ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

「ハンドにすべきか。すべきでないか。それが問題だ。」後編

(前編の続き)では、ボールを「意図的に」手または腕で扱う、事象を具体的に検証していきましょう。そしてなぜ、時に異なる判定になるのか(ハンドになったり、ならなかったりするのか)その原因に迫りたいと思います。

 

そこでまず、「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」を見てみます。

第12 条 ファウルと不正行為


ボールを手または腕で扱う


競技者が手または腕を用いて意図的にボールに触れる行為はボールを手で扱う反則である。主審は、この反則を見極めるとき、次のことを考慮しなければならない。
ボールが手や腕の方向に動いているのではなく、手や腕がボールの方向に動く。
●相手競技者とボールの距離(予期していないボール)。
●手または腕が不必要な位置にある場合は、反則である。
●手に持った衣服やすね当てなどでボールに触れることは、反則とみなされる。
●サッカーシューズやすね当てなどを投げてボールにぶつけることは、反則とみなされ
る。

(下線筆者)

 

実は私はこのガイドラインにある有名な一節「ボールが手や腕の方向に動いているのではなく、手や腕がボールの方向に動く」こそ、ハンドの判定基準を不安定(場合によってはハンドなのに反則として判定されていない)にしている「元凶」と考えています。

 

どういうことかと言うと、ボールを「意図的に」手または腕で扱う、と書かれていても「意図」は事象にならない限り目に見えるものではありません。その「意図」が最も可視化された事象が「手や腕がボールの方向に動く」ということです。

 

手や腕が意思に反して動いた、とは言えませんので、このガイドラインの「元凶」は「ボールが手や腕の方向に動いている」にあります。この「ボールが手や腕の方向に動いている」ケースではすべて「意図」がないと言い切れるでしょうか?

 

やはりこの「意図」を事象として理解すること、この「意図」をしっかりと判定の中心に据えることが重要だと思います。

 

この「意図」という言葉に(改定の目的とは別に結果的に)より重きが置かれることになった以下のガイドラインの変更を皆さんはご存知でしょうか?

 

 第12条 - ファウルと不正行為
競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン - 懲戒の罰則
(スコットランド協会からの提案)

現在の文章


懲戒の罰則
競技者が次のように意図的にボールを手ま
たは腕で扱ったとき、反スポーツ的行為で
警告されることになる。

●意図的かつ露骨にボールを手または腕で
扱って、相手競技者がボールを受け取る
のを阻止する。


新しい文章


懲戒の罰則
競技者が次のように意図的にボールを手ま
たは腕で扱ったとき、反スポーツ的行為で
警告されることになる。
●意図的にボールを手または腕で
扱って、相手競技者がボールを受け取る
のを阻止する。

 

(下線筆者)

 

この改定は国際サッカー評議会(IFAB)の第126回年次総会で決定されたものです。「露骨」という言葉を削除したわけです。改定の理由の詳細は2012年版の競技規則を参照していただくとして、簡単にいえば「露骨」は現象として把握しづらく、それよりもハンドしたことの結果が重要であるというようなことが書かれています。

英文を読むとこの「露骨」は"blatant"という単語が使われています。小学館プログレッシブ英和中辞典によると訳語としては「見え見えの」とか「見え透いた」という表現になっています。

「手や腕がボールの方向に動く」という現象はまさにblatant(見え見え)ですよね。だから判定に迷うということもないはずです。逆に「ボールが手や腕の方向に動いている」という一節の罪なところは、「見え見えではないけどハンドの反則である」と判断するための視点を阻害しているところにあります。

 

なので乱暴に言えばこの「ボールが手や腕の方向に動いているのではなく、手や腕がボールの方向に動く」の一節をひとまず忘れてください。

 

で、見え見えではないけど、明らかな意図をしっかり捉えましょう。

 

この「意図」という言葉は英語ではdeliberateとなりこの訳語は『オフサイド - ターミネーターしか判断不能か?~後編③』の回で詳しく紐解いてみました。ちょと(長文ですが)再現してみると:

 

このdeliberateとい単語を(私が一番信頼している辞書の一つである「小学館 プログレッシブ英和中辞典」で)調べてみると、類義語が三つありました。

①willful  身勝手な;我執から出た故意の

②intentional 偶然ではなく意図的な

③deliberate 行為の意味を承知の上で意図的な

 

どうでしょう。この「意図的な」という言葉は「ボールを意図的に手または腕で扱う」のいわゆるハンドの条文にもあります。この英文は「handles the ball deliberately」です。競技規則においてこの「deliberate」という言葉が共通して使われているんですね。

 

ー 中略 -

 

私も「意図的に」を単純に「偶然ではない」という意味で捉えていました。でも、今回、②と③の英単語を比較したとき、よりdeliberateの意味で(②のintentional との違いで)「意図的」を理解しておくことが大切と感じました。』

 

以上『オフサイド - ターミネーターしか判断不能か?~後編③』の回からの引用です。

 

このintentional =「 偶然ではなく意図的な」ではなくdeliberate=

「行為の意味を承知の上で意図的な」なという単語が選ばれた意味は大きいです。

 

この理解に立って考えるなら例え「ボールの方から勝手に手や腕にやって来て当たった」事象でも「その位置に手や腕を置いている」ということでハンドの反則が成立するということです。その位置に手や腕が「偶然(のようにカモフラージュされている)」あることがある意味プレーヤーにとっては、その位置でなければならない「必然」になり得るということでもあります。

 

極端かつ、あまり良い例えではない以下の情景を想像してください。あなたがもし誰かの顔面に向けて拳を突き出して当てたら、「殴った」とうことになります。少なくとも「相手が拳に向かってきた」とは言えません。一方で、今あなたが全力疾走で走っているランナーが周回しているトラックの内側にいて、拳をトラックにむけて突き出していたらどうでしょう?ランナーの顔の高さに突き出された拳ならランナーの顔面に当たるか、ランナーはあなたの拳を避けて走るでしょう。

 

後者の場合「相手が拳に当たってきた」とあなたは主張できます。でも意図はないとはいえませんよね。

 

ここまで極端な例えにしたのは「ボールが手や腕の方向に動いているのではなく、手や腕がボールの方向に動く。」だけでハンドを判断しようとすると「意図」を見落としてしまう危険があることを再度強調したかったからです。

 

さて話を実際のプレーでの例にすると、一番起こり得る「見え見えでないハンド」は以下のような事象です。皆さんも一度ならず(TV放送などでも)目撃したことがあるはずです。

 

「見え見えでないハンド」事象例:

 

攻撃側選手はボールをペナルティエリアのサイドまでドリブルでもってあがっている。守備側選手は突破されまいと執拗にはりつきボールを奪おうとしている。その時、攻撃側選手はフェイントをかけてゴール前にいる味方選手に鋭いクロスボールをあげようとボールをキック。ところがそのボールが、攻撃側選手にスライディングタックルをしかけた守備側選手の大きく拡げた片腕に当たってコースが変わりゴールラインを割った。

 

あなたなら、コーナーキックにしますか?ハンドにしますか?

 

私が主審なら120%ハンドにします。「ボールが手や腕の方向に動いている」という現象にピッタリ符号するのにです。

 

では、他の要件はどうでしょう?

 

●相手競技者とボールの距離(予期していないボール)。
●手または腕が不必要な位置にある場合は、反則である。

 

守備側選手はとても攻撃側選手に近いですね。腕にボールが当たるのを避ける余裕はとてもなかったといえます。ではそれは予期できなかった、と言えるでしょうか?

 

答はノンです(なぜいきなり、おフランス?)

 

上記の事象例の場合、守備側選手が何とも避けたいのは(=意図)ドリブルで突破されることやゴール前にクロスボールを上げられることです。

 

ボールを奪う、もしくは自分の体に当ててボールを止める。そのことに全力を尽くすでしょう。身長を倍の高さにしたり、体を倍の幅にしたいくらいです。

 

腕を伸ばすことはまさにこの体のサイズを大きくしてボールを止める、という意図の現れです。「両手でバランスをとっている」という主張もあるでしょう。でも両腕を背中に回しても、いくらでも体のバランスはとれます。「つい無意識にやってしまった動作」とも主張できるかもしれません。で、その腕にボールが「偶然」当たったんだと。

 

例え無意識に出た動作でも、やはり「意図的」です。なぜならこの動作を偶然にしてしまったら、サッカーで使えない腕や手で最大の攻撃の機会を防いだことになる。つまり結果の重要度が無視されてしまうことになるからです。

 

まだ釈然としない人のためにこんなエピソードを。

 

ある強豪といわれる少年サッカークラブの守備陣が大事な公式戦を目前にしてこんな指導をコーチからうけていました。

 

「いいかクロスボースがあがりそうな場合、ボールに向かってタックルしながら両手を翼のように広げろ」

「はい!」

「ちがう!もっと体のバランスをとっているように上向き斜め45度よりちょっと下で腕を広げろ。あくまでも自然な位置だ」

「はい!」

 

上記練習風景はもちろん私のフィクションです。

 

ただ、このようなことが何らかの形で選手のプレー意図になる可能性はありえます。

 

「クロスボールがあがるな。ここは腕を拡げておこう。当たればラッキー」という思惑です。

 

 

というわけで、このあたりのプレーを厳しく判断するプレミアなどでは守備側選手がよく腕を背中に回している光景がみられるわけです。クロスボール防いでPKをとられたらたまらないというわけです。

 

これはまさにガイドラインの「手または腕が不必要な位置にある場合は、反則である。」にあたります。この文章の要である「不必要な位置」の「不必要」は若干理解に悩むことばです。つまり何が「必要」で何が「不必要」かということです。

 英文をみると、

• the position of the hand does not necessarily mean that there is an
infringement

となっています。

 

え?あれ?この英文素直に訳すと「手の位置は、必ずしも違反があることを意味するわけではない」なんですけど。なぜ、ガイドラインのような日本文になるんでしょうか?

 

実はこの一節も罪作りな表現です。よく、昔は手があまり体から離れていなければハンドではない(の意図はない)との見解がありました。そうでないことは、仮に走りながら「必要な位置に」腕がある時に来たボールを肘でさりげなくコースを変えたりした場合なんか考えるとわかります。

 

この「必要な位置」の代表事例はペナルティエリア近くからフリーキックの時に守備側選手が壁を作る時の腕や手の動作です。自分の顔面や急所をボールから保護するために体の正面に腕や手を持ってきますよね。

 

ただこの時でさえ、「必要な位置」に腕や手があることがハンドの反則の免罪符になるわけではありません。主審は常に手や腕がどのような動作を行いボールに対してどのような影響を与えたか見極める必要があります。

 

「手または腕が不必要な位置にある場合は、反則である」は英文のガイドライン「手の位置は、必ずしも違反があることを意味するわけではない」を巧みに意訳した文章といえるかもしれません。

 

 

 

さて、ここまで見てきてガイドライン総崩れ、ってわけじゃないですけど、私的には今よりもっと明確かつ適切な表現があるように思います。より選手のプレーの「意図」を捉えることを中心にすえたガイドラインにできるはずです。

 

このような競技規則やガイドラインについて提案された変更や代案を協議決定する役割は前述の国際サッカー評議会(IFAB)が担っています。IFABはUK(いわゆるイギリス)の4つのサッカー協会(イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド)およびFIFAの役員で構成されています。

 

よくイングランド協会からの提案とかスコットランド協会からの提案と競技規則や解釈の改正文にはかかれていて、「日本はないのかよ?」と思ってしまうこともあると思います。やはりサッカーにおいてUKは特別な場所のようですね。

 

私は近い将来、この「ボールを手や腕で扱う」ファールについて、よりよいガイドライン条文に改定されるのではと思ってます。

 

オフサイドはサッカー初心者にはわかりづらい反則なのにハンドはすぐに理解できる反則ように思えます。

 

でも、意図には関係なく現象のみで成立するオフサイドと異なり、逆にハンドの見極めは常に難しい課題であるかもしれません。

 

今回は明確な結論めいたものはなくちょっと皆さんにも考えてもらうきっかけになればと思い、ついつい冗長な文書になってしまいました。お付き合いいただき感謝です。

 

では、I'll be back.