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ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

動体視力か鷹の目か - 全豪オープンと7人の侍(後編)

さて前回の続きです。以下の二つの疑問に後編で答えようと思ってそのシーンを見直してみようと再度調べていたところ、自分の間違いに気付きました。

 

そうFIFAワールドカップブラジル大会で導入されていたゴールライン・テクノロジーは「ホークアイ」ではなく同じようにハイスピードカメラを使ったドイツの企業が提供したゴール判定技術「ゴールコントロール(GoalControl)」システムだったんですね。うーん、慣れないこと書くものではない(?)。ゴメンナサイ。

 

① あのホークアイ「ゴールコントロール」で得点が認められたゴールシーンを再生画像で確認するとバジャダレス選手はゴールラインを超える前にボールを保持しているように見える。なぜ?

② 200Km以上のサーブを打ち返す動体視力を持った錦織選手やバブリンカ選手のチャレンジはすべて失敗に終わった(つまり線審もしくはアンパイアの判定が正しかった)。なぜ?

 

さて気を取り直して。まずは①について。バジャダレス選手がボールをかき出すシーンをまずはゴールラインと平行かつコーナーフラッグポスト側から映した映像(まさに副審が監視すべきポジションです)で確認してみると完全にボールの全体がゴールラインを越えていることが分かります。ところがゴールの斜め奥側からゴールシーンを捉えた映像だとバジャダレス選手がボールの全体がゴールラインを超える前に保持しているように見えるんです。

 

まさにポジション(見る位置)による目の錯覚。

 

次に②について。

 

テニスではまず線審がボールがインかアウトの判定をしているようです(その判定をアンパイアが覆す(=訂正する)場合もあります。これを「オーバールール」といいます。錦織選手とバブリンカ選手の試合でも一回ありました)。ではなぜ錦織選手やバブリンカ選手のチャレンジによっても線審の判定が覆らなかったというと結局は線審の方々が優秀だということなんですけど、ポイントはやはり以下の3点かと。

 

①中立性 

②ポジション

③視点の安定性

 

まず①。選手は当然のことながら自分に有利な判定を望んでプレーしているので「そうあって欲しい」という願望により事象を捉えることがあるということです。

で、②がまさに言いつくされているようで最重要なこと。線審は当然各ラインの延長戦上でボールがラインを完全に超えているかもしくはラインにボールが少しでもオンしているのか見極めるわけですから、選手よりもいいポジションで監視できているわけです。またアンパイアは選手や線審より高い位置から俯瞰的にコートを見ているのでさらに広範囲でボールのインアウトの見極めがやりやすいはずです。

 

③が今回の動体視力とも関係するポイントです。つまり動体視力は「動いているもの」を詳細な視覚情報に置き換えるだけでなく、「自分が動いている」状態で安定して視覚情報を入力し処理する能力でもあります。

 

これはかってJリーグ審判員の方のアドバイスにもありましたけど、もし自分が主審をしていて(素早いカウンター攻撃などで)選手から置きざりにされた場合に、やみくもに走ることよりも静止して安定した視野を確保することを優先した方がいいとのことです(あくまで最終手段ですけど!)なぜなら走ると当然視覚は悪くなるからです。

 

サーブを打ち返そうと動き出す選手より線審は安定した視覚でボールを捉えることができるということです。また駆け引きをしている選手は様々な状況を想定して瞬間に判断する必要ありますけど線審はインかアウトかの事象に集中できるというアドバンテージもあるかと思います。

 

サッカーでもこれは重要で、瞬間瞬間に次のプレーや展開を予想しながら、どこに視点を集中させるべきか(集中力を高めるべきか)を決めていくことがより判定精度を高めることに繋がりますね。ゴールラインタッチラインぎりぎりでの競り合いならファウルの見極めもしながら、どちらが最後に触れてラインを出たのかにより意識を高める等々。

 

さて、ということで動体視力より大切なこと。答は出てますね。あたりまえのようで

「どこから見るか(ポジション)」と「視覚の安定と集中(カメラで例えるなら三脚に乗せてブレないようにしてズームインって感じでしょうか)」ということです。

 

特に全豪オープンの試合を観ていて、あらためてポジションの大切さを再認識しました。

 

さて、将来的にどこまで判定方法としてテクノロジーを取り入れるべきか。これには色々な意見があると思います。私は概して審判手段としてテクノロジーを取り入れこと自体には肯定的です。というかそれは避けられないことではないでしょうか。

 

ホークアイ」などの技術は以前にも書いたように(こちら→「サッカー審判員とニューテクノロジー 「来るべき未来とは?」」)ウエアラブル端末技術と合わさることで精度が高い、そして一切の死角がない情報を提供してくれるだけでなく、劇的に審判方法を変える可能性さえもあります。(そして観戦方法をも)。

 

例えば主審のアイゴーグルに副審の角度からみたオフサイドラインの表示と判定を瞬時に表示したり、選手と選手が重なって主審からは見えないファウルなどでも主審と異なる角度(まさに対角線上にいる副審の角度からの)の映像を表示したり、それどころか副審サイドからも見えない、カメラにも直接映し出されないファウルでも、複数のカメラが捉えた選手の位置や身体の各部位の動きや筋肉の緊張弛緩具合を瞬時に分析してデータに変換、そしてすぐさま全く誰からも死角になっている状況をヴァーチャルリアリティー映像で再現して主審のアイゴーグルに映しだすとかも出来るでしょう。

 

どのプレーヤーが最後に触れてタッチラインゴールラインをボールが割ったか、で結果どちらのスローインなのか、コーナーキックなのかゴールキックなのかの判定も自動的に表示され、差し違えは絶対に起こらなくなるとか・・・もうテクノロジーにによる実現可能例をいくらでも挙げることができます。

 

では、こうなると生身の人間としての審判員の存在はどうなるのでしょう。完全無比なテクノロジーの判定を伝える媒介となってしまうのでしょうか?これはもうサッカー審判だけでなく全ての分野で論争を呼ぶ21世紀最大の社会問題となることでしょう。

 

今の段階では、サッカー審判の最大の目的が「サッカーの魅力を最大限に引き出すよう、試合環境を整備し、円滑な運営をする」ことにあることを鑑みれば「正しい判定」(もちろんそれが大前提であり常に目指すべきではありますけど)が必ずしも常に「円滑な運営」に繋がるかというと、それだけでは目標は達成できないという事実が人間としての審判員の存在意義を示しているのではとだけ申し上げておきます。

 

さて、ここでようやく「七人の侍」言わずと知れた黒澤明監督の一番認知度の高い作品について。色々と印象深いシーンがありますけど、その昔映画館で見て印象的だったのがハイスピード撮影(すなわちスローモーション映像)された志村喬演じる浪人侍が子供を人質にとった盗賊を殺すシーン。とういか盗賊がスローモーションで倒れてしまうシーン。

 

とても剣豪(人なんか切れそうにない)には見えない志村喬演じる浪人侍の凄さがこのスローモーションシーンで一気に表現されています。

 

また宮口精二演じる浪人侍がこれまた相手を切ってしまうシーン、というか相手が切られて倒れるシーンのスローモーション。まさに剣の達人を一瞬で表現。

 

こうやってテクノロジーは人間が日常では見ることの出来ない画像を捉えて再現してくれます。でもそれだけでなく黒澤監督のような天才にかかると素晴らしい表現となって我々の心をとらえてしまうわけですね。まさに見せるだけでなく魅せるわけです。(ちなみに黒澤監督はカメラのズームイン、ズームアウトを機械の技術に過ぎないと言って嫌っていたようで使うのを避けています。「七人の侍」の冒頭のシーンに注目)。

 

見せるだけでなく魅せる。サッカー審判もこうありたい。いやいや魅せるのは審判ではなく選手を中心としたサッカーの魅力のことであります。

 

もとは動体視力から始まった、今回のお話。なんかいつものようにダラダラと長いだけになっていたらゴメンナサイです。

 

では、I'll be back.