ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

人命よりルール順守?ルール順守なのに警告?そしてコーナーキックに我思う(後編)。

さて、それでは野球のトリックプレー「隠し玉」です。

 

審判の視座だけでなくプレーヤーの視座から(そして観客の視座にも繋がるかと思われます)トリックプレーを検討してみるために筆者の経験である「隠し玉」について触れます。

 

御存じのように「隠し玉」とは野球で攻撃側競技者(ランナー)が塁上にいるときに野手が投手にボールを返さず(または返したふりをして)、それに気づかず塁を離れたランナーにタッチしてアウトにするというプレーです。この場合ルールを順守しなければ投手はボークをとられアウトが無効になるどころか次の塁にランナーを進めてしまうことになります。

 

公認野球規則

ボーク

8.05 塁にランナーがいるときは、次の場合ボークとなる

(中略)

(i)ピッチャーがボールを持たないで投手板に立つかこれをまたいで立つか、あるいは投手板を離れていて投球するまねをした場合。

 

というわけで、投手は隠し玉の「共犯」となるときには以上の様な動作を行って相手競技者を騙すと反則となるわけです。ですのでボールを隠し持つ野手と投手の共演力が問われる、逆にいえばそれを演じる楽しみがあるわけです。で、私が成功させた隠し玉は以下の通りです。

 

中学三年生の最後の公式戦での一回戦のこと。私は二年生まで守っていたセカンドからショートにコンバートされていました。トリックプレーを行う機会が訪れたのは試合中盤の頃、相手チームの打者が二塁打を放った時です。私は外野から返ってきたボールを掴むとなにげなくグラブに収めました。この時すでに「隠し玉」をやろうと決めたのです。このプレイはサインプレイではないので、味方投手がすぐにそれを察するかが成功の要件となります。投手のM君(彼はどこか風貌が野茂投手の様な感じで、闘志を内面に秘めた温和な性格でした)はボールけ受け取ろうと私の方にグラブをかざした瞬間に、私がグラブにボールを収めたままアウトカウントを叫んでいるのを見るや私の意図を瞬時に読み取りました(その時の彼の表情やしぐさは30数年経った今でもはっきり覚えています)。

 

彼はマウンドから降りながら外野に向かって「ツーアウト」とアウトカウントを確認しています。お膳立ては揃いました。あとはいつタッチにいくかタイミングを計るだけ。

 

このタイミングを決めるのが最後の山場で、当然ですけど「隠し玉」は相手の「不注意」つまり本来ボールの行方を見失わず集中していなければならない相手競技者(またはベンチやコーチ)の隙をつくので、同じ試合では一回しか、もっと言えば他のチームが視察に来ていることを考えれば、同じ大会では一回しか成功させるチャンスがありません。

 

ボールが投手に返っていると思い込んだ2塁上にいたランナーはいわゆるリードをはじめ、それを待っていた私は彼の背後に回るような位置に徐々に移動。そしてほぼ彼の背後に回り込み2塁ベースまでの距離を確認して突如動きだしました。その瞬間ランナーもそれに気付いて慌ててベースにもどろうとして競争になります。が、ボールを収めたグラブを伸ばしながらヘッドスライディングした私のタッチが間一髪早く、見事?「隠し玉」は成功とあいなりました。

 

実は当時は上記のような規則を読んでいたわけでなく、隠し玉をする場合には投手はマウンドを降りていなければならないというのが私たちの暗黙の了解でした(でこれは当時の指導者の方々のルール解釈からきていました)。

 

投手がマウンドを降りていれば当然ながら、プレートを踏むとか、またぐとかの行為はしようがありません。またバッターに対して投球するマネも基本できないです(これには牽制動作も含まれると考えるのが妥当かと思われます)。

 

とまあ、長い描写になりましたけど、この時アウトにしたことは30数年経った今でも忘れてないわけですから、そのカタルシスや「どやー!」って感じ以上です。

 

そもそも投手にボールが返ってないなんてのは見落とされるわけがないのですけど、人間とは不思議なもので、ある動作の次には必ずいつもの動作がくると思い込んでいるので見てもないのに「いつの間にかボールはピッチャーに返ったのか」と自分を納得させているわけです。

 

このようにランナーだけでなくベンチを、観客を、また場合によっては味方までをも騙すこの隠し玉、「カーイカーン!((古ッ!)」なプレイなわけです。

 

さて、コーナーキックのトリックプレーと比べてどうでしょうか?共通点も多いですよね。

 

ひとつは固定概念を逆手にとっているってこと。コーナーキックというのはまずキッカーがコーナーアーク内にボールを置いてフィールドの外からボールに向かって走り込んでキックする。次に・・・。ってな共通認識があるかと思います。

 

ですから中編でお話したルーニー選手のようにゴールに背を向けたまま足の裏でボールを転がすなんてことをやられても、だれもコーナーキックが開始されてインプレーになったとは思わない、まあ言わずもがなです。

 

一方で「隠し玉」との違いですけど、そもそもサッカーと野球とういう競技の違いはあれど、あえて比較すると「隠し玉」の場合は味方競技者(この場合投手)は通常とは違う行動が求められます。つまり投手板を踏む、またぐ、投球のそぶりを見せるなどが禁止されるわけですね。これは逆にいえば、塁にいる攻撃側競技者が常に投手が投手板を踏むとかまたぐという行為をするまでは決してベースを離れないということを守っていれば、「隠し玉」でアウトになることはないわけです。攻撃側競技者が集中力を高め相手の意図を見抜けばトリックを無効に出来るわけです。

 

片やコーナーキックの場合にはキッカー以外の味方競技者の動きが制限されるわけではないので、そもそもキッカーのとった行動が「ボールをけって移動させた」のか「それ以前の動作」なのかは審判員がどう判断するかにかかっています。

 

守備側選手が「お前らのやったことは全部お見通しだ!」と思っても審判員がインプレーと認めたら、無効にしようがありません(察知した時点でボールを奪いに行くという選択肢はありますけど)。

 

とすると、審判員としてはそのキックをインプレーになる動作とするのかしないのかの基準が大切となってきます。

 

ルーニー選手がやったトリックコーナーキックに話をもどすと「ゴールに背を向ける」とか「足の裏でボールを転がす」という行為自体は問題にならないように私は思います。

 

問題はこの動作がボールをコーナーアークまで足で転がしながら運ぶという動作と断絶なく一連の動きだったということです。どこからがキックの開始点なのか、動いているボールを止めた終点なのか。これが不明瞭なのです。

 

ルールを順守ということであれば、ゴール方向から足で運んできたボールをコーナーアーク内で一瞬止めた後にコーナーアーク内でコーナー方向にちょこと足で転がしても「インプレー」ということになります。

 

やはりこのようなプレーを「ボールが移動した」とは認められないのは、これがコーナーキックの開始とするなら姑息としか、いいようながなく、それはフェアなプレーとはいえないからです。

 

ここでいう、姑息なプレーかそうでないかの意味は、「トリックプレーをしかける競技者も守備側競技者と同じようにリスクを負っている」かどうか、リスク配分が攻撃側にとっても守備側にとってもフェア(公平)かどうかということです。

 

さきほどの野球の「隠し玉」でいえばトリックを仕掛ける側はボークの反則をとられるリスクやそれがバレて恥をかいてしまうってなリスクもあります。

 

トリックコーナーの場合は、相手が気付けば「まだインプレーになっていない」と強弁してしまえるような逃げ道が用意されているように思えてなりません。どちらにしてもコーナーアークの外に出せば、審判員がインプレーを認めない場合(=つまりボールがコーナーアーク内に置かれていない)にはやり直しとなるだけで、野球の場合のようにランナーを次の塁に進めてしまうという不利益も被りません。

 

というわけで、キックの始点が不明瞭なプレーは基本インプレーに繋がる動作とは認めるべきではなく、場合によっては反スポまたは(状況や時間帯によっては)遅延行為で警告とすべき場合もあると思います。その判断基準は非常に難しくはありますけど。

 

さて、この判断は難しいからこそ事前の打ち合わせや主審と副審の連携が大切になってきます。

 

どのようなキック動作ならインプレーと認めるのか、微妙なプレーの場合のインプレーの判断をお互いどのように確認し合うのか等々です。

 

ここまで色々書きましたけどまとめとして:

 

1.トリックプレーは当然ながらルール順守しないと無効。

2.トリックプレーは仕掛ける側にも見る側にも魅力的。

3.姑息なプレーはトリックプレーと認められない。

4.姑息とはリスクの負担が攻撃側と守備側で不公平なこと。

5.審判員は魅力的なプレーと姑息なプレーを瞬時に見分ける力が必要。

 

ということになりますでしょうか。

 

あと付け足すなら、このようなトリックコーナーキックを含むトリックプレーを小学生がやるべきか否かって議論もあるかと思います。

 

「隠し玉」の経験に話をもどすと、私の野球少年としての青春は2回戦で終わりました。2回戦であたったチームは地域ナンバーワンの実力チームでした。で、実は勝負は試合前からついていたとも言えました。というのは試合前に彼らのボール回しの速さと正確さを見た時に、基本技術のレベルが全然違うことを再認識したからです。トリックプレーは一瞬の花にはなっても太い幹や大地に深く張る根にはなりません。

 

やはり基本技術の高さあってのプレーである。そしてどんな競技でも基本動作をより速くより正確にできることが根本的な技術そして力の差となることを思い知った中学三年の夏でした。(そしてこれが「世界との差」といわれるものの正体でもあると思っています)

 

 ここまで書いてきましたけど議論が出尽くしたようにも思えないので、このトリックプレーについては、また機会をあらためて書きたいと思います。

 

さて、最初の「列車事件」に再び話をもどすと、あの場合車掌さんと駅員さんは優れた主審と副審の連携のようにコミュニケーションをとりながら定時運行リスクを最小限にし(ちなみに私がリスクという言葉使う場合それは「意図したことと現実に発生したことのギャップ」という意味で使っています)同時に安全乗降リスク要因を想定し臨機応変に、そして審判員が選手の安全を最優先にゲームをコントロールするように乗客の安全を最優先し列車運行をコントロールしていただきたいと思うわけです。

 

今回はコーナーキックの話でした、念のため。

 

では、I'll be back.