ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

サッカー審判員は常に「当事者」であるべし!の巻。

この週末は久しぶりの実戦、それも初めて経験することが多々あった3種の公式戦でした。

 

この試合については色々と学ぶことが多く「まだまだ知らないことが沢山あるな~。」と思い知らされた次第です。豊富なネタ満載のこの試合についてはあらためて詳細に記事にしたいと思います。

 

さて、今回思ったことを。それは当たり前ですけど、審判員はやはりフィールド上の審判ぶりで評価されてナンボということです。私なんか偉そうに?記事を書き綴っていますけど、審判員としては未熟も未熟。というか、いくら審判について専門的な知識を持っていたり語れたりしても、審判員としての評価は試合においてどのように実行できたかどうか、の1点ということです。

 

これには1級も2級も3級も4級もないですね。4級の審判員の方が3級の人より2級の人よりある試合を上手くコントロールできた・・・というのはあり得る話です。逆に「俺の方が上級なんだから・・・」って姿勢で話されても、試合での審判ぶりが??な状況であれば・・・説得力ないですよね。

 

で、最近仕事においてもすでに「年寄」のカテゴリーに入っているであろう私が心に留めていることがあります。それは、ちょっと単純化し過ぎなんですけどある組織の中にいる人を「能力」と「経験」の掛け合わせで分類すると以下の四つのパターンに分かれるということです(ここでいう「能力」とは、自分で見たり聞いたり感じたり実行したりしながら関わってきた事象すべてを「経験」とした場合に、その人が今の時点で持っているあらゆる技術、精神力、思考力、体力、コミュニケーション力等の総体とお考えください。また求められる「能力」とは属する組織によって異なるので万能というものではありません)。

 

① 能力があって経験もある = 即戦力、主力

② 能力があって経験はない = 金の卵

③ 能力はなくて経験はある = 「害」をおよぼす人

④ 能力も経験もない    = 戦力外

 

①でありたいと思いつつ、審判員における私は鍛錬を怠ると④で終わってしまいます。で、日々の営みで同時に注意しているのが③にはならないようにすることです。実はこれはだれにでも起こり得る「落とし穴」ではないでしょうか?

 

ひとつ念のために書きますけど、決して「経験」を「能力」より下に見ているわけではないのです。「経験」を積むことは何事にも代えがたい貴重なものです。また「経験」を通じて能力は磨かれるはずです。ですので上記にある「能力がある」とは「能力を磨こうとしている=向上心」と読み替えて頂いて結構です。

 

逆に「能力がない」状態とは謙虚に自分を見つめなおして自分を磨こうとすることを忘れてしまっている状態ということなのです。

 

例えば周囲や「上」を批判したり論評しているうちに、実は自分が気づかぬうちに仲間や部下に悪影響を与えて組織停滞を招く足枷になっている・・・なんてサラリーマンの方でなくとも身に覚えがあるのではないでしょうか・・・。そう、この時点で「当事者」であることを忘れ、上から目線のまま謙虚さを失ったまま他人の批判には舌鋒鋭く、自己認識は鈍い・・・なんて「くわばらくわばら」ですね。

 

というわけで、やはり試合で自分を磨くしかないわけです。自分でリスクをとることだけが、そして「当事者」になることだけがサッカー審判員を審判員たらしめる最低要件だという気づきを得た私でした。

 

では、I'll be back.