ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

「コリジョンルール」の適用 - サッカー審判員(部外者)の違和感

本来なら「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?の後編となる予定でしたけど、急きょ話題の?「コリジョンルール」で思ったことをあえて「部外者」の立場で書きたいと思います。

 

さて昨日の巨人阪神戦ですね。3回2死、2塁から本塁を狙ってスライディングした巨人の小林選手。そして巨人バッターの脇谷選手のセンター前ヒットの打球を返球した阪神のセンター大和選手(素晴らしい返球です)。そのボールを受けタッチにいった阪神の捕手原口選手。タイミングとしてはアウトなんですけど・・・これが巨人高橋監督の「異議(あえてサッカー用語にしますね)」でビデオ判定となり・・・コリジョンルール適用で判定が覆りセーフとなり巨人の得点が認められました。

 

正直、TVで見たとき「エエッ~?これがセーフになっちゃうの!?」と思ってしまいました。でもこの時点で私はコリジョンルールを理解していなかったので、まずはそのルールを理解すべきかと思い検索してみました。で、以下がルールの文面です。ちょっと長いですけど正確を期すためNPB日本野球機構)が公示している2016年度の野球規則改正のコリジョンルールに該当する箇所をすべてそのまま抜粋します。

 

(9) 6.01(i)(【原注】および【注】含む)を追加する。

  • (i)本塁での衝突プレイ
    • (1)得点しようとしている走者は、最初から捕手または本塁のカバーに来た野手(投手を含む、以下「野手」という)に接触しようとして、または避けられたにもかかわらず最初から接触をもくろんで走路から外れることはできない。もし得点しようとした走者が最初から捕手または野手に接触しようとしたと審判員が判断すれば、捕手または野手がボールを保持していたかどうかに関係なく、審判員はその走者にアウトを宣告する。その場合、ボールデッドとなって、すべての他の走者は接触が起きたときに占有していた塁(最後に触れていた塁)に戻らなければならない。走者が正しく本塁に滑り込んでいた場合には、本項に違反したとはみなされない。
      【原注】走者が触塁の努力を怠って、肩を下げたり、手、肘または腕を使って押したりする行為は、本項に違反して最初から捕手または野手と接触するために、または避けられたにもかかわらず最初から接触をもくろんで走路を外れたとみなされる。走者が塁に滑り込んだ場合、足からのスライディングであれば、走者の尻および脚が捕手または野手に触れる前に先に地面に落ちたとき、またヘッドスライディングであれば、捕手または野手と接触する前に走者の身体が先に地面に落ちたときは、正しいスライディングとみなされる。捕手または野手が走者の走路をブロックした場合は、本項に違反して走者が避けられたにもかかわらず接触をもくろんだということを考える必要はない。
    • (2)捕手がボールを持たずに得点しようとしている走者の走路をブロックすることはできない。もし捕手がボールを持たずに走者の走路をブロックしたと審判員が判断した場合、審判員はその走者にセーフを宣告する。前記にかかわらず、捕手が送球を実際に守備しようとして走者の走路をふさぐ結果になった場合(たとえば、送球の方向、軌道、バウンドに反応して動いたような場合)には、本項に違反したとはみなされない。また、走者がスライディングすることで捕手との接触を避けられたならば、ボールを持たない捕手が本項に違反したとはみなされない。
       本塁でのフォースプレイには、本項を適用しない。
      【原注】 捕手が、ボールを持たずに本塁をブロックするか(または実際に送球を守備しようとしていないとき)、および得点しようとしている走者の走塁を邪魔するか、阻害した場合を除いて、捕手は本項に違反したとはみなされない。審判員が、捕手が本塁をブロックしたかどうかに関係なく、走者はアウトを宣告されていたであろうと判断すれば、捕手が走者の走塁を邪魔または阻害したとはみなされない。また、捕手は、滑り込んでくる走者に触球するときには不必要かつ激しい接触を避けるために最大限の努力をしなければならない。滑り込んでくる走者と日常的に不必要なかつ激しい接触(たとえば膝、レガース、肘または前腕を使って接触をもくろむ)をする捕手はリーグ会長の制裁の対象となる。
      【注】 我が国では、本項の(1)(2)ともに、所属する団体の規定に従う。

 (下線部筆者)

 

 

 さてこのルールを読み、再びリプレイの映像を見て、さらに審判団の方々の行動を見てサッカー審判員としての私(つまり部外者)は大きな違和感を感じました。

 

それは阪神の捕手、原口選手の捕球してからタッチに行くまでの動作が上記の下線部の規則にある「前記にかかわらず、捕手が送球を実際に守備しようとして走者の走路をふさぐ結果になった場合(たとえば、送球の方向、軌道、バウンドに反応して動いたような場合)には、本項に違反したとはみなされない。」に該当するにもかかわらずコリジョンルールが適用されていることへの違和感・・・ではありません(ただし原口選手の捕球からタッチへの一連の動作だけ見ればコリジョンルールに違反しているとは思えません)。

 

それは本来捕手の安全を守るはずのコリジョンルールが守備側に不利に働く規則になっていることへの違和感・・・ということではありません。

 

それは審判団のコリジョンルールの理解と適用が誤っているということへの違和感・・・でもありません。なぜなら今回の判定についての審判団の明確な説明はありませんでしたけど(これはサッカーの審判員としては理解できることではあります。つまりそのような義務はないという意味で。ただし責任審判員がマイクを握り観衆に対して説明をするプロ野球において何が起こりどのように判断したのかを観衆に全く説明しなくて良かったのか悪かったのかについての審判団の対応の是非は議論の余地があるように思います)どうやら阪神の捕手の原口選手が捕球動作に入る前から「ブロック」していると審判団がみなしているようだからです。もしそうなら審判団は「捕手がボールを持たずに得点しようとしている走者の走路をブロックすることはできない。もし捕手がボールを持たずに走者の走路をブロックしたと審判員が判断した場合、審判員はその走者にセーフを宣告する。」という野球規則を適用しているわけですから(しかしながら「ブロック」とはどのような状態を公に指すのかはこの規則からだけではわからないのではありますけど・・・)問題ないことになります。

 

では、私が抱いた大きな違和感とはなんでしょう?・・・ってもったいぶって御免なさい。そう、私の違和感は何かといえば、今回の事象でアウトだった判定がリプレイ検証(ビデオ判定)で覆ってしまったということです。

 

へぇ?そんなの野球じゃ当たり前だよ、何言ってんの?仰る通りです。私が言いたいのはリプレイ検証で判定しなおしていい事象と判定しなおしてはダメな事象があるのでは?・・・ということです。

 

例えばサッカーにおいて以下のルールをビデオ判定することはあり得ません。

 

 競技規則の解釈と 審判員のためのガイドライン

相手競技者の進行を妨げる
相手競技者の進行を妨げるとは、ボールが両競技者のプレーできる範囲内にもないとき、 相手競技者の進路に入り込み、その進行を妨げる、ブロックする、スピードを落とさせ る、進行方向の変更を余儀なくさせることである。
すべての競技者は、フィールド上においてそれぞれ自分のポジションをとることができ る。相手競技者の進路上にいることは、相手競技者の進路に入り込むこととは同じでな い。

 

サッカー審判員(主審)は競技者が進路上にもともといたのか、相手競技者に干渉するために入りこんだのか瞬時に判断しなければなりません。競技者がたとえ進路上にもともといても(その場で動かなくても)手や足などが悪意をもって進路を塞ぐような動きになってないかも見極める必要があります。この判定についてビデオ検証などしませんし異議も一切受け付けません。

 

それはなぜかといえば選手の動きの意図(=悪意の有無)はビデオで検証すべき(できる)ようなことではないからです。これこそは機械ではなく審判員が「感じる」べきものだからです。

 

サッカー審判員はビデオなど頼らない、エヘン!偉いでしょう!・・・ってことではもちろんありません。誤解ないように申し上げると私はゴール判定においてはビデオ判定が導入されることに反対ではありません。人間の肉眼では見極められない微妙な時間差、微妙な距離についてはビデオという機械を使用する利点はよく理解できます。

 

実際、メジャーリーグの野球でも打者がベースを踏んだのが先かベースにいる野手がボールを捕球したのが先かという時間差についての判定などではビデオを参照することでより正確な判定になっている思います。また先日の巨人中日戦であった本塁上で捕手がタッチしているのか、それとも走者がタッチを免れたのかという距離(=どの程度離れているのか、いないのか)についての判定でもビデオ判定は有効なように思います。

 

今回のビデオ判定が違和感を生み、何が問題かといえば、もし原口選手がもともと走路にいてブロックしていたことで(そしてそのようにしか判定が覆ってセーフになった理由が見いだせないんですけど)コリジョンルールの適用対象になっていたとしたら、なぜビデオ判定の前に、高橋監督の異議の前に主審はセーフの判定を下せなかったのでしょうか?あれだけクリアに事象(原口選手の捕球前の立ち位置と走路の位置関係)を見極められる位置にいながら、また肉眼で捉えるのが極めて困難な「時間」や「距離」の判断を求められている状況でもないにもかかわらず・・・なぜ?

 

これは部外者の私から見れば「そもそも審判員さえも確信を持って運用できない競技規則」になっていないかを示唆するように思えます。

 

かつーさんもこちらの記事→「スタジアムにリプレイは必要か」でおっしゃっている通り「何があってもリプレイ見て変えることだけはダメ」というのがサッカー審判員の原理原則です(ただし繰り返しになりますけどゴール判定などには将来的にビデオ判定を導入することを否定するものではありません)。この原理原則は野球の審判員の方々に押し付けるようなものではありません。野球もサッカーと異なりテニスのようにチャレンジ制度が採用されビデオ判定によって判定が見直されることは、観衆やプレーヤーの納得感を高められるように思います。

 

ただし今回の巨人阪神戦で起こったことはビデオ判定の対象になるべきではないという思いが拭えません。

 

というわけで不遜な言い方をすれば今回の巨人阪神戦の事象では原口選手の立ち位置を見極めコリジョンルールを適用して最初からセーフの判定をできなかった審判員の方々には「反省部屋」に入っていただくことが必要かと思います・・・御免なさい偉そうで。

 

あっ、私は虎党でもジャイアンツファンでもないことを申し添えておきますね。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?(中編)

 さて現実はこの記事の遥か先を行き、レスター・シティFCがリーグ優勝を決めましたね。おめでとうございます。

 

では、前回の続きピンク・フロイドの「フィアレス」について。この曲はメロディが特に印象的とか、何か新しいことを試しているとか、名演奏が繰り広げられているとか等々一切ありませんです。逆に地味といえば地味な印象なんですね。ゆったりとしたアコースティックギターによるストローク演奏が曲の大枠を構成していて、そこにデヴィッド・ギルモアのジェントルな(線が細いとも言える)ボーカルによってロジャー・ウォーターズが書いた詩が淡々と歌いあげられていきます。私が高校生の時にこの曲を最初に聴いて何が一番印象的だったかといえばこの、ロジャーが書いた歌詞そしてシュプレヒコールのような群衆の声(アンフィールドリヴァプールFCサポーターによる”You'll never walk alone"の合唱と歓声)の二つだったわけです。

 

さて、まず歌詞について。以下のような内容で始まります。

 

You say the hill's too steep to climb, climbing

You say you'd like to see me try, climbing

You pick the place and I'll choose the time

And I'll climb the hill in my own way

 

あの丘は険しすぎて登れない、と君は言う

ぼくが登るところを見てみたい、と君は言う

場所を決めてくれたらぼくが時間を選ぼう

そしてぼくなりにあの丘に登ってみせよう

 

当時、友人と二人この歌詞を聴いて「ぼく」と「きみ」は男女(しかも友達以上恋人未満)のことと勝手に思い込み(そのような年頃なわけです)男に無理難題を突き付けている小悪魔的な?女性を想像してしまったんですね。でも、ただ男女の仲だけについて歌われている曲ではないことは続きの(2番目の)歌詞の冒頭からもそして群衆の声が入ることからも分かります。

 

Fearlessly the idiot faced the crowd, smiling.

 

大胆不敵にもその愚か者は

笑いを浮かべて群衆に相対した

 

間もなくこの「愚か者」とはどうやらピンク・フロイドの創生期の天才リーダー、シド・バレットを意味しているとの情報を得ます(これがますますこの歌詞のメッセージを理解することを難しくさせてしまったわけですけど)。

 

まあ、「愚か者」がシドを指しているかどうかはともかく、この歌詞のポイントは「the crowd 群衆」という言葉が出てくることで、歌詞の一番最後の言葉もこの「群衆」なんですね。で、その言葉が”You'll never walk alone"を歌う群衆の声とも対応していることにも(素直に受け止めれば)気づきます。

 

まあ、ここまでくると「そんなことはどうでもいい」と思われいる方々(ほとんどすべての方ですね)にはさらに「どうでもいい」ことになりますけど、この歌詞を書いたことでロジャーが気まぐれにリヴァプールFCサポーターの声と曲を組み合わせたのではないことが分かります。一方でなぜ、それがKOPが歌う”You'll never walk alone"でなければならなかったかは依然??なわけです。

 

さて、実は私は「フィアレス」の群衆の声がリヴァプールFCサポーターの声であるとか”You'll never walk alone"であるとか当たり前のように書いていますけど、数十年前に「フィアレス」を初めて聴いた時にはそんなことは全く知りませんでした。その後も20年以上はそのことに気づいてもいなければ知りもしませんでした。実はそのことを知ったのはちょうど小学生だった長男か次男が「フィアレス」を聴いて「なんでリヴァプール聴いてんの?お父さん」って一言だったのです。そう、プレミアの試合中継を見ていた子供たちはサポーターが歌う”You'll never walk alone"を誰に教わるでもなく覚えていたんですね。しかも「Liverpool!」と繰り返す叫ぶサポーターの声援も聴きとっていたわけです。ピアノを習っていた子供の耳には簡単なことだったわけですけど私にとっては十数年の歳月を経ての「発見」だったわけです。

 

この「発見」に気づいたとき、私は一言でいえば・・・「落胆」していました。「フィアレス」には何か特別なメッセージ性を感じていたので、それが実は英国人の好きなスポーツであるサッカーの観衆の声だったとは・・・この曲もロジャーの「遊び」だったのね・・・ガーンというわけです。

 

ここで勘違いされないよう付け加えておくと私はピンク・フロイドの曲に常に何か高尚なメッセージが含まれているとか、それゆえ価値があるなどとは思っておりません。例えば意味がない音の連なりとしてシド・バレットが中心になって作り上げたファーストアルバム「Piper at the Gates of Dawn 夜明けの口笛吹き」が大好きです。また「おせっかい」に入っている男女の情景を描いている「ピロウ・オブ・ウィンズ」とか「サン・トロペ」とかの曲も大好きで高く評価しております。

 

一方で「フィアレス」には何かメッセージ性を感じていたし、なにより群衆の声に力強い意志を感じ取っていたのです。その後、ロジャーが熱烈なリヴァプールFCのサポーターであると知り(これは大きな誤解。後ほど)それが高じてのお遊びだったのかと思うと肩透かしを食らった気持ちになったのです。僕の数十年はなんだったのか(大袈裟)。

 

ピンク・フロイドはお遊び的なミュージック・コンクレートは得意ですし、私もそんなお遊びが好きだったんですけど、この「フィアレス」に限って・・・。

 

さてさてロジャーがリヴァプールFCのサポーターというのは私の大きな勘違いで、彼は熱烈な(子供の時からの)アーセナルFCサポーターです。ピンク・フロイドは曲をアルバムとしてリリースする前からライブで演奏しながら作りあげていったりしたわけですけど、同時に正式な曲のタイトルを決定する前には色々なタイトルを曲につけてライブで紹介していました。そんなライブ用?のタイトルのひとつに「エコーズ」の「We Won the Double 俺たちは二冠王」というもがありました。これは次のカレンダーを見ていただくと何のことか分かります。

 

1971年1月、3月~5月、8月 「おせっかい」録音期間 

     5月3日        アーセナルFC リーグ優勝       

      5月8日        アーセナルFC FA Cup優勝

*ちなみに5月のスタジオ録音は1日、2日、9-11日、24-26日、28日

     8月1日        日本到着

     8月6日、7日     箱根アフロディーテ ライブ

     8月11日       日本出発       

1971年11月         「おせっかい」発売 

 

 この年の(も)ピンク・フロイドのスケジュールは殺人的でヨーロッパはもちろんアジア、オーストラリア、USとまさにワールドツアーをこなしながらその合間を縫ってスタジオでセッションを行うという凄まじさです。 

 

そんな中、アーセナルFCの二連覇。ロジャーの喜びもひとしおだったでしょう。ではなぜアーセナルFCのサポーターの歓声ではなリヴァプールFCサポーターの声援を自らの新曲に使ったのでしょうか?しかも英国人なら間違いなく聴けば誰でも分かる大ヒット曲”You'll never walk alone"を歌うサポーターの声援だったのか?彼らは当然「Arsenal!」ではなく「Liverpool!」と叫んでいるわけです。  

 

ひとつのヒントはウェンブリーで行われたFAカップ決勝戦アーセナルFCリヴァプールFCにありそうです。1971年5月8日、アーセナルは再三の好機をゴールキーパーのファインセーブに阻まれたりゴールポストに嫌われたりしながらスコアレスドローのまま試合は延長戦に入りました。そして延長前半、ゴールを最初にこじ開けたのはリヴァプールのスティーブ・ハイウエイの左足でのニアポストゴールキーパーの隙間を狙った見事なシュートでした(ちなみに延長戦開始時に主審がアーセナルの選手にコインを渡してトスさせてますけど、これは・・・?知っている方いたら教えてくださいませ)。

 

そしてドラマはこのあとやって来ます。まず同じく延長前半ゴール前に送られたループパスの処理をリヴァプールのデイフェンス陣がもたつく間に、そのこぼれ球をアーセナルのジョージ・グラハムとエディ・ケリーの二人がコンビネーションシュート?(実際はグラハムはボールに触れていないですけど、オフサイドの反則なしでゴールキーパーをかく乱しているとも言えますね)でリヴァプールのゴールに流し込み同点とします。  

 

そして延長後半、試合中から物凄いミドルシュートを放っていた チャーリー・ジョージが右足を素早く振りぬきマーヴァラスなミドルシュートを決めます。このゴールが決勝点となりアーセナルは逆転優勝を飾りました。

 

試合後2連覇の歓喜にわくアーセナルリヴァプールサポーターも称え、そして「勇敢な敗者」としてリヴァプールに対しても両方のファンからエールが送られました。

 

さてロジャー・ウォーターズはどこでこの試合を見ていたのでしょうか?記録によると5月7日はランカスター大学でのライブ、9日からスタジオ入りなので8日はオフっだったのか?するとウェンブリーにいた可能性もありますね。いずれにしろアーセナルが勝ったことで大興奮していたことでしょう。 

 

そして「敵」ながら素晴らしい戦いを見せたリヴァプールFCに敬意を表して急きょ「フィアレス」に”You'll never walk alone"を入れることを思いついたのでしょうか?それとも「フィアレス」という曲自体(作曲はデヴィッド・ギルモアだったにしろ)を作ろうと思い至ったのでしょうか?

 

このこと自体はアーセナルのファンでありながらリヴァプールサポーターの声援を曲に使ったことに対して合理的な説明になっているとも言えます。FA Cupでの勝利がそうさせたと言ってもあながち間違いではないように思えます。

 

ただそれだけでは、やはり「お遊び」の曲のままです。私の感じた「落胆」はそのままになります。ところが・・・やはり「フィアレス」にはもっと普遍的な意味、ロジャーの決意のようなものがあったのです。リヴァプールFCサポーターの声援でなければならない意味、彼らが歌う”You'll never walk alone"でなければならない必然性があったわけです。次回、そこに迫ります(うーん読者はすでにゼロのような・・・)

 

では、I'll be back.

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?(前編)

さてリヴァプールといえばLiverpool FCリヴァプールFCというわけで、その熱烈なサポーター(いわゆるKOPですね)の応援歌といえば”You'll never walk alone"ですね。

 

というわけで、今回の一曲はこの曲かといえば、この曲が使われているあの曲です。と・・・焦らす間に「あれね。」と思い浮かんだ方は・・・立派なブリティッシュロックオヤジです(女性でもこう呼んで差し支えないでしょう!?)。

 

そうです、今回ご紹介するサッカーにちなんだ曲とはPink Floydピンク・フロイドの1971年11月にリリースされたアルバム「おせっかい (Meddle)」の3曲目「Fearlessフィアレス」です!

 

音楽好きな筆者にとって古今東西のアーティストの中でもやはりピンク・フロイドは別格の存在です。とは言ってもバンドのリーダーとも言えるロジャー・ウォーターズが脱退した(認めていない?)1987年以降のピンクフロイドが作った楽曲は別物に聞こえ、90年代以降のアルバムともなると聴いてもいない有様です。

 

で、今回取り上げる「フィアレス」が入っているアルバム「おせっかい」(この日本タイトル名はいいですねえ)は筆者が高校生の時に(もちろんリアルタイムではありませんけど)ピンク・フロイドと出会ったときに一番最初に好きになったアルバムです。確か一番初めに聞いたアルバムは「狂気 (Dark Side of the Moon)」だったはずで何時もつるんでいた友人から借りたカセットテープで聴いたわけですけど、あまりピンとこなかった(もちろん今ではご多分に漏れず愛聴盤であります)。なぜ、「おせっかい」を好きになったか当時からうまく説明できず、もちろんB面をすべて使った大曲(傑作)「Echoesエコーズ」をはじめとした各曲の素晴らしさにあるわけですけど、なんかこのアルバムのもつ独特な響きそして雰囲気に魅入られたって感じがします。そうこのアルバムは独特の響きと雰囲気を持っていて、のちのちピンク・フロイド的な音楽といえばこのアルバムをさすともいえるほど、このバンドの音楽的特徴を一番わかりやすい形で表しているアルバムといえるのではないでしょうか(ただしA面の楽曲だけで判断すると必ずしもそうとは言い切れないんですけど)。

 

うーん、またもやサッカーの話題どころか「フィアレス」という曲自体にも辿り着けていませんね。長い前置きになっているような気がしますけど・・・このまま続けます(確信犯)。

 

さて、独特の響きと雰囲気を持つアルバムであると「おせっかい」について書きましたけど、それはこのアルバムの主役ともいえる大作(傑作)「エコーズ」の力とも言えます。実際、この「エコーズ」におけるフロイドの各メンバーの演奏や創作は各人の個性が一番よく出ていると思います。なんせ「狂気」以降はますますロジャー・ウォーターズのリーダーシップ(わがまま?)にけん引されてロジャー色が強くなるのですから、ある意味ロジャー・ウォーターズデヴィッド・ギルモア、リック・ライト、ニック・メイスンの4人が対等かつ有機的に音を紡ぎだしていた最後のアルバムかもしれません。

(昔お仕事で一緒になった方でフロイドファンの方がいて、一番好きなアルバムに「おせっかい」を挙げていました。「狂気」以降はあまりお好きではないとのこと。結構このようなオールドファンの方は多かったりします。で、若いファンの方には煙たがられたりします・・・(- -;) )

 

私自身は「おせっかい」が最初に好きになったアルバムで今でも特別な愛聴盤ではありますけど、ロジャーが提示する世界観が好きなので当然「狂気」以降のフロイド教の信者でもあります、はい。

 

さて、ここまで来たらもっと脱線して(どこが本線かはまだ不明)書くとB面の「エコーズ」の魅力は音の響きの素晴らしさにあるかと思います。それはヴォーカルの入る前半と後半の部分(もちろんここも良いわけですけど)ではなく「間奏」部分のニックのドラムとロジャーのベース(これはデヴィッド・ギルモアによるプレーかもしれません。というのは演奏技術がバンドメンバーの誰よりも上のデヴィッドはロジャーの代わりにベースを弾くことも多々あったので)による単純なリズムが延々と繰り返されそこにデヴィッドのギターそして後々あまり聴くことの出来ないリックのクールなプレイ(ほんと単純だけどカッコいい)-リズミックな高音を中心としたキーボード(たぶんハモンドオルガン)の響き。そして後半のボーカルパートに向けてのクレッシェンドで盛り上がっていく部分のニックの叩くシンバルの音。演奏技術のなさが逆に功を奏して?延々と単調に8ビートを刻むこのシンバルの響きもいいです。で、もちろんデイッド・ギルモアのギターはこれまた絶品。あれ、リーダーは何処に・・・?この曲で演奏するロジャーの姿は見えずですけど彼の歌詞はこの曲の世界観を見事に表現しております。ただ曲の構造は「神秘」「原子心母」というアルバムの大曲と同じで、これぞピンク・フロイドフォーマットなので、ロジャーはこの辺の構成については中心になって構築したはずですし、なによりも冒頭にリックが作った潜水艦のソナー音のようなエコーが効いたピアノの音からして(この音がこのアルバムのすべてを表現しているともいえるでしょう)、音の響きを研ぎ澄ますことに彼が最大限神経を集中させたことは間違いないでしょう。まさにエコーズ(反響)ですな。

 

この曲が与えた影響力は大きく、ピンク・フロイドはあまりカバーをされることのないバンドですけど、その音の響きは時を超えて若いアーテイストの感性を揺さぶったようです。例えば、たまに無性に聴きたくなるアレックス・パターソン率いるジ・オーブの1992年の作品「U.F.ORB」とか・・・まあ、「プログレッシブ・ハウス」なんて呼ばれていたようですし。もっと適格な呼び方は「アンビエント・ハウス」か。アレックスはブライアン・イーノ(この方もわたしには別格です)を敬愛していたようです。

 

極めつけは直接「おせっかい」の音を引用(サンプリング)している、これまた1992年リリースされたスイスのバンド「The Young Godsザ・ヤング・ゴッズ」による快作アルバム「T.V.SKY」です。8曲目の「Summer Eyesサマー・アイズ」・・・これまんま「エコーズ」です(苦笑)。でもパクリとかじゃなく、抜群のセンスで再構築してフロイドに敬意を表しています。やはり彼らもエコーズの「間奏」部分に魅入られたか・・・(サンプラーを駆使して構築した曲作りながら彼らはとても才能溢れるアーティストなので以後のアルバムも含めぜひお聴きを!国内盤出なくなったのはなぜ・・・?)。

 

 どうせここまで来たんだから?「エコーズ」についての私論を。

 

この「エコーズ」だけでなく、A面の4曲目「San Tropezサン・トロペ」も含め、南仏の田舎の海岸の雰囲気を感じます(って行ったことはないですけど)。まあ、「サン・トロペ」なんてもろ、南仏の地名なわけです(Saint-Tropezが仏語での正しい綴りか)。で、「エコーズ」自体も歌詞が描く情景そして音、特にピンク・フロイドお得意の美しいカオス(ノイズ)状態のクライマックスにむけての中間部のサイケデリックトリップ的音響(リックの弾くムーグシンセサイザー?デヴィッドのエフェクターもしくはエコーユニットを通したギター?カモメの鳴くようなノート)がさっきまで太陽の光が燦々と降り注ぐ真昼でありながら急に闇になったかのような海の風景を強く浮かびあがらせます。

 

その南仏つながりというわけではないですけど、ドビュッシーが作ったピアノ作品「前奏曲第一巻」の10曲目「沈める寺」を聴いていた時に、まさに「エコーズ」の響きを思い出してしまいました。この「沈める寺」はフランスのブルターニュ地方に伝わるイスという海辺の都市についての伝説にドビュッシーがインスパイアーされ作曲したたそうです。曲が出来てからタイトルを付けたのでは?・・・という風には考え難いほど、ここでのドビュシーの音の配分は素晴らしく冒頭から間もなく奏でられる最大の盛り上がりでは海に沈んだ寺(教会)が海上に浮かび上がり教会の鐘が鳴り響く幻想的な情景が感動的に描き出されています。そしてその後また海に沈んでいく様子も見事に音で表現されています。ここでもやはりエコーズ(反響、響き)がテーマのように思われます。簡単そうに聴こえて譜面を見ると難しいドビュッシー。この盛り上がり部分での音の残響のさせ方、特に低音部の効果的な使い方はいつ聞いてもシビれます(もはや一人宴会状態でごめんなさい)!

 

そうなんですね。音の響きの探求がテーマと思われるところが「エコーズ」と「沈める寺」が共通性を感じさせてくれるところでもあり、素直にそれぞれの曲の構成を見てもピンク・フロイドドビュッシーのこの「沈める寺」をモチーフに作曲したのではと思わせる相似性があります。「エコーズ」もすべての音が海底に戻っていくかのようなエンディングですし、何より冒頭のピアノの音は「同じ曲?」と思わざる得ないほどの似かたです。ただ実際はピンク・フロイドがこの曲を参考に「エコーズ」を作り出したかと言えば、それも考えにくく、そのことはこの曲の作曲方法がドビュッシーがとったであろうアプローチとは大きく異なることからも言えると思います(これは後程)。

 

さて、ここでようやくリヴァプールFCサポーターが歌う”You'll never walk alone"が登場します。「おせっかい」のA面3曲目として収録されている「フィアレス」には本拠地アンフィールドでこの”You'll never walk alone"を歌うサポーターの歌声、歓声、口笛などが使われています。あとで詳しく書きますけど曲の中に曲があるという構造なんですね。で、このリヴァプールFCのサポータが歌う”You'll never walk alone"も大きな「響き(エコーズ)」なんですね。力強いシュプレヒコールを挙げる群衆の響きというのが最初の印象です。

 

エコーズ、沈める寺、フィアレスそして”You'll never walk alone"と「響き」の連なりがテーマのように思われる楽曲。実はピンク・フロイドは単純にこの響きが欲しくて”You'll never walk alone"をサンプリング(当時はサンプラーなどないのでこの言葉は適当ではないんですけど)した!・・・・のではないですね。

 

さてもうかなりの方々が最後まで読むのを辞められたと思いますけど、このまま次回は「なぜピンク・フロイド」は”You'll never walk alone"を自作に引用したのか、しかもリヴァプールFCサポーターがアンフィールドで歌う声を使ったのか?に迫ります!!そして、その謎ときによってリヴァプールFCサポーターの歌声はそして「フィアレス」のメッセージは40年以上の時を経てまもなくクライマックスを迎える岡崎選手所属のレスター・シティへのメッセージにもなっていることが明らかになります!!!

 

中編に続く。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

「サッカーと音楽」シリーズ再開のお知らせ。

今月は実戦から遠ざかっており、書きかけの記事もありながらもアップするタイミングを逸しております。そこで随分と先延ばしにしていた本シリーズ(誰も覚えている方などいらっしゃらないのは承知で)の第二回目を書くことにしました。(記念すべき?シリーズ第一回目はこちら⇒ 「 「サッカーと音楽」シリーズ 第一回 ~ 世界は動いている!(前半)」 )

 

実は頭の片隅では「予告までしたんだから書かなきゃな~でも新しい発見がまだ出てきてないしな~」なんてことあるごとに思っていたわけなんです。

 

この「新しい発見」とは何を意味するかは、次回以降長々と書かせていただくとして、すでに2年前に予告した時点で、記事にする曲(ということはアーティストも)は決めていました。

 

というわけで前回の終わりに予告したようにマンチェスターからリヴァプールへ移動します。でもビートルズじゃないですからね~。

 

では、I'll be back.

 

 

伝言そして明日へ

本日はサッカー審判とは直接関係ないお話しです。

 

予想していた通り?携帯もガラ携からスマホへ、そしてパソコンも新品となったので記事もサクサクとアップ・・・とはやはり行きませんです。言い分けながら今月は列車や飛行機でやたらと移動が多く週末にも疲れが残り、今週末も金曜日の夜遅く遠方から飛行機で戻ってきたせいか、大学生の長男以上に朝寝の巻。審判の割り当てあったら・・・ヤバかったかもです。

 

体を動かしていないと余計疲れが残ると思い、先週末はMTBで長距離走に出たり、滞在先のホテルで軽めにスクワットしたり腕立てしたりだったんですけど、歳のせいか(近年の言い分けNo.1)疲れが取れずやっと今日あたり復活してこうやってキーボードを叩いているわけです。

 

さて、記事はサクサクとはいかないでも、やはりスマホにすると何かと便利ですね。ふと思ったことはスマホどころか携帯やメールもなかった時代の割り当て連絡ってどんな感じだったのか?「ジリリリリーン!」と黒電話が鳴って「XXXXサッカー協会です。X月XX日の試合、副審お願いできますか?」なんてやっていたのか、いなかったのか・・・。筆者は歴史好きでもありますけど、このようなちょっとした昔のことも記録に残ってないと忘れ去られてしまうこともあります。

 

さてそのスマホで前からやっておこうと思いつつ先延ばしにしていたことを今週末にやりました。それは災害用伝言版(web171)への登録です。きっかけは今も多くの方が被災されている熊本県を中心とした大地震が起こったことです。

 

ご存知のように災害時に電話が繋がりにくくなった場合でも家族などと安否の確認連絡がスムーズにとれるシステムということらしいです(「らしい」と言ったのは実際に使用したことがないからです)。登録すると以下のようなメールが自動的に送られてきます。

 

災害が起こった時に、電話番号090xxxxxxxx災害用伝言板に伝言が登録されると、あなたに伝言が通知されます。伝言の詳細については、災害用伝言板web171)で確認できます。以下のWebサイトで電話番号090xxxxxxxxを入力して確認ください。このサイトで、あなたも伝言を登録することができます。伝言を確認・登録する際に認証を問われた場合は、あなたのメールアドレスxxxxxxxxを入力してください

災害用伝言板web171URL: XXXXXXXXX

※注意 災害用伝言板web171)は、災害時のみ伝言の登録、確認ができます。

 

 まだ登録されていない方はこの機会に登録されてみてはいかがでしょうか。

 

 

九州におかれましても1日でも早く、皆様方が安心してサッカーを楽しめる日々が来ることを心よりお祈り申し上げます。

 

では、I'll be back.

 

 

 

ファウルの基準の非一貫性について

さて、最近自チーム(U-12)の帯同審判員として主審を務めた時のこと。

 

「 吹かないのか吹けないのか? サッカー主審の笛。 」でも書いたように「吹けない」ではダメなので自分で課題を設定して試合に臨みました。課題は「上半身を使ったファウルを厳しく取り締まる。そのために良いポジションをキープする」です。

 

「良いポジションをキープする」は自分で評価するのはとても難しい。偉そうに課題を設定しておきながら、串刺しの位置になって攻撃側選手がペナルティエリア内で犯したかもしれない「つまずかせる」ファウルを見極めることが出来なかったかもしれないこと、プレーに巻き込まれて選手から「邪魔だよ」と言われたということは・・・ポジション良くなかったですね。反省。

 

で、上半身のファウル、特に手で押さえる、掴むプレーや背後から押すことについてはある程度厳しめに見極めることが出来たのではいう自己評価でした。このような課題を設定したのは自分が主審を担当する試合の前、数試合ほど他のチームの方が主審を務めていたのを見ていると・・・ホールディングやプッシングのファウルをとれていない・・・のに気づいていたからです。

 

まあ、以前から繰り返し書いているようにこの辺を見極めるには意識して選手の動きを見ているかがとても大切なことになります。特に大切なポイントは:

 

① 手の動き(=その手はプレーとして「自然」な動きか、「悪意」のプレースタイル

  になってないか)

② 優先権(=ボールへの距離、ボールとの位置関係、レイトプレー(=遅れて行って

  ないか)

 

等かと思います。

 

①で注意したいのは手のファウルがプレースタイルになっている選手を早めに特定してその動きを見逃さないことです。特に小学生の場合、以前にも書いたようにそれがプレーの一部になっているといずれ「通用しない」選手になってしまうこと大です。例えば、手を使って体を入れ替えるとか、後ろ手に守備側選手の動きを押さえつけるFWの選手の動きとか、よ~く注意して見るようにしましょう。背後から相手選手に詰め寄って手を使って相手選手を抑えながら相手の前面に体を入れてボールを奪うのなんて(ボッ~と見ていると)自然なプレーの流れのように見えて完全にズルい動きなので即「ピッー!」ですね。

 

②は繰り返し書いているポイントですけど、特に背後からのプッシングなど注意です。つまりボールを完全に相手選手がコントロールしていて、ボールに届かない位置に自分はいながら相手選手の背後から(必ずしも手だけでなく)体で押しているようなプレーが「不用意」以上になっていないかの見極めです。

 

さてこの試合でのトピックはこのようなファウルの見極め・・・もそうなんですけど実はファウルの基準の一貫性についてなんです。それは自分自身の判定基準の一貫性でもありますけど、もうひとつは大会(もしくはその日の試合全般を通じての)としてのファウルの判定基準の一貫性についてです。

 

自分が担当した試合で基準を一定にしながら上記のようなファウルをとっていたつもりなのですけど、背後からのプッシングに笛を吹いた瞬間にファウルをとられた選手が「も~う!」という言葉と身振りで異議を示したようにみえました。ここはカードを出さず笛を吹いてあらためてプレーを止めその選手に注意を与えます。「今のファウルだからね」。

 

さて自分の判定基準の一貫性も反省する点はあるものの、このとき選手から感じたのは「え~さっきの試合で笛は鳴らなかったのに~!」というような不満でした。

 

もちろんこのような不満が本当にあったのかは私の憶測にすぎません。しかし事実、私が主審を担当する前までの試合では厳しく言えばとるべきファウルが全くといっていいほどとられていませんでした。ですので同じ大会の中で私の判定だけが大きく「基準」から外れていたとも言えるでしょう。実はこのことはある程度予想していました。厳しくファウルをとりにいこうと決めて試合に臨んだので「えっ?なんで??」という違和感が選手の間に起こり得ると思っていたのです。

 

 

通常は当該試合内での判定基準の一貫性が求められることにファーカスが当たりますけど、このようにひとつの大会やその日に連続して行われる試合の中での審判員の判定基準の一貫性もとても大切なものになると思います。

 

あとこれは以前にも書きましたけど、やはりTVの影響ってあるのかな~と思ってしまいます。つまりJリーグの選手が行っているプレーをマネするってようなことです。またそれは選手(子供たち)だけでなく審判員(大人たち)にも影響を与えているようにも思います。「簡単には笛を吹かないぞ」ってこと(本当は「吹けない」)が「カッコいい」みたいなことってないでしょうか?

 

そんな印象をもったのは本日、TV中継されていたガンバ大阪 VS 横浜Fマリノスの試合を見ていてのこと。それは主審の佐藤隆治さんの判定についてです。佐藤主審、今日の試合ではちょっと手のファウルに対して寛容だったような気がします。ちょっと偉そうに言うと、「ウ~ン、今のはホールディングでは!?」と思われるプレーでも笛はならず(もちろんアドバンテージを適用されていたプレーもありましたけど、必ずしもそうでもないプレーもあったような)で、正直「この試合を見ている全国の良い子はマネしないでね~。あと子供たちの育成に関わるすべてのコーチ、監督そして審判員の方々も」と思った次第です。

 

なんて言うは易し行うは難し、です。

 

さて私の反省。上記の主審を担当した試合で行うべきだったのは整列して挨拶するとき(つまり試合開始前に)「手のファウルを厳しくとるよ、後ろから押すのもちゃんと見ているからね」と子供たちに言っておくべきだったかと。ファウルを「カッコよく」取り締まる前に「させない」ことに優先をおくべきなのは、特に育成世代の審判員にとって大切なことかなと思います。そして大会を通じてのファウル基準の非一貫性に対する選手の不満を和らげる策の一つでもあろかと思います。

 

では、I'll be back.

 

 

まかり間違っても金輪際「中東の笛」なんて言うのはNGの巻。

ちょっと間が開いてしまってご無沙汰となってしまいました。

 

実は長年使い倒したガラ携が逝ってしまって、ついにスマホiphone)に乗り換え、それから間もなく今度は5年間は使ったであろうラップトップも逝ってしまい、買い替えるはめとなり・・・そんなこんなでしばらくPCのセットアップ等でバタバタなのでした。それにしても、こんなにサクサクとPCが反応してくれると記事も書きやすい・・・はず。しかも前機とは比較にならないくらい軽いしバッテリーも1回充電すれば余裕で1日もつし、これでバリバリ記事が書ける・・・はず。

 

さて、前回の記事のあと他県に遠征しての審判を務めた時のことやら記事にしようかと思っていたのですけど・・・それはまた改めてということで本日のFIFAワールドカップ・アジア二次予選日本VSシリア戦を観て感じた事をひとつ。

 

まあ、いつものことなんですけど前半30分過ぎに香川選手が背中を押されたような形で「倒された」プレーで主審のファガニさんが指したのは日本のゴール側。つまり香川選手のファウルでした。香川選手が倒れながらボールを両腕で囲い込む形のハンドの反則。リプレイを見る前は一瞬実況の皆さんと同じで「えー?」となりましたけどファガニさんが指し間違うわけがない。で、スローで見るとさすがです。

 

このとき実況の方々のニュアンスは「こんな(納得のいかない)判定もあるのがアジアなんですよね」という仰られ方でした。まあ、「中東の笛」って言葉が出なかっただけましだったにしても・・・やはり視聴者には誤解を与えたよな~と思ってしまいました。つまり「主審の判定は受け入れられないけど、このようなアジアの審判の不可解な判定も念頭にアジア最終予選を日本代表は戦っていくべき」というような解説になっていなかったでしょうか?

 

日本代表「応援団長」を意図的に演じている松木安太郎さんはともかく、この辺のレフェリングについてしっかりと他の方々から解説して欲しかった。

 

まあ、後方からの「不用意な」プッシングとしてファウルとするという基準もありなのかもしれませんけど、それではファルウを「もらい」にいった香川選手の術中にハマってしまい試合が面白くない。正当なフットボールコンタクトと狡さを天秤にかけた場合ファガニさんの判定は妥当なものだと思います。

 

それにしてもファガニさん惚れ惚れするような走り。すべての審判員に見習って欲しいものですね。

 

では、I'll be back.