ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

「ゼロ・グラビティ」にみるサッカー主審の抗い難い運命とは?

いきなり映画の話になります。

 

本日(ってもう昨日ですね)「ゼロ・グラビティ」を観ました。

 

昨年「エリジウム」を観に行った時に、突然この映画の予告編を目の当たりにして本編が霞んでしまうほどの衝撃でした。もちろんその時は3Dではない。

 

で、今日はIMAX3D。ウーン凄い。

 

お話自体はとてもシンプル。映画を観終わって出てくるときに、2人連れの会話が聞こえてきて曰く「3Dで見たら面白いけど、(そうでなきゃ)どうなんだろうね」。

 

3D=形式

ストーリー = 内容

 

ってことでしょうね。形式(フォーマット)が変わったら内容がシンプル過ぎってってことでしょうか。まるで70年代のパニック映画のようなとか・・・。

 

これ、ごもっともな様で、違うなと思うのは、この映画に限って言えば「形式(=3D)」は「内容(=ストーリー)」以上に映画の必須要素になっているということです。で、年末から正月にかけて(構造主義に傾倒していた時代の)ロラン・バルトの著作を読み返している影響か、深読みすればこの映画は全編に「記号」が溢れていますね。「共示的意味作用」がそこかしこに。(詳しくはバルトの一連の著作をお読みください)

 

さて「エリジウム」は地球(スラム街)から宇宙(ユートピアである人工衛星)を目指す設定だったけど、「ゼロ・グラビティ」は宇宙(無人の人工衛星)から地球(暖かい故郷)を目指す設定、てなことを考えながら、本日は一体サッカー審判と何の関係が?と思われていることでしょう。

 

この映画、上映時間が91分。で、破壊された人工衛星の破片が地球を周回する時間が90分。これって前後半45分のサッカーの試合と同じ。

 

って無理やりサッカーの話に関連付けているわけではなく、この映画を見ている時にサッカーの審判やっていることを突然思い出したんですね。無理やりじゃないですよ。

 

それは破壊された人工衛星の破片が「凶器」となって同じ軌道に浮かぶシャトルや人工衛星に向かって高速で飛んでくるシーンでのこと。避けようのない雨あられの如く「降り注ぐ」わけです。

 

ここで何を思い出したって?それはプレーに巻き込まれてボールに当たってしまう自分の姿。主審の姿なんですね。はは。

 

実は伏線があり、1月1日にあったプレミアリーグ第20節、マンチェスターユナイテッドトットナムの試合でのこと。主審のハワード・ウェブさんがボールに当たっているんですね。あの、ハワード・ウェブさんがですよ。ワールドカップ決勝戦の主審を務めたハワード・ウェブさんがですよ(くどい)

 

主審がボールに当たるって恥ずかしいんですけど、ハワードさんも当たるんです!

 

よくプレーの予測がついてないから、プレーに巻き込まれる、ボールに当たるなんてもっともらしいことが言われるわけですけど、これって「ゼロ・グラビティ」での90分後に地球を一周してきた衛星の破片が来ることが分かっているのに避けられない状況に似ているような・・・うん?全然違う?

 

以前、『サッカー主審の動き - 言うは易し行うは・・・後半』でもプレーの予測云々って書きましたね。でも当たるんですよ。プレミアリーグ主審でUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦の主審でFIFAワールドカップ決勝戦の主審でもあるハワード・ウェブさんでも。ボールから逃げることができないんですよ。

 

ボールに当たる時は、ハワードさんといえどもベスト・コンディションではないらしく判定に対してルーニー選手は文句つけるわ、試合後にモイーズ監督からもペナルティキックにならなかった判定に文句つけられるわ・・・まあ異議申し立てされただけですけどね。

 

まるで重力に抗うことができないように、ボールに魅入られたかのように当たってしまう。

 

と言っても私とハワードさんではレベルが地上と宇宙程の差がありますけどね。

 

とまあ、本日はサッカー審判実務に役立つことゼロ。失礼しました。

 

ゼロと言えば今日(もう昨日)観た「ゼロ・グラビティ」は邦題。原題は「グラビティ」。ラストシーン観るにつけ、色々な人がご指摘の通り、原題がまさに監督の意図。主役は「無重力」ではなく「重力」ってお話なんですね。

 

では、I'll be back.