ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

「カメラを止めるな!」ゴールかノーゴールかの先に。

ちょっと記憶が薄れつつも去年の夏にあった事例について触れます(自分にとってもちょっと反省しきりな事例だったので、すぐにアップするにはためらいがあったのです)。

 

それは社会人リーグで副審(A2)を担当していた時のことでした。

 

リードしていたチームのコーナーキックでした(A2側、つまり私の目の前のコーナーからのキックです)。いつものように争点はゴール前の攻撃側選手と守備側選手の位置関係、つまりオフサイドの判断を念頭に集中力を高めていました。

 

そしてそれは私にとっては突然の出来事でした。

 

「入った!」

 

その声の直前にボールはゴールキーパーの手によってゴールからはじき出されました。

今思えばボールの全体は空中で完全にゴールラインを越えていたかもしれません。

ただその時の私はそのような形でボールがゴールラインを超えるとは全く予期していませんでした。もっと言えばボールがゴールラインを超えたか越えなかったの判断を強いられるとも思っていなかったのです。逆に言えば得点される場面は予期していたのですけどそれはボールが完全にゴールネットに突き刺さるイメージだったのです・・・。

 

「エッ~!」という選手の声、そして私の方を見る主審の視線を感じながらベンチからは「笛が鳴っていなんだから続けろー!」とのコーチの方の声。

 

それでも私の手にもたれているフラッグがアップされることはありませんでした。プレーはそのまま続行です。その直後再度私サイドのコーナーキックとなりました。私が得点を認めなかった側の攻撃チームの選手がボールをコーナーアークにセットしながら呟いた言葉が耳から離れません。

 

「公正公平にお願いしますよ」

 

これにはもちろん反論ありです。審判員がどちらかのチームに加担するなんてことは絶対にないという自負があります。ただ一方で自分は正確に事象を捉えていたのか?ということにたいして負い目があったのも事実なのです。私はその選手の言を否定しながらも自分が副審として最高のパフォーマンスを発揮できたかどうかには自信が持てなかったわけです。

 

ゴールの見極めには集中力が必須です。そう、まさに審判員は近づいたり、角度を付けたり、フォーカスしながら事象を「撮影」し続けなければなりません。カメラを止めてはならないのです!

 

そして同時に予断をもって事象を勝手にパターン化してはならないのです。私が行ったように「得点シーンはボールがゴールネットに突き刺さる」と限定してはならないのです。そうカメラがそうであるように事象を解釈なしにそのまま映し出すことも必要なのです(もちろん同時に解釈も必要なのですけど)。

 

「この場面では得点はないだろう」「ここからシュートはしないな」「この角度でシュートされたボールが得点になることはないよ」ということがよりよい距離、角度、ポジションから事象を見極めようとすることの大きな足枷になるのです。そう、まさに「予断」大敵なのです!

 

画像録画やVARやゴールラインテクノロジーがない私のようなレベルの審判員では試合後に遡って事象が正確にどうだったかをレビューすることは出来ません。なのである意味自分という「カメラ」しかも再生不可能なカメラで全力を尽くす必要があるのです。

 

審判員は常に得点だったのかそうだったのかも含め全力を尽くして見極める必要があります。今回は出来なくても次回こそ!というのが審判員の持つべき向上心であり、それが審判員としてのあるべき姿勢なのです。

 

ミスプレーが選手を育てるように誤審が審判員を育てることもあります。プロならなおさらです。ひとつひとつのプレーに「人生をかけている」のがプロのサッカー選手だとしたらサッカー審判員だって「人生をかけている」のです。サッカーにかけてその先の夢を追い続けているのは選手だって審判員だって立場は違えど同じなのです!

 

オウンゴールしたくてオウンゴールしている選手など一人もいないように誤審したくて誤審している審判員など一人もいません。

 

もちろんミスをした選手や審判員にはフィールドの内外から非難がよせられることは承知しなければなりません。だからこそフィールドに立つサッカーを愛する同志として選手と審判員はお互いをリスペクトしあわなければなりません。そしてフィールドの中のミスでフィールドの外でリスペクトが失われるなんてことは絶対にあってはならないと思います。

 

時には嘲笑と揶揄を遠くに聞きながら、フィールドの中でサッカーの魅力を世界に向かって映し出す選手と審判員に向かって再度言いたい!カメラを止めるな!

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

興梠選手のPKフェイントとケネディ暗殺にみるVARの罠

またまた、しばらくぶりなのにアクセスが集まっているなあ~と思ったら・・・

興梠選手のPKフェイントが話題になっていたのですね。

 

浦和レッズ VS ヴィッセル神戸での試合開始10分での興梠 慎三選手が獲得したPKですね。

 

さて興梠選手のPKフェイント。私も何回も動画で確認させて頂きました。何の問題もございません。

 

以前のこちらの記事もご参照ください→ 「PKもしくはPK戦における「正当なフェイント」と「不正なフェイント」 」

 

 

「競技者が一度助走を完了した後、ボールをけるためにフェイントをする(助走中のフェイントは認められる)。主審は、そのキッカーを警告する。」

 

付け加えるなら「助走を完了」とは「ボールを蹴り始める体勢になった」ということです。この体勢になったらフェイントは許されません。つまり「ける動作」自体は一連の動作になっていなければなりません。一連の動作とは、けり足を止めたり、けるふりをしたり、蹴り始めている足があるのに、いきなり軸足にけり足を変えるとか(そんな動きが現実に可能かどうか。一方の足が蹴り始めていなければ、軸足(と思われていた)足でけること自体は問題ございません)を行わないということです。

 

ただ動画見直していた時に感じたことを一言。スロー再生していると興梠選手の軸足の動きが気になったりしたのですね。まるで軸足をずらしているかのような(実際軸足は動いています)。

 

でもこれは「ボールをけるためのフェイント」ではありません。ける動きは一連の動作になっています。フェイントを「相手を惑わす動作」という定義にすると助走まではその惑わしに成功、けり始めては惑わす動作にはなっていないのです。お見事興梠選手。

 

ここにVARの「罠」があるような。あのアジア杯でも議論を呼んだハンドリングの反則がVARで特定されたのは、スローモーション(ハイスピード)画像が人の目に「別の現実」を拡張してみせるのではという罠です。その昔ケネディ大統領の暗殺画像をスロー再生したら「トンデモ」解釈が出てきたようにです。

 

VAR恐るべし、という結論に至った興梠選手のPK。なんか変な方向にいってしまいましたね。

 

では、I'll be back.

サッカー審判員にとっての「見る力」~ その④

最後に記事を書いたのが去年の10月。随分とサボっておりました。で、その間実戦からも遠ざかり・・・週末に久しぶりに4種の副審を担当。

 

試合から遠ざかっていても、そうそうに体力が落ちたり、試合勘が鈍ったり、動作がぎこちなくなったりはしません(なってないつもり)けど、なんか抜け落ちるんですね。今回で言えばブッキングするのを忘れたり・・・継続は安定なりでしょうか。

 

さて3回に渡って書いた「見る力」について。前回ご紹介した自己流トレーニングの結果どうなった言えば・・・。

 

1)視野を広く持って今の争点から次の争点への予想を意識するようになった。

2)試合前には必ず眼球運動(視点のコントロール)をするようになった。

 

ということでしょうか。

 

正直、争点が以前よりはっきりと見えるようになったとかというと、これは眼球トレーニングだけで改善できることでもないと思います。それでも眼球トレーニングは自分の「見る力」の弱点とか機会点の発見につながり、なにより一番の効能は「見ること自体が楽しくなる」ということだと思います。それは見ることで情報量が増えることの楽しみとも言えます。選手の動きがファウルか通常のプレーか?ということだけでなく個々の選手の特徴的な動きとか顔の表情とか、そういったことも全部見てやろうという気持ちが以前より増したように思います。

 

さて、ここで話が脱線しますけど、実戦から遠ざかっていた間、筆者は何をやっていたかと言えば、映画館に通っていたのですね。実は大の映画好きである筆者は映画は映画館で観るものを自己ルールとし昨年は合計82本を観賞しました。洋画邦画なんでもござれのかなりの雑食性でございます。で、筆者的には映画が輝きその力が偉大だったのは1950年代までで、ほとんどのそれ以後の映画は過去の偉大な映画の遺産をなぞっているとものである(つまり引用とリメイクと同義)と思っています。とは言えチェーンソー持って追いかけるとか、遠い惑星で昆虫と闘うとか、宇宙で善と悪に分かれて戦うとか、家族全員犯罪者とか・・・の映画も好きではあります。

 

サッカーの試合で選手のプレーを見ることと映画を観ることは全くの別ものですけど、共通して気付くことがあります。それは自分の見ることのクセです。実は映画館でも視界にはスクリーンの映像が入っていながら、数秒間意識が飛んでいてセリフも話の筋も抜け落ちる瞬間がたまにあります。そう、私にとっての見る上での最大の課題は、映画鑑賞でもサッカー審判員を担当している時でも同じでそれは「集中力の持続」なんですね(^^)。

 

やはり見ることというのは難しいです。アジアカップでのVAR判定を引き合いに出すまでもなくカテゴリーやレベルに関係なく難しいのであります。修行は続く。そろそろ実戦再開です・・・。

 

では、I'll be back.

 

 

スローインは足の裏がついていなければならない?

前回の続きで「その④」を書く予定だったのですけど、週末の試合であったことを取り上げます。

 

今年に入って担当している試合のほとんどが1種、2種、3種のローテーション。で、今週末久しぶりに鬼審判部長Kさんの代役で4種の副審を務めました。

 

試合後、一緒に副審を担当したお父さん審判員の方が「このスローインってファウルですよね?」とご質問がありました。試合中私は気が付かなかったのですけど、主審の方と目を合わせながら「これって?」とお互いに思いながらもファウルかどうか確信が持てないのでフラッグアップしなかったとのこと。

 

それはどのような事象かと言えば、スローインの時に「片足がつま先立ちになっている」状態なのです。つまり「足の裏がグラウンドから離れている」状態なのです。面白いですね。これだから4種の審判員ってやめられません。選手も審判員の方も時にこちらの競技規則の理解が「甘い」ところを鋭く突いてくるプレーや質問を投げかけてくれます。今回も「競技規則を確かめてみましょう」とゴマカシながら即答を避けました。もちろん試合中にこの事象を目にしたら絶対反則とはしません。でもその根拠を競技規則の条文に求めるとしたら・・・120%の自信が持てない・・・アマイ!

 

お父さん審判員の方は「足の裏」がグラウンドについていなければならないと理解されていたわけですね。スローインは立って投げなければならない・・・という理解からするとバレリーナーのように爪先立って投げるとは考えられないのも確か。では競技規則です。先々週、届いたばかりの2018/19版から抜粋。

 

スローイン

(中略)

1. 進め方

ボールを入れるとき、スローワーは:

 

●競技のフィールドに面して立って、

●両足ともその一部をタッチライン上またはタッチラインの外のグラウンドにつけ、

● ボールが競技のフィールドを出た地点から、頭の後方から頭上を通して両手を用いて ボールを投げなければならない。

 

ちなみに今回の2018/19版より「立って」という言葉が追記されましたね。座ったり、膝立ちでは反則ということです。でも「膝立ち」だって「立って」んじゃないのという声が出るかも?知れません。なので次に英文の規則を抜粋します。

 

The Throw-in

(中略)

1. Procedure At the moment of delivering the ball, the thrower must

: • stand facing the field of play

•  have part of each foot on the touchline or on the ground outside the touchline

•  throw the ball with both hands from behind and over the head from the point where it left the field of play

 

これで分かるように「足」とは「foot」なんですね。「小学館プログレッシブ英和中辞典第2版」で確認してみるとfootとは「「足(くるぶしから下の部分)」と定義されています。なのでスローインのときに爪先立っていてもOKってことですね。で膝立ちはアウトです。

 

さらについでに書くと:

 

●ボールが味方競技者によって意図的にゴールキーパーにキックされる。

 

といういわゆるバックパスの反則の場合キックとはどのような定義になるか再確認してみましょう。上記の条文の英文は以下の通り。

 

 •it has been deliberately kicked to the goalkeeper by a team-mate

 

でこの場合のキーワードはやはり「kick」です。キックボクシングとかK1とかですと飛び膝蹴りなんて技がありますけどkickの定義を(英英辞典が手元にないので)オンラインのThe Cambridge Dictionaryで確認してみると「to hit someone or something with the foot, or to move the feet and legs suddenly and violently: 」とあります。なのでボールを蹴る場合は「foot」(「leg」ではない)=「足」でということになるので、仮に意図的に脛、膝、太腿で味方競技者がバックパスしてゴールキーパーペナルティエリア内で手を使ってボールを触れても反則にはなりません。脛なんかの場合揉めそうですけど、そもそも「意図的に」脛でボールを蹴ることの難しさを考えるとプレーが意図的なのかどうかの見極めも重要ですね。

 

ということで今週の復習でした。今回の競技規則解釈は広く知られて皆さんすでにご存じだったと思います。でも、今回の重要な学びは「理解しているつもりでも、いざある事象に初めて出会うと戸惑って(時には競技規則の適用を間違って)しまう」ということです。

 

理解➡経験➡再確認のプロセスを繰り返しましょう。

 

では、I'll be back.

 

サッカー審判員にとっての「見る力」~ その③

さて、では具体的なトレーニング方法の説明です。

 

その前に一言。このトレーニングの前提は下記のような独善理論となります。

 

1)人間には見ているのに見えていない画像がある。

2)両眼はカメラのレンズであり画像を見るためにはピントを合わせる必要がある。

3)そして画像を認識するためにはピントと一緒に意識を集中する必要がある。

4)一方である画像にピントと意識を集中するほど、それ以外の画像は見えにくくなる。

5)なのでピントと意識を素早く移動させる必要がある。

 

では、まず「両眼視トレーニング」から。

 

① 親指視点移動

② ブロックストリング

 

上記のふたつの方法は私は元WBA世界スーパーフライ級王者であった飯田覚士さんのムック本「見る力も脳も10歳若返る!! ビジョントレーニング」を読んで知りました。両眼視に問題があった私にはこの二つのトレーニング効果は絶大かつ即効性のあるものでした。私の両眼視は2週間程度のトレーニングで大きく改善されました(別に本の宣伝をしても私には何の得もない)!

 

さて①のトレーニング方法は同書の69ページに掲載されてますので、詳しくはそちらをご参照。簡単に説明すると目の高さで左手の腕を真っすぐ伸ばして親指を立て、その手前に右手の親指を立てたまま置きます。そしてピントをそれぞれの親指の爪の先に合わせることを繰り返すわけです。正しく両眼視出来ていれば左手の親指を見ている時は手前の右手の親指は2本(2重)に見え、手前の親指を見ていると向こう側の左手の親指が2本に見えるというわけです。

 

これは、どこでも手軽にできます(ただし列車の中など公共の場でやっていると「ヘンな人」と思われてしまう可能性大なのでご注意を)。私は最初うまく出来ず(つまりピントが当たっていない方の親指が2本(2重)に見えない。もしくはピントの移動がスムーズにいかない)にいたのですけど繰り返しやっているうちに出来るようになり、すっかりハマってしまいました。

 

さて②も同書に紹介されています。「ブロックストリング」は紐やロープを使って行う両眼視のトレーニングの代表で、同書では20~21ページにイラストで再現されています。やはり、実際に紐などを使ってトレーニングしたほうがやりやすいです。これは紐やロープの一方の先端を固定したまま一直線になるように手で持って、もう一方の先端を両眼の真ん中、ちょうど鼻先に付けます。そして紐にあらかじめピントを合わせる目印として通されたビーズ(通常は手前、真ん中、向こう側の三つ)に両眼の視点を合わせます。正しく両眼視できていれば視点で、つまりビーズの部分を中心として紐はX状に2本となり交差しているように見えます。

 

この「ブロックストリング」のトレーニングを行うと「両目で見るっていうのはこういうことか!」と納得し体感できます。なお、このトレーニングはただの紐でも出来ます。紐にビーズが通っていなくても自分でペンで印をつけたり、印がなくても自分で視点を決めて両眼のピントを手前→向こう側、向こう側→手前、と移動させればOKです。

 

このトレーニングを2週間ほど続けたせいで『 サッカー審判員にとっての「見る力」~ その① 』で書いた私の両眼視の問題が改善され三角形のフレームワーク越しに対象物を見て右目を閉じても対象物はフレームの中に納まっているようになりました。つまり指で使ったフレーム(手前)と対象物(向こう側)の遠近感および位置関係が正しく把握できるようになったわけです。

 

オマケは「ステレオグラム」という3D隠し絵の画像がバンバン見えるようになったことです(以前は何回やっても何分も見続けても見えなかった)。まあ、直接審判員に必要な見る力には関係ないかもしれませんけど・・・(と、いいつつ後で書く「見ることの楽しさ」が増えたことは間違いありません)。

 

 では次に「眼球運動(眼球トレーニング)」です。

以下の三つは私が独自にやっているものです。

 

① 雑踏視点移動

② 車窓外数字探し

③ 徒歩数字探し

 

飯田覚士さんの本でも眼球運動が紹介されています。ペンを使って(自分の親指を使うやり方もあります)眼球を動かすトレーニングです。「目は鍛えられない。なのでどのような強者にとっても最大の急所である」はその昔格闘技をやっていた時に聞いた覚えがありますけど、この時に言われていたのは目というのは眼球そのものですね。ここで鍛えるのは正確には眼球を動かす筋肉となります。ここは鍛えることが出来る訳です。

 

 

でもまあ、そう難しく考えないでまず「眼球を動かす」ということを覚えましょう。よく試合中でもよりよくプレーを監視するためにポジションを変えたり、次の争点を予測するためにボールを持っていない選手以外の動きを確認するために顔を動かすということをやっておりました。しかしこの眼球を動かすことで今見ている画像に中にもいくつか監視ポイントがあることが強く意識づけられます。またただ顔を動かすだけだと「見ているのだけど見ていない」状態になる恐れがあります。眼球を動かす意識を持つことでカメラがピントを合わせるように遠く近く、左右斜めの画像を、そしてここが重要なのですけど具体的な対象物(選手の表情、足の先、手の先、肘、背番号等々)を認識できるようになります。

 

眼球運動の重要性はある程度ご理解いただいたと思いますけど、ペンとか指を使ったトレーニングは単調で飽きるんですね(苦笑)。なので自己流なわけです。

 

まず①「雑踏視点移動」は私の嫌いな人混みの中を歩きながら前方から来る人、前後左右を歩いている人、時には後ろから歩いてくる人、遠くの風景などに瞬間的に視点を移動させるトレーニングです(人にぶつかるなど危険もありますので自己責任で)。このトレーニングのポイントは二つ。一つ目は視点を極端に遠く(例えば500m先の建物の看板の文字とか)から極端に近く(目の前を歩いている人の靴の踵等)に瞬間時に移動させることです。この極遠→極近、極近→極遠を繰り返します。このときしっかりとピントを合わせます。二つ目は認識する力も高めたいので具体的に画像情報を読み取るようにします。例えば看板の文字や数字、靴の色や形等々です。

 

このトレーニングのルールは視点の固定はコンマ数秒(1秒以上にならないように)とするということとと、出来るだけスムーズに歩くです。つまり前方から来る人のコースや動きを察知してなるべく相手の動きを止めたり妨害しないで自分も同じペースで歩けるようにポジションを調整します。これは選手の動きや視界を邪魔しないでフィールドの中で動くことの疑似トレーニングも兼ねているわけです。

 

さて②の「車窓外数字探し」は通勤、通学中に「ヘンな人」と周囲に思われないで何時でも思いついたときに出来るトレーニングです。これはズバリ列車から見える風景の中に出てくるあらゆる数字を見つけるだけのトレーニングです。車のナンバー、看板に書かれた電話番号、交通標識の数字・・・等々です。動体視力も試されるこのトレーニング、例えば車のナンバープレートばかりに気を取られていると例えばマンションの壁面に書かれた大きな数字を見落としたり・・・と見ることの難しさを楽しく知ることができます。これなら危険もありませんしね(数字はただ見るだけではなく、ちゃんと見た数字を心の中で呟いてください。ホントは声に出すと「認識➡行動」の良い訓練になるのですけど・・・ヘンな人になるので・・・)。

 

さて③の「徒歩数字探し」です。これは②を歩きながらやろうってことです。この場合は十分余裕ある状態で行ってください。つまり自転車や自動車とすれちがう、もしくは横切るようなような状況ではこのトレーニングは行わないでください。

 

①や③のトレーニングは危険がともないますのであくまでも自己責任でお願いします。このトレーニングを行うたびに歩きスマホの危険性がよくわかります。視点を一瞬でも移動させることでピントも意識も他の画像からは逸れます。スマホの画面を見ながら歩くなんて・・・アリエナイ~!自転車に乗りながらなんてもう目を閉じて包丁持って歩行者に向かっていくようなものです。絶対お止め下さい。

 

というわけで、ここまでが自己流トレーニングの紹介でした。長くなったのでトレーニングしてから臨んだ試合での実感は次回に。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

サッカー審判員にとっての「見る力」~ その②

さて「見る力」の鍛え方編です。あくまで私の場合であり、また自己流ということでお読みください。

 

今回の最重要ワードは「視点」です。使い古された言葉なんですけどこの奥深さに今回気付いたのですね。そして判定の上で「視点」の重要性にも気付かされたのです。

 

そしてこの「視点」と対になっているのが「盲点」です。私はいままでこの言葉を「都会の盲点」のように概念的な言葉としてだけ理解しておりました。でも生物学的に「盲点」って存在しているのですね。つまり人間には「見ているのに」そして疾病のせいでなくとも視界の中にある映像の欠落(=盲点)が存在しているってことです。それを教えてくれた記事がこちら → http://www.blog.sannoudaiganka.jp/?p=176

 

これでいくと、よくコーナーキックの時のゴール前の選手の競り合いの監視時に「視点を固定しないで全体を眺めるように」との方法をお聞きになったことがあると思いますけど、これは正解でもあり間違いでもあります。正解は「視点を固定しない」ということであり「間違い(もしくは誤解しやすい)」は「全体を眺める」ということです。

 

上記の盲点(これを「マリオット盲点」といいます)が全ての原因ではないにしろ、全体を眺めるだけではやはり「見ているのに見えていない」状態が起こりえます。これは例えば「ビジョントレーニング」のメニューでよくある「数字探し」なんかでも体感できます。例えば1~50の数字を順番に指で押さえていく、それに何秒かかるのか?という訓練であるわけですけど、必ず途中で「あれ?あれ?ないじゃん!」となります。つまり欠落している数字などあるわけないし視界の中にあるのに認識できていない(=脳が見えていない)状態なわけです。

 

ちょっと上記のことを整理すると:

 

1)マリオット盲点のように画像からの光を受け取ることが出来ない部分(点)が両眼とも存在する。

2)仮に光を受け取って視神経が画像情報を脳に伝えていても、何らかの理由で脳内で画像を再生できないでいる(上記の「数字探し」とかの場合でしょうか?)

 

というように「見ているのに見えていない」ことが誰にでもあるということです。

 

ここを知ったということが今回大きな意味を持ちました。つまりよりよい判定のために「距離」や「角度」や「ポジション」のことに気を取られていましたけど(そしてもちろんこれらの重要性は結局変わらないのですけど)まずは「人はそもそも全ては見えていない」ということを大前提とすべし、ということです。

 

試合中に選手から「見てないよ」「見えてないよ」と言われたら胸を張って?「そりゃ人だもの」と答えましょう・・・とは出来ないのでこの「見えない」ということを大前提に、よりよく見える訓練をしましょうってことですね。

 

で、私の場合は『その①』で書いたように「両眼視」に問題があったので、それも踏まえ、まずは以下のトレーニングを行いました。

 

両眼視のトレーニング:

① 親指視点移動

② ブロックストリング

 

そして「ビジョントレーニング」が教えてくれたのは「眼球運動(眼球トレーニング)」です。

 

眼球のトレーニング:

① 雑踏視点移動

② 車窓外数字探し

③ 徒歩数字探し

 

 

さて、これらのトレーニング(といっても大半は自己流)を始めて2~3週間での結果はというと・・・ビジョントレーニングは一般的に3か月程度続けて効果が実感できると言われているのですけど、自分の実感ではわりと直ぐに効果が出た(審判が上手くなったかどうかは別として)ように思います。前は全く出来なかったあることが出来るようになったりと・・・。

 

というわけで、具体的なトレーニング方法と効果については次回!

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

サッカー審判員にとっての「見る力」~ その①

さて、では私自身の課題の1番目に挙げた「見る力」について。

 

なぜこれが1番目かというと単純に試合中に「見てんのかよ!」「見てないよな~」というお言葉を選手の皆さんから頂くからです。

 

多分私だけでなくサッカー審判員をやっていると一度はこの種の言葉を選手やベンチから貰っているのではないでしょうか?

 

さて「見る」というのはどういうことでしょうか?

それは通常「目に映っている」ということ以上でも以下でもないと思いますけど、3つに分解できそうです。それは:

 

1)画像を捉えている(と思っている)

2)画像を認識している(=「脳で見ている」)

3)認識した画像情報を行動に移せる。

 

ということです。

 

例えばペナルティエリアのすぐ外からシュートされたボールが守備側競技者の手に当たったとします。主審としてのあなたは守備側競技者にボールが向かった、そしてそれが守備側競技者に当たったことは捉えていても、手に当たったことを(どのように当たったかを)認識していなければ「見てなかった」ことと同じです。それが意図的に行われたプレーならファウルですけど、認識していないので笛を吹いたり、プレーオンのシグナルを出したりの行動には移せません。周りの競技者がこれらすべてを認識していたら「おい!主審見てんのかよ!」ってことになります。別に死角になっていたわけでも他の競技者によって視界が遮られていたわけでもなく、自分の目の前(至近距離)で起こったプレーなのに「見えていない=認識していない」ということがあり得る訳です。

 

いわゆる「ボ~っと見ていた」ということになるでしょうか。集中力に欠けていたってことです。もしくは視力のせいで画像がぼんやりとしか認識できなかったのかもしれません。なので「常に集中しよう!」とか、以前記事にしたように試合中だけ「コンタクトレンズ」を装着するといったような、見ることの心構えや条件を改善しようとしました。もちろんこれはこれで間違ったことではなく、改善されたようにも思えますけど依然「見えなかった(と周りから指摘される)」という状態が続きます。凹みます。

 

「もう若くないから~」なんて全て年のせいにして言い訳したくなるのですけど、色々調べてみると「見る力」は訓練によって強化できるし、「見る」こと自体も普段考えもしなかった奥深い世界があることにあらためて気づきました。

 

ところで私は自分の目のある「弱点」に長年気付いておりました。私は普段メガネを使用しているのですけど近視というより乱視というふうに言われ、自分もなんとなく右目の視力は比較的良く左目が弱い(実際、視力検査するとその通りなのです)ということなんだな、とだけ理解していました。ただ、同時に左右の目の視力だけでなく左右の目の使い方に偏りもあることには気付いていたのです。

 

自分が左右の目でどのように画像を捉えているのかが簡単に分かるテストがあります。

 

まず左右の人差し指と親指で三角形を作ります。両方の人差し指で三角形の頂点となる左右の辺を、そして左右の親指が三角形の底辺になるように指同士をくっつけるわけです。さて、そうして対象物はなんでもいいので(遠くのビルでも部屋の中の照明でも)両目でその対象物を見ながら、三角形の「額縁(フレーム)」の中心に対象物が納まるようにしてみてください。三角形の中心に対象物が納まった(三角形を通して対象物を見ている状態)なら、そのままの状態を維持します。そして右の眼、左の眼の順番で閉じて片目の状態で対象物がどのように見えるか確認するのです。両目が適切に使われているなら右目を閉じたら対象物はフレームの左へ移動し、左目を閉じたら右へ移動します。それでも依然対象物をフレームを通じて見ることが出来ます。

 

私の場合は左目を閉じると対象物はフレームの中に納まっていますけど、右目を閉じると・・・フレームの外へ完全に消え去ってしまいます!何度トライしても同じ。つまり私は常に画像を右目だけで捉えようとしているということです。

 

このように「両眼視」が適切にできていないと、極端な話オフサイドラインを見る場合も身体の正面からではなくラインより左側に身体を寄せて見ようとしていたかもしれません。また奥行き感や距離感も適切でなくボールとラインの位置関係、各競技者の交錯した手足の位置関係も正確に捉えられていなかったかもしれません。

 

これらのことは「見る力」は鍛えられるのか?それはどういうことか?という疑問からスタートしたときに遅ればせながら「ビジョントレーニング」という言葉に出会い、色々と調べて行く中で分かったことです。そしてさらに調べていくうちに両眼視の問題は単に奥行き感や正面で画像を捉えることに不都合があるだけではなく、もっと人間の目の機能の根源にかかわることにも関連しているのでは?と思うようになりました。

 

さて「ビジョントレーニング」はすでにご存じの方や実践されていることも多いと思いますので、次回は私なりに実行した結果や自己流にアレンジしたトレーニング方法をご紹介して、それがサッカー審判員の実戦でどのように役に立ったのか(立たなかったのか)等を書き記したいと思います。

 

では、I'll be back.