指していた時に指導していただいた方から多くの厳しいアドバイスを頂いたことはあっても畏縮するようなことはなかったと思います。まず第一に「指導」する側のインストラクターの方々がやはり指導のプロであったことが大きいと思いますし、指導の中で一番重要ともいえるコミュニケーションという手段はどうあるべきかをよくご存知であったからだと思います。しかも積極的にチャレンジしたりできる限りの能力を出している場合(自分が出来ていたかと言えば・・・?ですけど)には失敗があってもそれは称賛されるべきものとの共通認識もありました。これはサッカー審判員のカルチャーともいえるものですね。

 

ところが自分が試合で一緒になった4級の審判員の方を畏縮させたことはないか・・・と言えば畏縮はさせてなかったと思いますけど、自分が期待することやお願いしたいことがうまく伝えきれていないことに気づきます。先週の試合でも例えば得点のケースでのシグナルをお願いしていたのですけど、実際起こってみるとこれがうまく伝わっていないことに気づきます。

 

例えば2度ほどあった「得点になったけど依然インプレーに見える」状況でのシグナル。主審としては副審のフラッグアップのタイミングやどの位置にいてフラッグアップするべきか(当然ゴールラインの延長上なのですけど)がとても気になるわけです。

 

ここで「奇跡のレッスン」の前編でデンマーク人指導者の方が仰っていたこと、「一方的に与えられた情報は10%しか頭に残らない」が当てはまるわけです。まずこれを念頭にどのようにコミュニケーションすべきかを反省させられることが多々ありました。つまり自分の頭の中で明確にイメージできていても必ずしも他者は自分と同じ状態ではない・・・ということを前提にしてこそコミュニケーションはよりよくなる、つまり一方的にならないということかと思いました。

 

でも、それよりも何よりもなぜそのようなシグナルでなければならないのかも含め相手が自分で咀嚼する余裕を与えていない、つまり「思考停止」にさせているところが一番の原因では・・・と「奇跡のレッスン」をみて思った次第です。

 

前編でとても感心したシーンがありました。それはコーチの方が与えた課題を選手が実行できなくて何度も失敗を繰り返し混乱している場面で「いいぞ、混乱しているということは自分で考え始めたということだからね」というシーンです。普通なら混乱をネガティブなこととして一蹴して「叱ったり」しそうですけど、そうではないまさに「自分で考える」という一生役に立つ道具を手に入れた瞬間としてポジティブに後押しする・・・素晴らしいことですね。

 

ここに、問題を与えられて答えを出すという勉強だけでは絶対に得られない貴重な学びの瞬間があるように思います。つまり何が問題なのかも含め自分で考えるということです。自分も親としてこの貴重な瞬間を子供から奪って先回りして叱責しているのではと思ってしまうこともあれば、審判員としても当たり前のように自分が期待していることやダメ出しを他の審判員の方に一方的に伝えていることが、ままあるなということを再認識しました。

 

さて今日の「奇跡のレッスン」にもいい言葉が沢山ありましたね。

 

「対話できる人がリーダー」

「強制されるのではなく自分がやりたいという気持ちが大切」

 

等々。

 

まずは自分なりに実践したいと思うわけであります。

 

では、I'll be back.