ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

「世界は我が表象である」けれど、勝手流はダメ~よダメダメ。

話は数日前、1月3日に遡ります。

 

その日、我が家の先祖神が祀られている神社に家族を代表して一人で初もうで。いつものようにおみくじ引いたり、安全祈願の木札を頂いたりして自転車で帰ろうとしていた時のこと。

 

いつも通るちょっと変則的な交差点で赤信号待ちしていたら、横にいた同じく自転車に乗ったお母さんと坊やのやりとりが聞こえてきました。(と言ってもお母さんが一人坊やに話かけているわけですけど)。

 

その交差点はいわゆるスクランブル交差点になっていてその時、歩行者用の信号機は赤。そして右側の車用の信号機も赤でした。つまり左側の車用信号(といっても私たちの場所からはほぼ真上にあるので、そのままの位置からはその信号機が何色かはわかりません)以外は目視できる範囲では全て赤という状態。

 

お母さん「あれ、車の信号機も赤だね。全部赤だね。うん、全部の信号赤だから渡っていいんだよ。行こう。」

私「…。」

するとその瞬間、右側の車用信号が青になりました。

お母さん「あっ、青になった」

で、お母さんと坊やが乗った自転車はそのまま渡りきり向こう側に真っすぐ進み消えて行きました。

 

うーん、お母さん先を急ぎたかったんでしょう。全部の信号赤だから、歩行者用信号赤でも、進めでいい…ちょっと無理が(苦笑)。思わず心の中でツッコミ入れながらお母さんの「自己流解釈」で何事もなかったことにホッとしながらも、坊やの行く末が心配なような…。

 

とういうのは、これまた私が筋トレジムの帰りに通るT字路があってそこでを横断する場合私は常に目の前の歩行者信号がたとえ青になっても向かって右側から車が来ないかを確認してから渡るようにしています。

 

なぜならその信号機は時差式なので右側の信号機が赤になっても(つまり反対側の車線、向かって左から右への交通は止まっても)手前の車線(つまり右から左への交通)では依然信号機は青で車は止まらないからです。それどころか赤になるギリギリで車が進入して結構なスピードで走り去ろうとすることもしばしばなので、目の前の歩行者信号が青になった瞬間すぐに渡ろうとすると・・・背筋氷ますね

 

というわけで話長くなりましたけれど、自分から見える車用信号が赤だから進んでよしという理屈は成り立ちません。全ての信号赤なので、歩行者用信号赤でも横断可能の解釈はもうまったく成り立ちませんよね。

 

でも、こうやって書くとそんなムチャクチャ解釈しないよと思われるかもしれませんけど、これた似たような状況、つまり自分がそう思いたいから事象を自分の意図に沿って都合よく理解する、もしくは理解不能のまま現実と向き合う状況から逃れたいのでこれまた自分なりの理屈で目の前の現象を処理するって傾向は誰でも陥ることなんですね。

 

大きな事例でいくと各種重大事故の過去のケース(例えば航空機事故や原発事故)でも報告されています。

 

さて結果の重大さが人命にかかわらないにしても私たちサッカー審判員も勝手な解釈は避けて常に競技規則やガイドラインの正しい理解に基づいて判断を下したり再開方法を指示したりする必要があります。

 

たとえばスローイン。投げ入れようとしたボールが頭上を通過する前にすっぽ抜けて

そのままフィールド外のグランドに落下した場合、私なら二つの再開方法を検討します。

 

1)ガイドラインに沿って相手チームのスローインで再開。

2)柔軟な対応(=つまり規則の適用例外を認め)により再度スローインさせる。

 

1)は以下のガイドライン条文の通り。

 

第15 条 スローイン
進め方 ― 違反
ボールがフィールドに入る前にグラウンドに触れた場合、スローインが正しい進め方で行われたのであれば、再び同じ地点から同じチームにより行われる。スローインが正しい進め方で行われなかった場合、相手チームがスローインを再び行う。

 

2)は競技者の発達レベル(小学生低学年とか)と意図(故意による遅延ではないとか)を鑑み選択します。

 

「ボールがフィールドに入ってないからインプレーになってない。だからもう一度スローインでOK」なんていうのは「勝手な解釈」ですからね。

2)を選択した場合、再開方法は勝手な解釈の場合と同じでもガイドラインの理解の上であえてそうしているかではゲームコントロール上では結果は全く異なります。(柔軟な対応の場合、異議が起こることにたいして自信と説得力ある応対が必要なこともお忘れなく)

 

えーっと最初は信号機の話でしたね。とにかく印象深い光景だったので筆をとったというのが正直なところです。何事も事象を都合のいい解釈で「曲げてしまう」のは避けましょうというお話でした。

 

というわけで3日の日は帰宅してから自宅2階の梁に木札をお祀りして今年の安全をあらためて祈願した次第です。

 

では、I'll be back.