ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

サッカー審判員の「批評と弱点」(後半)

さて、トゥーロン国際大会の日本対ポルトガル戦の主審の「ツッコミどころ」と実況アナウンサーの方の「理解不足」について・・・なんて言っていたらイングランド戦も終わりました。

 

さて先に「理解不足」について書くと、まあ例のバックパスなんかは競技規則やガイドラインにも明確に記述されていないので、ここはキックとは「足のどの部分でボールを扱うことなのか」の補足があればよりバックパスについての正しい認知が広がる(それだけでは不十分でしょうけど)とは思います。

 

で、私が実況のアナウンサーの方の言葉に審判員として過剰に反応してしまったのは前半31分過ぎのこと。植田選手からのロングパスが、前線の浅野選手に通ろうかとしていたら・・・オフサイドフラッグがあがり「浅野へ、受ける、オフサイドです。遅れてフラッグがあがりました」の実況。

 

さて、この場面浅野選手の裏に抜ける動きは二人のポルトガル選手のDFによるオフサイドラインのコントロールにより完全に無力化されオフサイドポジションにいてボールを先に触るのは浅野選手ばかり、という状況でした。では、A2の方のフラッグアップはというと・・・全く遅くないですね。浅野選手がボールをトラップするタイミングで旗をあげてますのでウエイト&シーの基本通りで問題なし。つまりいくらボールに触れるのは可能性として、ほぼ浅野選手しかいなくても反則が成立するまで旗を上げないという見極め動作のお手本だと思います。

 

まあ、実況の方はそんな意味合い(つまり「ボールは浅野選手に向かっていてもともと浅野選手はオフサイドポジションにいたんだから、もうちょっと早くあがれば浅野選手だって裏のスペースに向かってあんなに走らなくてもよかったのに」というニュアンスでしょうか)ではなかったかもしれませんけど、どうしてもフラッグアップのタイミングが「遅れて」なんて言われると過剰に反応してしまうんです。はい。

 

これはちょど自分が先週末にU-10の試合で副審を務めたときの事象を思い出したからでもあるんです。何列か並んだ前線の攻撃側選手を監視していた時一人の選手がオフサイドポジションにいたのを見極め、彼のところにボールが行ったので、思いっきり旗あげたら「触ってないよー!」のベンチの声。そう、その前にオンサイドの別の選手がシュート。(主審の方が後で気を使ってくれたのか「旗気づきませんでした」と言ってくれましたけど、)結果ボールがゴールラインを割った後にすぐ、私のフラッグアップを見た主審の方とお互いアイコンタクトしながらフラッグをキャンセル、ゴールキックでの再開となりました。

 

見込みでフラッグアップは厳禁なんですね。

 

もうひとつの事象オフサイドポジションにいた選手が、すでにゴールキーパーの足元にいっているボールに向かってプレーに干渉しそうになったんですけど、フラッグアップを保留。無事?ゴールキーパーはボールを前線に蹴り出しそのままプレーは続きました。これプレーに干渉した時点で旗をあげると「遅い!」って周りからは言われそうでした。もちろんゴールキーパーとの接触が危険を呼びそうな局面では早めのフラッグアップが望まれますね。自分が主審だと早めにフラッグアップされても見極めながらキャンセルできるんですけど・・・この辺主審と副審のアイコンタクト(連動)が重要です。

 

というわけで、「遅くない!」とついつい叫んでしまったわけです。過敏かな~。

「理解不足」なんて言っておきながらフォローさせていただくと、実況の方も競技規則をほぼほぼ理解されていたかとは思います。まあ、バックパスのシーンは解説の早野 宏史さんの明確なフォローがあるとよかったかも(少なくとも、その後のいわれなき審判批判の声のいくつかは防止できたかもです)、そして例の「ハンド」のシーンでは反則かどうか選手の意図を見極めるポイントについてのガイドラインの条文をすぐに実況の方が付け加えるとかしたら一方的な「主審の見落とし(≒誤審)」批判を、これまたある程度は防止できていたかもな~なんて思います。

 

さてその「ハンド」で始めた主審のミロさんの「ツッコミどころ」についてです。

前半で書いたようにミロ主審がポルトガルのエンリケ選手のプレーをハンドリングの反則と判定しなかった理由で考えられることは:

 

1)エンリケ選手の意図は認めず偶発的に腕にボールが当たったと判断した。

2)エンリケ選手のハンドリングと認めたものの、その直後野津田選手がシュートできるとみてアドバンテージを適用した(ちなみに、ここでプレーオンのシグナル&声を出すと「やっかい」なことになる可能性があり・・・なんですね)

3)そもそも腕にボールが当たった事象が見えなかった。

 

の三つでした。まあ1)ということなんでしょう。

 

で、2)なんですけど確かに野津田選手の足元にボールが落ちていてシュートチャンスとも言えます。ただ前にいる複数ポルトガル選手の位置から考えるとシュートコースはかなり限られていてPKを上回るアドバンテージとは思えません。というわけで日本側から見るとアドバンテージなんか適用しないで、PKにしてよ!ってことになると思います。よってミロ主審がハンドリングの反則をみながらプレーオン(シグナルなしで)をかけてアドバンテージをかけた可能性はないでしょう。

 

ちなみにこのような局面で(つまりペナルティエリア内のファウルという判断で)仮にアドバンテージをみてプレーオンのシグナル&声出してしまった場合には「無事」ゴールとなればいいですけど、シュートが枠をはずれたら・・・すでにシュートというアドバンテージの権利を実行したのでその時点でロールバックは行わないということになります。しかしそれだとアドバンテージをもらった攻撃側チームとしたら「笛吹いてよ~」ってことにもなりますね。決定的な得点の阻止ではない状況でペナルティエリア内での守備側選手よるハンドの反則直後に、続けてシュートされたボールがゴールインなんて状況、私も経験ありです。ですので守備側チームによるハンドの反則があっても、各選手のポジションや体勢等々、一呼吸状況を見極めてから笛を吹くべきかと思います。ただU12以下なんかではハンドの直後に守備側選手が主審の笛が鳴るものばかりだと思い込みフリーズ(静止)してしまい、その隙に攻撃側選手がシュートを決めるなんてこともあり得ます・・・うーん色々と「やっかい」です。

 

さて、3)についてはミロ主審がまさか事象を目撃できなかったとは思いませんけど、南野選手がちょうどエンリケ選手に重なるような形でミロ主審の視界を遮ったので主審は事象が見えなかったのでは?・・・ということが一瞬頭をよぎってしまいました。実はこれには伏線があり、それが「ツッコミどころ」なんですね。

 

そう、それは前半に予告したようにミロ主審の動きなんです。

 

まずは誤解なきように書いておきますと試合全般にわたりミロ主審の動きは素晴らしいものだったと思います。ジョグ、スプリント、バックステップ、サイドステップなどなど状況に応じて使い分け的確にポジションを変えながら争点を監視していたと思います。ただ・・・1点を除いて。それは「動き出しのタイミング」なんですね。これが私の眼には「もう少し早くてもいいのでは?」と思ってしまう場面がありました。特にフィールドを縦に選手たちが速いスピードで駆け上がっていくときの動きですね。分かりやすい例でいえば浅野選手が裏に抜けてポルトガルDF陣と競り合いながらゴールに向かう場面などではポジションとしては「串刺し」になっていたような。距離も遠いかな~。

 

これまた週末の試合で、他のチームの帯同審判の動きを見ているとやはり遅いんですね動き出しが。もちろんミロ主審のレベルと比べるのは適切ではありませんけど、どの方も試合全体を通じて動けていない(動いていない)とも言えます。そもそも4種のカテゴリーでずーっと動いていない主審が突如、全力疾走を始めたら審判員の動きとしては「オカシイ」と思ってください。変化していく争点を監視するためにこまめに的確な位置取りを主審が心がけているなら4種のフィールドの大きさや選手たちのスピードでは、主審として(周りから見て余裕がないような)全力疾走が生じることは私の経験上ありません(もちろん相手コーナーキック直後の自陣深い位置からの素早いカウンター攻撃に転じる場合など、全力疾走が全く必要ないわけではないですよ)。

 

もっと言えばシニア審判員としては本当に必要な時のためにスプリントするスタミナを温存するためにも「動き出しの早さ」が命なんですね。はい。早くスタートすれば少ない走力で争点に迫れるというわけです。

 

とにかく最初はあまり深く考えず争点に近づくことだけに集中しましょう。これを試合を通じて集中してやるとヘトヘトになるはずです。で、このように動く習慣が出来てから以下の不都合な真実に向き合えばいいのです(大袈裟)それは:

 

「ある争点に近づくということは、次の争点から遠ざかる、または次の争点のためのより良い視野を犠牲にするリスクが高まることと表裏である。」

 

ということです。

 

このことがあるから、ただ闇雲に争点(あるいはボールに)に近寄ればいいわけではなく、常に次の争点を予測(意識)した上で今の争点との距離やそれを監視すべくポジションを決める必要があるんですよね。

 

ということからも過去記事でも繰り返し書いている、この「動き出しの早さ」の重要性がお分かりいただけるかと思います。

 

さてミロ主審の場合、高いレベルで私がそう感じていただけで、けっして動き出しが悪いわけではなかったかもしれませんけど、ここが審判員の性(さが)なんですね。つまり上記のオフサイドの見極めにしても動き出しについても自分の「弱点」だと感じていることを他の審判員の中に投影して「批評」してしまうんですね。まあ、ここに書いていること全部だともいえます。

 

また蛇足ながら上記の「ハンド」のケースにおいても、あまりに明らかに伸ばした腕などにボールが触れたのを見ると(つまり事象がクリアに見えると)すぐに笛を吹かないでその意図を深読みして「セーフ」にしてしまうこともあります。このような場合あとで振り返ると「直観」より「理屈」に走り過ぎたかな~と反省することがあります。これは私の性(さが)です。

 

というわけで、ミロ主審、自分のことを棚に上げて批評している日本の3級審判員をお許しくださいませ!お手本とさせていただいたことの方が多かったことは間違いございません。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

サッカー審判員の「批評と弱点」(前半)

さて、トゥーロン国際大会の日本VSポルトガルの試合についてです。

 

前回予告していた主審(フランス)のミロさんの「ツッコミどころ」と実況の方の「理解不足」についてです。

 

さてまずは「ツッコミどころ」は巷で話題の?日本のクロスボールをポルトガルのDFパウロ・エンリケ 選手が手で「叩き落した」事象についてです。実はあらかじめいっておくと本当の「ツッコミどころ」はこの瞬間の判定(ハンドにすべきだったのか、どうか)についてではなく試合全体におけるミロさんの動きなんですね。それは後ほど。

 

とはいえ、この「ハンド」については書くべきだと思いますのでちょっと詳しく見ていきましょう。

 

最初にフェアに話を進めるために私が主審だったらどうするかを書くと、即「ピー」っと笛吹いてPKとしますね。

 

第 12条 ファウルと不正行為

ボールを手または腕で扱う
競技者が手または腕を用いて意図的にボールに触れる行為はボールを手で扱う反則であ る。主審は、この反則を見極めるとき、次のことを考慮しなければならない。

●ボールが手や腕の方向に動いているのではなく、手や腕がボールの方向に動く。

●相手競技者とボールの距離(予期していないボール)。

●手や腕の位置だけで、反則とはみなさない。

●手に持った衣服やすね当てなどでボールに触れることは、反則とみなされる。

●サッカーシューズやすね当てなどを投げてボールにぶつけることは、反則とみなされ る。

 

さて、事象を素直に見ると「手や腕がボールの方向に」・・・動いてます。「予期していないボール」・・・とは言い難いですね。

 

ただ上記の条文はあくまで「考慮しなければならない」要点であってもハンドリングの反則が成立するための要件ではありません。一番大事な見極めポイントは「意図的に」ボールを腕や手で扱ったかどうかですよね。

 

私の判断はクロスボールが上がってきている状況で、あれだけ腕を上げていたら「未必の故意」を感じてしまうという次第です。はい。

 

一方でエンリケ 選手の悪意まで感じるかというと、そうでもないことは腕で叩き落とされた後のボールの軌道を見ればわかりますね。そう、野津田選手がシュートできるように跳ね返っているわけですので、決して腕を使って阻止したとまでは言い切れないようにも思えます。

 

というわけでずるい言い方なんですけど、この事象をハンドリングと判定しても大誤審とも言えずハンドリングでないとしても大誤審とは言えないアンビバレントな後半なんですね(なんのこっちゃ)。

 

さてミロ主審はどのように判断してPKとは判定しなかったのでしょうか?可能性は以下の通り。

 

1)エンリケ選手の意図は認めず偶発的に腕にボールが当たったと判断した。

2)エンリケ選手のハンドリングと認めたものの、その直後野津田選手がシュートできるとみてアドバンテージを適用した(ちなみに、ここでプレーオンのシグナル&声を出すと「やっかい」なことになる可能性があり・・・なんですね)

3)そもそも腕にボールが当たった事象が見えなかった。

 

まあ、順当に考えて1)だと思いますけど、2)3)は考慮に値しないかと言えば・・・それは後半で。

 

次にNHK実況のアナウンサーの方の「理解不足」について。

 

まず例のバックパスについては膝にボールを当ててゴールキーパーに返しているのでミロ主審の判定で何の問題もありません。詳しくはこちらの本のP117をご参照下さい →

ポジティブ・レフェリング

 

で私が実況の方の理解不足を感じたのはここではなく、審判員としての悲しい性?からくる微妙~な、感覚についてなんですね。これも後半で。

 

では、I'll be back.

 

 

遅延行為にみる「本音と建前」

トゥーロン国際大会の日本対パラグアイU-21の試合。残念ながら1-2で日本U-23代表は一次リーグの初戦を落としてしまいました。

 

しかし普段はこんなこと書かないのですけど、日本代表のサッカー、そっくりそのままJリーグのジュニアやユースチームが行っているボール回しそっくりですな。つまり相変わらずのバックパス、横パスの連続。早い動きや激しい当たりの中で前に進めるボール回しに「慣れていない」ので受け身なゲーム展開だったような・・・。ちょっとこのままの状態が続くと日本のサッカーの将来が心配、心配、心配・・・です。

 

そんな中でも浅野選手とオナイウ選手のコンビネーションに明るい希望を見ました。

 

さて、この試合で気になったことがパラグアイの選手による「ちょっかい」と主審のマネジメントなんですね。

 

日本がフリーキックなどでリスタートしようとするたびにパラグアイの選手がボールをあらぬ方向に動かしたりボールを持ったまま移動して離さなかったり、ボールの前に立ってリスタートの位置を直させようとしたり・・・まあ、自由にリラックスして?「ちょっかい」出してくれてました。

 

これらは遅延行為の要件を満たしていてイエローカードを提示してもいいのですけど、そこはギスギスしたくない?伝統ある国際大会ゆえか、主審もまずは十分な注意を与えていました。パラグアイの選手に時間をとってコミュニケーションをしています。まあ、最初の対応としては妥当なものでいきなり警告にしないこと、またはしたくないという主審の本音も見えます。

 

ところがまったくパラグアイの選手には効かないんですね、この注意(苦笑)。その後もことごとく「ちょっかい」出して、まるで不良に翻弄されている優等生の日本選手って感じで、見ているこっちもイライラしてきました。

 

こうなると主審の本音は建て前となり、本音としてはイエローカードだしたいけど、基準の一貫性が損なわれる、どうしょうかな~って感じでしょうか。まあ、その心持は推測するしかないんですけど、明らかに後半はパラグアイの選手が「ちょっかい」だしても前半ほど注意しなくなったので、正直これは主審のマネジメントとしては失敗しているという見方をされてもしかたないかな~と感じました。

 

つまりはやんちゃなパラグアイの選手(こういうのをマリーシアという概念で括ってはいけません)は、「いくらやっても警告されないから、やっちゃえやっちゃえ」と思っていた(もしくは少なくとも結果そのように採られてしかたない状況が生み出された)ふしがありますね。

 

これU-12のカテゴリーで主審がこのようなマネジメントをやったらベンチは大荒れ、教育上もよろしくないということになります。そもそもU-12で選手がこのような「ちょっかい」をリスタート時にだしたら、明らかな悪意を認めていいと思いますので私なら(偶発行為でない限り)即警告です。というかこのような芽は早い段階で摘んで「悪い大人」のマネはしないようにとのメッセージとすべしですね(指導者の方々、応援の父兄の方々くれぐれも子供たちに向かって「ボールの前に立てよ!立てよ!」なんて声は出さないようにお願いします)。

 

とはいうものの、今回の遅延行為のマネジメントには考えさせられる部分も多々あり、遅延行為に限らず主審の意図が選手に理解されず(もしくは無視され)「無法状態」になった場合(もしくはなりかけた場合)どのように、またどのタイミングで次の一手を打つべきかという課題が突き付けられた感じがします。

 

まずは、どのような場合でも選手が競技規則の意図に反して自分たちの都合がいいように試合を進めているような状況を生み出さないようにしましょう。

 

さてこの記事書いていたら今度はポルトガルU-20代表チームに日本U-23代表は負けてしまい2連敗となりました。トホホ・・・。

 

この試合もネタ満載で?主審のフランスのミロさんの判定にもツッコミどころあり・・・なんですけど一方で実況されていたNHKのアナウンサーの方の審判法(もしくは競技規則)に対する理解不足などもありここは審判の方々の名誉のためにも書いておかなければ・・・というわけでその辺は久しぶりに(一か月ぶり?)に主審と副審を務めた自身のケースとともに後日。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?(後編)

さてワンクッションおいて後編です。

 

何の話でしたっけ・・・いやいやこういことでしたよね。つまり:

 

ピンク・フロイドロジャー・ウォーターズは熱烈なアーセナルFCのサポーターでありながらアルバム『おせっかい』に収録されている『フィアレス』の中でリヴァプールFCのサポーターが歌う『You'll never walk alone』を引用しているのはなぜ?」

 

というお話でしたね。

 

今やなんの興味もない方も今回で完結なので今しばらくのご辛抱を。

 

さて、その前に肝心の「You'll never walk alone」という曲について全然書いていませんでしたね。

 

「You'll never walk alone」はもともとミュージカル「回転木馬」のために作曲されました。その後、フランク・シナトラエルビス・プレスリーなんかにも歌われた人気曲なんですね。しかしこの曲を一気にポピュラーにしたのは1960年代マージービートバンド(リヴァプールを中心としたイギリス北部出身のロックグループの総称。リヴァプール市内を流れるマージー河が名前の由来)としてアメリカでも人気者になったジェリー&ザ・ペイスメイカーズによるバージョンです。イギリスだけで80万枚を売り切ったといわれている大ヒットとなりました。

 

実は今回の記事を書くのに彼らのレコードやCDを探し、タイミングよく今年デジタルリマスターされたCD「太陽は涙が嫌い+20」に「You'll never walk alone」が収録されていたので購入。じっくりとこの曲を聴きました。

 

もともと優等生的な曲なんですけど、ジェリー・マースデンの初々しいボーカルとシンプルなアレンジで「青春の挫折の泥にまみれながらも前に進む歩を止めない若者の静かな力強さ」をイメージさせる曲に仕上がっているように思います。ジェリーの歌によってこの曲の世界観により多くの人が共鳴するようになったことは間違いないでしょう。で、この歌がリヴァプールFCサポーターの心をつかみ試合前の合唱となっていった・・・という経緯はこちらのサイトでとても詳細に分かりやすく蘊蓄満載に紹介されているのでご参照くださいませ → You'll never walk alone

 

それにしても、オスカー・ハマースタイン2世が書いた歌詞なんですけど、文部省推奨歌のごとく前向きかつ誠実さあふれる世界が展開されていますね。どう考えても「おせっかい」以後ますます辛辣さを増していくロジャー・ウォーターズによるピンク・フロイドの歌詞世界とは真逆のような印象です。

 

一方で「前向き」とは書きましたけど「You'll never walk alone」の描き出す世界は勝利を確信している楽天的な応援歌というより、とてもハードルが高くて、様々な困難が待ち受けていて進めば進むほどボロボロになって到達できない目標(とうてい勝ち目のない戦い)かもしれないけど「俺たちは絶対見捨てないよ。いつも一緒なんだ。一緒に困難に立ち向かうのさ!」といった一種、悲壮感ただよう前向きさとも表現できるでしょう。それがゆえに皆で歌っていると特別な高揚感が生まれるのではないでしょうか?

 

なんか「You'll never walk alone」に似た世界観の曲が昔あったような・・・と考えを巡らしていて思い当たったのが1966年にシングルヒットしたザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」。その歌詞は:

 

「君の行く道は はてしなく遠い だのに なぜ 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで 」

 

というように続きますね。

 

ジェリー達の「You'll never walk alone」が全英No.1ヒットになったのは1963年のことなのでひょっとして「若者たち」は「You'll never walk alone」に影響を受けたのかも・・・です。

 

さて、ここまで書くともうお分かりのようにピンク・フロイドの「フィアレス」の歌詞の世界観と「You'll never walk alone」の歌詞の世界観は全くかけ離れているどころか共通しているのですね。である意味「若者たち」とも。

 

曲          歌詞

フィアレス      あの丘は険しすぎて登れない、と君は言う

You'll never walk alone たとえ夢が砕かれても、挫けそうになっても

若者たち       君の行く道ははてしなく遠い

 

で、これは偶然というより1960年~1970年代のイギリスの、日本の、そして

世界の若者が感じていた空気感と共鳴して出来上がった歌詞のように思えます。もちろん「You'll never walk alone」だけ作詞されたのは1945年になりますけど、だからこそ「You'll never walk alone」はより普遍的な歌詞世界になっていて、時代を超えて若者(もちろんそれ以外の世代)の心に強く響く力があるのではないでしょうか。

 

この60年代~70年代前半がどのような空気感だったのか、その時世界はどうだったのかを語り始めるのは私の知識と筆力では無理なので、ここでは強引に単純化するとベトナム戦争を契機とした反戦運動、アメリカを念頭に置いた覇権主義に向けられた批判やマーティン・ルーサー・キング・ジュニアに象徴される人種問題の高まり、そして英国に目を向けるなら大英帝国の栄光は今は何処、悪化をたどる一方の経済状況等により若者の憤りと怒りそして挫折感・・・といったところでしょうか(かなり勝手ないい加減解釈ですけど)。

 

なので「フィアレス」が書かれる前から「You'll never walk alone」が世に出た間、特に1960年代には特に同じような世界観の曲が作られたように思います。

 

でも、その中で「フィアレス」に込められたメッセージはリヴァプールFCサポーターが歌う「You'll never walk alone」を挿入することでより普遍性のあるものになっていると思います。それはなぜかというと「フィアレス」は歌詞を書いたロジャー・ウォーターズの決意表明のような曲でもあるからなんですね。

 

2015年のローリングストーン誌のインタビューでロジャーから「友人だったこともなければ、打ち解けたこともないね」と言われたデイッド・ギルモアでさえも

 

「ああ、俺だって『エコーズ』の歌詞自体がそれほど意味のあるものとは記憶してないさ。あのアルバム(「おせっかい」)には、もっと意味深い歌が入ってたと思うよ。タイトルは忘れちゃったけど、最後にYou'll never walk aloneって一節があるヤツとかね。あのアルバムには、ロジャーが入っていきたがっていた方向を示すものがギッシリ詰まっていると思うよ」

 

と曲名は忘れ去られているものの「フィアレス」の核心を掴んでいます。

 

ではロジャー・ウォーターズの決意表明とは何かといえば、それは彼が目指す理想の社会の実現ではないでしょうか。彼が目指す理想とは核兵器のない世界そして一部の人だけが富を握らない世界、法の下すべての人が平等に取り扱われる世界のようです。そしてそれは現在の資本主義に代わる彼なりに理想としている社会主義らしいんですね。「らしい」と言ったのはこればっかりは本人に訊いてみないとわからない…(苦笑)。ただ彼は子供時代から共産党員だった母親の影響もあったようですし、学生時代から反核運動を熱心に推進していたようですし、その後ピンク・フロイドの一員(リーダー)として成功してもますます富を占有する資本家、自由主義の御旗のもと共産勢力に対抗すべく(という口実で)核の抑止力を掲げ、軍事行使を正当化する国々(まあ主な矛先はアメリカということになりますね)に対する批判を強めていきます。

 

もちろんロジャー・ウォーターズのこのような主義主張を知らなくともピンク・フロイドの音楽は楽しめますし(知らない方がよけい楽しめるか)、「フィアレス」もいい曲だと思います。ただ私にとっては何かとても強い人間の意志の力を感じた「フィアレス」が単なる趣味のサッカーから気まぐれに引用してきた効果音に過ぎなかった・・・で終わって欲しくなかったので実は「フィアレス」においてリヴァプールFCのサポーターが歌う「You'll never walk alone」が引用されたのは上記のようなロジャーの理想に向かう同志へのエールだった、ということを知ったことで、この曲に関する一時の「落胆」が大きく「確信」へと変わっていったのでした。

 

つまり:

 

You'll never walk alone = リヴァプールFCへのサポーターによるエール

フィアレス      = ロジャー・ウォーターズによる社会主義的傾向が強い

             (強かった?)リヴァプールの人達へのエール

ということです。

 

このこのとに気づかされた記事はこちら → Liverpool FC: the Pink Floyd connection

 

 ここにアーセナルFCの熱烈なファンでありながらロジャー・ウォーターズリヴァプールFCの歌う「You'll never walk alone」を自分たちの曲(作曲はデヴィッド)に引用した必然性があったわけです。

 

ロジャーの主義主張は多分ピンク・フロイドを始める前からのもので現在にわたるまで首尾一貫しているように思います。ふつうは(あえて言えば)政治的なメッセージが強いアーティストはピンク・フロイドまでメジャーになれなかったり、音楽的才能が枯渇してしまったので軸足が社会・政治的活動(例えばチャリティコンサートなどの出演)へ移ったりする(これは坂本龍一氏自身が以前語っていたことですね)ものですけど、ピンク・フロイド自体はロジャーの主義主張にかかわらずヒットアルバムを生み出し続けどんどんと巨大な存在になっていきます。まあ、それは楽曲の素晴らしさと同時にあくまでロジャーの視点が「個人」に向けられていてより普遍性のある(政治やイデオロギーに限定しなくとも)歌詞になっているからだとも思います。

 

話すと長くなるのですけど(もう十分に長い!)ロジャーの感じていることを端的に言えば世界で起こっていること(他者の言動)と自分の内面(理想)とのギャップからくる疎外感かもしれません。そんな疎外感(他者に対する違和感とも言えます)とは表現者であれば誰でも、そして表現者ならずとも誰でも感じていて、やがてそれは社会システムに深く入り込んだ(つまり大人になった)時点でどんどん忘れる(忘れ去られるべき)ものなのでしょう。

 

このような気持ちがのちに傑作「The Wall ザ・ウォール」を書かせたのかもしれません。

 

「おせっかい」の次に出したアルバム(正確にはサウンドトラック・アルバム「Obscured by Clouds 雲の影」の次なんですけど)「Dark Side of the Moon 狂気」によって巨大なセールスを挙げたロジャー達は皮肉にも批判の対象だった資本家のごとく大きな富を手中にします。しかしロジャー自身が書く歌詞はどんどん攻撃的になっていきます。正直いうと、それは富を手中にした自分をカモフラージュしているのか?「フィアレス」のときのような気持ちには戻れないのでは?と一時考えた時もありました。

 

でもロジャーの姿勢や意志は変わるどころか、もっと先鋭化された形で世界に物申すようになっていくんですね。

 

まあ、「お金がいっぱいあれば怖いものなしでだれにも気遣うことなく思ったことを口に出せるよ!」というご意見もあるかもしれません。そうかもしれませんけど、そうでもないですよね。例えばロジャーはパレスチナ問題に関してイスラエル政府の姿勢や行動を非難してます。イスラエルでコンサートを行うアーティストに対しても批判したり書簡を送ったりしてコンサートを行わないように説得を試みています。これは日本では想像できないほど「タブー」であります。彼自身も世界中で現在、軒並み起こっている大きな潮流である「現実の単純化」(例えば仕事がないのは移民のせいで国境に壁を作れば解決する・・・とか)の攻撃にさらされ反ユダヤ主義者などとの攻撃を受けたりしています。いくら「闘士」のロジャーでもこのような批判にさらされることは相当なストレスになると思います。例えば皆さんも、安全な場所にいて、匿名で自分の日常生活から切り離された対象を批判はできても、自分を公にして(知られている状況で)自分のコミュニティ(近所、友人仲間)や利害関係者(自分の上司や取引先)に対して異議の声を上げることの難しさは身に染みているでしょう。そんなことしたら、、仲間内で空気を読めないやつと冷たい視線を向けられる、地域で自分や家族が疎外されてしまう、組織で自分が干されてしまう、等々・・・このようなプレッシャーは皆さん自身が深く感じていることではないでしょうか?ロジャー自身は人種、国籍、宗教、境遇にかかわらず法の下ですべての人が平等に扱われる世界を望んでいるだけのようなんですけど・・・。

 

ロジャー・ウォーターズが上記のパレスチナ問題で感じている疎外感、孤独感は彼がいかに「成功した」人であっても拭えないものだと思います。

 

この疎外感、孤独感に対して「そんなことで挫けてはだめだ!必ず夢はかなう!」と強い意志を表したのがまさに「フィアレス」であり、人間の意志の強さをさらに共感をもって表現しようとした結果がリヴァプールFCサポーターの歓声と歌声を引用した理由だったはずです。

 

それはロジャーが支持を表明した民主党の大統領予備選立候補者のバーニー・サンダースの唱える民主社会主義的世界の実現のように、それは世界中の人々が法の下で平等に扱われてその生命財産を脅かされない世界がやって来ることのように、それは一部残留が主な目標だったサッカーチームがリーグ優勝をすることのように、到底叶えられることのない夢で終わってしまうばかりかもしれません。

 

でも、レスター・シティFCはリーグ優勝しましたよね。「誰も信じちゃいないだろうけど、俺たちはリーグ優勝出来るんだ!」と応援し続けたサポーターのようにロジャーは自分の気持ちを曲に託し、そしてリヴァプールの人々へ、そして世界中の人々に伝えたかったんでしょう。

 

そう、まさに「You'll never walk alone」を歌うとき、同じ目標に向かう者達がたとえ顔見知りでなくとも「決してあきらめない、君を一人にはしないよ!」という力強い意志を誰に気兼ねなく叫べる・・・それ以上に人々を勇気づける瞬間はないでしょう。

 

そういう意味で私は最初ロジャーがリヴァプールFCサポーターの歓声を単に趣味の延長でサッカーファンとして引用したのなら「落胆」すると書きましたけど、それは政治や社会問題と比べサッカーというスポーツを一段低くみている・・・ということではなく、それどころかこんなに混沌としてやりきれないぐらいの「単純化」の攻撃に個人がさらされやすいこの世界において個々の人間の存在の尊さを感じさせてくれるサッカーというスポーツの素晴らしさをあらためて感じている次第です。

 

もしよろしければお聴きくださいませ → 「Fearless

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コリジョンルール」の適用 - サッカー審判員(部外者)の違和感

本来なら「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?の後編となる予定でしたけど、急きょ話題の?「コリジョンルール」で思ったことをあえて「部外者」の立場で書きたいと思います。

 

さて昨日の巨人阪神戦ですね。3回2死、2塁から本塁を狙ってスライディングした巨人の小林選手。そして巨人バッターの脇谷選手のセンター前ヒットの打球を返球した阪神のセンター大和選手(素晴らしい返球です)。そのボールを受けタッチにいった阪神の捕手原口選手。タイミングとしてはアウトなんですけど・・・これが巨人高橋監督の「異議(あえてサッカー用語にしますね)」でビデオ判定となり・・・コリジョンルール適用で判定が覆りセーフとなり巨人の得点が認められました。

 

正直、TVで見たとき「エエッ~?これがセーフになっちゃうの!?」と思ってしまいました。でもこの時点で私はコリジョンルールを理解していなかったので、まずはそのルールを理解すべきかと思い検索してみました。で、以下がルールの文面です。ちょっと長いですけど正確を期すためNPB日本野球機構)が公示している2016年度の野球規則改正のコリジョンルールに該当する箇所をすべてそのまま抜粋します。

 

(9) 6.01(i)(【原注】および【注】含む)を追加する。

  • (i)本塁での衝突プレイ
    • (1)得点しようとしている走者は、最初から捕手または本塁のカバーに来た野手(投手を含む、以下「野手」という)に接触しようとして、または避けられたにもかかわらず最初から接触をもくろんで走路から外れることはできない。もし得点しようとした走者が最初から捕手または野手に接触しようとしたと審判員が判断すれば、捕手または野手がボールを保持していたかどうかに関係なく、審判員はその走者にアウトを宣告する。その場合、ボールデッドとなって、すべての他の走者は接触が起きたときに占有していた塁(最後に触れていた塁)に戻らなければならない。走者が正しく本塁に滑り込んでいた場合には、本項に違反したとはみなされない。
      【原注】走者が触塁の努力を怠って、肩を下げたり、手、肘または腕を使って押したりする行為は、本項に違反して最初から捕手または野手と接触するために、または避けられたにもかかわらず最初から接触をもくろんで走路を外れたとみなされる。走者が塁に滑り込んだ場合、足からのスライディングであれば、走者の尻および脚が捕手または野手に触れる前に先に地面に落ちたとき、またヘッドスライディングであれば、捕手または野手と接触する前に走者の身体が先に地面に落ちたときは、正しいスライディングとみなされる。捕手または野手が走者の走路をブロックした場合は、本項に違反して走者が避けられたにもかかわらず接触をもくろんだということを考える必要はない。
    • (2)捕手がボールを持たずに得点しようとしている走者の走路をブロックすることはできない。もし捕手がボールを持たずに走者の走路をブロックしたと審判員が判断した場合、審判員はその走者にセーフを宣告する。前記にかかわらず、捕手が送球を実際に守備しようとして走者の走路をふさぐ結果になった場合(たとえば、送球の方向、軌道、バウンドに反応して動いたような場合)には、本項に違反したとはみなされない。また、走者がスライディングすることで捕手との接触を避けられたならば、ボールを持たない捕手が本項に違反したとはみなされない。
       本塁でのフォースプレイには、本項を適用しない。
      【原注】 捕手が、ボールを持たずに本塁をブロックするか(または実際に送球を守備しようとしていないとき)、および得点しようとしている走者の走塁を邪魔するか、阻害した場合を除いて、捕手は本項に違反したとはみなされない。審判員が、捕手が本塁をブロックしたかどうかに関係なく、走者はアウトを宣告されていたであろうと判断すれば、捕手が走者の走塁を邪魔または阻害したとはみなされない。また、捕手は、滑り込んでくる走者に触球するときには不必要かつ激しい接触を避けるために最大限の努力をしなければならない。滑り込んでくる走者と日常的に不必要なかつ激しい接触(たとえば膝、レガース、肘または前腕を使って接触をもくろむ)をする捕手はリーグ会長の制裁の対象となる。
      【注】 我が国では、本項の(1)(2)ともに、所属する団体の規定に従う。

 (下線部筆者)

 

 

 さてこのルールを読み、再びリプレイの映像を見て、さらに審判団の方々の行動を見てサッカー審判員としての私(つまり部外者)は大きな違和感を感じました。

 

それは阪神の捕手、原口選手の捕球してからタッチに行くまでの動作が上記の下線部の規則にある「前記にかかわらず、捕手が送球を実際に守備しようとして走者の走路をふさぐ結果になった場合(たとえば、送球の方向、軌道、バウンドに反応して動いたような場合)には、本項に違反したとはみなされない。」に該当するにもかかわらずコリジョンルールが適用されていることへの違和感・・・ではありません(ただし原口選手の捕球からタッチへの一連の動作だけ見ればコリジョンルールに違反しているとは思えません)。

 

それは本来捕手の安全を守るはずのコリジョンルールが守備側に不利に働く規則になっていることへの違和感・・・ということではありません。

 

それは審判団のコリジョンルールの理解と適用が誤っているということへの違和感・・・でもありません。なぜなら今回の判定についての審判団の明確な説明はありませんでしたけど(これはサッカーの審判員としては理解できることではあります。つまりそのような義務はないという意味で。ただし責任審判員がマイクを握り観衆に対して説明をするプロ野球において何が起こりどのように判断したのかを観衆に全く説明しなくて良かったのか悪かったのかについての審判団の対応の是非は議論の余地があるように思います)どうやら阪神の捕手の原口選手が捕球動作に入る前から「ブロック」していると審判団がみなしているようだからです。もしそうなら審判団は「捕手がボールを持たずに得点しようとしている走者の走路をブロックすることはできない。もし捕手がボールを持たずに走者の走路をブロックしたと審判員が判断した場合、審判員はその走者にセーフを宣告する。」という野球規則を適用しているわけですから(しかしながら「ブロック」とはどのような状態を公に指すのかはこの規則からだけではわからないのではありますけど・・・)問題ないことになります。

 

では、私が抱いた大きな違和感とはなんでしょう?・・・ってもったいぶって御免なさい。そう、私の違和感は何かといえば、今回の事象でアウトだった判定がリプレイ検証(ビデオ判定)で覆ってしまったということです。

 

へぇ?そんなの野球じゃ当たり前だよ、何言ってんの?仰る通りです。私が言いたいのはリプレイ検証で判定しなおしていい事象と判定しなおしてはダメな事象があるのでは?・・・ということです。

 

例えばサッカーにおいて以下のルールをビデオ判定することはあり得ません。

 

 競技規則の解釈と 審判員のためのガイドライン

相手競技者の進行を妨げる
相手競技者の進行を妨げるとは、ボールが両競技者のプレーできる範囲内にもないとき、 相手競技者の進路に入り込み、その進行を妨げる、ブロックする、スピードを落とさせ る、進行方向の変更を余儀なくさせることである。
すべての競技者は、フィールド上においてそれぞれ自分のポジションをとることができ る。相手競技者の進路上にいることは、相手競技者の進路に入り込むこととは同じでな い。

 

サッカー審判員(主審)は競技者が進路上にもともといたのか、相手競技者に干渉するために入りこんだのか瞬時に判断しなければなりません。競技者がたとえ進路上にもともといても(その場で動かなくても)手や足などが悪意をもって進路を塞ぐような動きになってないかも見極める必要があります。この判定についてビデオ検証などしませんし異議も一切受け付けません。

 

それはなぜかといえば選手の動きの意図(=悪意の有無)はビデオで検証すべき(できる)ようなことではないからです。これこそは機械ではなく審判員が「感じる」べきものだからです。

 

サッカー審判員はビデオなど頼らない、エヘン!偉いでしょう!・・・ってことではもちろんありません。誤解ないように申し上げると私はゴール判定においてはビデオ判定が導入されることに反対ではありません。人間の肉眼では見極められない微妙な時間差、微妙な距離についてはビデオという機械を使用する利点はよく理解できます。

 

実際、メジャーリーグの野球でも打者がベースを踏んだのが先かベースにいる野手がボールを捕球したのが先かという時間差についての判定などではビデオを参照することでより正確な判定になっている思います。また先日の巨人中日戦であった本塁上で捕手がタッチしているのか、それとも走者がタッチを免れたのかという距離(=どの程度離れているのか、いないのか)についての判定でもビデオ判定は有効なように思います。

 

今回のビデオ判定が違和感を生み、何が問題かといえば、もし原口選手がもともと走路にいてブロックしていたことで(そしてそのようにしか判定が覆ってセーフになった理由が見いだせないんですけど)コリジョンルールの適用対象になっていたとしたら、なぜビデオ判定の前に、高橋監督の異議の前に主審はセーフの判定を下せなかったのでしょうか?あれだけクリアに事象(原口選手の捕球前の立ち位置と走路の位置関係)を見極められる位置にいながら、また肉眼で捉えるのが極めて困難な「時間」や「距離」の判断を求められている状況でもないにもかかわらず・・・なぜ?

 

これは部外者の私から見れば「そもそも審判員さえも確信を持って運用できない競技規則」になっていないかを示唆するように思えます。

 

かつーさんもこちらの記事→「スタジアムにリプレイは必要か」でおっしゃっている通り「何があってもリプレイ見て変えることだけはダメ」というのがサッカー審判員の原理原則です(ただし繰り返しになりますけどゴール判定などには将来的にビデオ判定を導入することを否定するものではありません)。この原理原則は野球の審判員の方々に押し付けるようなものではありません。野球もサッカーと異なりテニスのようにチャレンジ制度が採用されビデオ判定によって判定が見直されることは、観衆やプレーヤーの納得感を高められるように思います。

 

ただし今回の巨人阪神戦で起こったことはビデオ判定の対象になるべきではないという思いが拭えません。

 

というわけで不遜な言い方をすれば今回の巨人阪神戦の事象では原口選手の立ち位置を見極めコリジョンルールを適用して最初からセーフの判定をできなかった審判員の方々には「反省部屋」に入っていただくことが必要かと思います・・・御免なさい偉そうで。

 

あっ、私は虎党でもジャイアンツファンでもないことを申し添えておきますね。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?(中編)

 さて現実はこの記事の遥か先を行き、レスター・シティFCがリーグ優勝を決めましたね。おめでとうございます。

 

では、前回の続きピンク・フロイドの「フィアレス」について。この曲はメロディが特に印象的とか、何か新しいことを試しているとか、名演奏が繰り広げられているとか等々一切ありませんです。逆に地味といえば地味な印象なんですね。ゆったりとしたアコースティックギターによるストローク演奏が曲の大枠を構成していて、そこにデヴィッド・ギルモアのジェントルな(線が細いとも言える)ボーカルによってロジャー・ウォーターズが書いた詩が淡々と歌いあげられていきます。私が高校生の時にこの曲を最初に聴いて何が一番印象的だったかといえばこの、ロジャーが書いた歌詞そしてシュプレヒコールのような群衆の声(アンフィールドリヴァプールFCサポーターによる”You'll never walk alone"の合唱と歓声)の二つだったわけです。

 

さて、まず歌詞について。以下のような内容で始まります。

 

You say the hill's too steep to climb, climbing

You say you'd like to see me try, climbing

You pick the place and I'll choose the time

And I'll climb the hill in my own way

 

あの丘は険しすぎて登れない、と君は言う

ぼくが登るところを見てみたい、と君は言う

場所を決めてくれたらぼくが時間を選ぼう

そしてぼくなりにあの丘に登ってみせよう

 

当時、友人と二人この歌詞を聴いて「ぼく」と「きみ」は男女(しかも友達以上恋人未満)のことと勝手に思い込み(そのような年頃なわけです)男に無理難題を突き付けている小悪魔的な?女性を想像してしまったんですね。でも、ただ男女の仲だけについて歌われている曲ではないことは続きの(2番目の)歌詞の冒頭からもそして群衆の声が入ることからも分かります。

 

Fearlessly the idiot faced the crowd, smiling.

 

大胆不敵にもその愚か者は

笑いを浮かべて群衆に相対した

 

間もなくこの「愚か者」とはどうやらピンク・フロイドの創生期の天才リーダー、シド・バレットを意味しているとの情報を得ます(これがますますこの歌詞のメッセージを理解することを難しくさせてしまったわけですけど)。

 

まあ、「愚か者」がシドを指しているかどうかはともかく、この歌詞のポイントは「the crowd 群衆」という言葉が出てくることで、歌詞の一番最後の言葉もこの「群衆」なんですね。で、その言葉が”You'll never walk alone"を歌う群衆の声とも対応していることにも(素直に受け止めれば)気づきます。

 

まあ、ここまでくると「そんなことはどうでもいい」と思われいる方々(ほとんどすべての方ですね)にはさらに「どうでもいい」ことになりますけど、この歌詞を書いたことでロジャーが気まぐれにリヴァプールFCサポーターの声と曲を組み合わせたのではないことが分かります。一方でなぜ、それがKOPが歌う”You'll never walk alone"でなければならなかったかは依然??なわけです。

 

さて、実は私は「フィアレス」の群衆の声がリヴァプールFCサポーターの声であるとか”You'll never walk alone"であるとか当たり前のように書いていますけど、数十年前に「フィアレス」を初めて聴いた時にはそんなことは全く知りませんでした。その後も20年以上はそのことに気づいてもいなければ知りもしませんでした。実はそのことを知ったのはちょうど小学生だった長男か次男が「フィアレス」を聴いて「なんでリヴァプール聴いてんの?お父さん」って一言だったのです。そう、プレミアの試合中継を見ていた子供たちはサポーターが歌う”You'll never walk alone"を誰に教わるでもなく覚えていたんですね。しかも「Liverpool!」と繰り返す叫ぶサポーターの声援も聴きとっていたわけです。ピアノを習っていた子供の耳には簡単なことだったわけですけど私にとっては十数年の歳月を経ての「発見」だったわけです。

 

この「発見」に気づいたとき、私は一言でいえば・・・「落胆」していました。「フィアレス」には何か特別なメッセージ性を感じていたので、それが実は英国人の好きなスポーツであるサッカーの観衆の声だったとは・・・この曲もロジャーの「遊び」だったのね・・・ガーンというわけです。

 

ここで勘違いされないよう付け加えておくと私はピンク・フロイドの曲に常に何か高尚なメッセージが含まれているとか、それゆえ価値があるなどとは思っておりません。例えば意味がない音の連なりとしてシド・バレットが中心になって作り上げたファーストアルバム「Piper at the Gates of Dawn 夜明けの口笛吹き」が大好きです。また「おせっかい」に入っている男女の情景を描いている「ピロウ・オブ・ウィンズ」とか「サン・トロペ」とかの曲も大好きで高く評価しております。

 

一方で「フィアレス」には何かメッセージ性を感じていたし、なにより群衆の声に力強い意志を感じ取っていたのです。その後、ロジャーが熱烈なリヴァプールFCのサポーターであると知り(これは大きな誤解。後ほど)それが高じてのお遊びだったのかと思うと肩透かしを食らった気持ちになったのです。僕の数十年はなんだったのか(大袈裟)。

 

ピンク・フロイドはお遊び的なミュージック・コンクレートは得意ですし、私もそんなお遊びが好きだったんですけど、この「フィアレス」に限って・・・。

 

さてさてロジャーがリヴァプールFCのサポーターというのは私の大きな勘違いで、彼は熱烈な(子供の時からの)アーセナルFCサポーターです。ピンク・フロイドは曲をアルバムとしてリリースする前からライブで演奏しながら作りあげていったりしたわけですけど、同時に正式な曲のタイトルを決定する前には色々なタイトルを曲につけてライブで紹介していました。そんなライブ用?のタイトルのひとつに「エコーズ」の「We Won the Double 俺たちは二冠王」というもがありました。これは次のカレンダーを見ていただくと何のことか分かります。

 

1971年1月、3月~5月、8月 「おせっかい」録音期間 

     5月3日        アーセナルFC リーグ優勝       

      5月8日        アーセナルFC FA Cup優勝

*ちなみに5月のスタジオ録音は1日、2日、9-11日、24-26日、28日

     8月1日        日本到着

     8月6日、7日     箱根アフロディーテ ライブ

     8月11日       日本出発       

1971年11月         「おせっかい」発売 

 

 この年の(も)ピンク・フロイドのスケジュールは殺人的でヨーロッパはもちろんアジア、オーストラリア、USとまさにワールドツアーをこなしながらその合間を縫ってスタジオでセッションを行うという凄まじさです。 

 

そんな中、アーセナルFCの二連覇。ロジャーの喜びもひとしおだったでしょう。ではなぜアーセナルFCのサポーターの歓声ではなリヴァプールFCサポーターの声援を自らの新曲に使ったのでしょうか?しかも英国人なら間違いなく聴けば誰でも分かる大ヒット曲”You'll never walk alone"を歌うサポーターの声援だったのか?彼らは当然「Arsenal!」ではなく「Liverpool!」と叫んでいるわけです。  

 

ひとつのヒントはウェンブリーで行われたFAカップ決勝戦アーセナルFCリヴァプールFCにありそうです。1971年5月8日、アーセナルは再三の好機をゴールキーパーのファインセーブに阻まれたりゴールポストに嫌われたりしながらスコアレスドローのまま試合は延長戦に入りました。そして延長前半、ゴールを最初にこじ開けたのはリヴァプールのスティーブ・ハイウエイの左足でのニアポストゴールキーパーの隙間を狙った見事なシュートでした(ちなみに延長戦開始時に主審がアーセナルの選手にコインを渡してトスさせてますけど、これは・・・?知っている方いたら教えてくださいませ)。

 

そしてドラマはこのあとやって来ます。まず同じく延長前半ゴール前に送られたループパスの処理をリヴァプールのデイフェンス陣がもたつく間に、そのこぼれ球をアーセナルのジョージ・グラハムとエディ・ケリーの二人がコンビネーションシュート?(実際はグラハムはボールに触れていないですけど、オフサイドの反則なしでゴールキーパーをかく乱しているとも言えますね)でリヴァプールのゴールに流し込み同点とします。  

 

そして延長後半、試合中から物凄いミドルシュートを放っていた チャーリー・ジョージが右足を素早く振りぬきマーヴァラスなミドルシュートを決めます。このゴールが決勝点となりアーセナルは逆転優勝を飾りました。

 

試合後2連覇の歓喜にわくアーセナルリヴァプールサポーターも称え、そして「勇敢な敗者」としてリヴァプールに対しても両方のファンからエールが送られました。

 

さてロジャー・ウォーターズはどこでこの試合を見ていたのでしょうか?記録によると5月7日はランカスター大学でのライブ、9日からスタジオ入りなので8日はオフっだったのか?するとウェンブリーにいた可能性もありますね。いずれにしろアーセナルが勝ったことで大興奮していたことでしょう。 

 

そして「敵」ながら素晴らしい戦いを見せたリヴァプールFCに敬意を表して急きょ「フィアレス」に”You'll never walk alone"を入れることを思いついたのでしょうか?それとも「フィアレス」という曲自体(作曲はデヴィッド・ギルモアだったにしろ)を作ろうと思い至ったのでしょうか?

 

このこと自体はアーセナルのファンでありながらリヴァプールサポーターの声援を曲に使ったことに対して合理的な説明になっているとも言えます。FA Cupでの勝利がそうさせたと言ってもあながち間違いではないように思えます。

 

ただそれだけでは、やはり「お遊び」の曲のままです。私の感じた「落胆」はそのままになります。ところが・・・やはり「フィアレス」にはもっと普遍的な意味、ロジャーの決意のようなものがあったのです。リヴァプールFCサポーターの声援でなければならない意味、彼らが歌う”You'll never walk alone"でなければならない必然性があったわけです。次回、そこに迫ります(うーん読者はすでにゼロのような・・・)

 

では、I'll be back.

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?(前編)

さてリヴァプールといえばLiverpool FCリヴァプールFCというわけで、その熱烈なサポーター(いわゆるKOPですね)の応援歌といえば”You'll never walk alone"ですね。

 

というわけで、今回の一曲はこの曲かといえば、この曲が使われているあの曲です。と・・・焦らす間に「あれね。」と思い浮かんだ方は・・・立派なブリティッシュロックオヤジです(女性でもこう呼んで差し支えないでしょう!?)。

 

そうです、今回ご紹介するサッカーにちなんだ曲とはPink Floydピンク・フロイドの1971年11月にリリースされたアルバム「おせっかい (Meddle)」の3曲目「Fearlessフィアレス」です!

 

音楽好きな筆者にとって古今東西のアーティストの中でもやはりピンク・フロイドは別格の存在です。とは言ってもバンドのリーダーとも言えるロジャー・ウォーターズが脱退した(認めていない?)1987年以降のピンクフロイドが作った楽曲は別物に聞こえ、90年代以降のアルバムともなると聴いてもいない有様です。

 

で、今回取り上げる「フィアレス」が入っているアルバム「おせっかい」(この日本タイトル名はいいですねえ)は筆者が高校生の時に(もちろんリアルタイムではありませんけど)ピンク・フロイドと出会ったときに一番最初に好きになったアルバムです。確か一番初めに聞いたアルバムは「狂気 (Dark Side of the Moon)」だったはずで何時もつるんでいた友人から借りたカセットテープで聴いたわけですけど、あまりピンとこなかった(もちろん今ではご多分に漏れず愛聴盤であります)。なぜ、「おせっかい」を好きになったか当時からうまく説明できず、もちろんB面をすべて使った大曲(傑作)「Echoesエコーズ」をはじめとした各曲の素晴らしさにあるわけですけど、なんかこのアルバムのもつ独特な響きそして雰囲気に魅入られたって感じがします。そうこのアルバムは独特の響きと雰囲気を持っていて、のちのちピンク・フロイド的な音楽といえばこのアルバムをさすともいえるほど、このバンドの音楽的特徴を一番わかりやすい形で表しているアルバムといえるのではないでしょうか(ただしA面の楽曲だけで判断すると必ずしもそうとは言い切れないんですけど)。

 

うーん、またもやサッカーの話題どころか「フィアレス」という曲自体にも辿り着けていませんね。長い前置きになっているような気がしますけど・・・このまま続けます(確信犯)。

 

さて、独特の響きと雰囲気を持つアルバムであると「おせっかい」について書きましたけど、それはこのアルバムの主役ともいえる大作(傑作)「エコーズ」の力とも言えます。実際、この「エコーズ」におけるフロイドの各メンバーの演奏や創作は各人の個性が一番よく出ていると思います。なんせ「狂気」以降はますますロジャー・ウォーターズのリーダーシップ(わがまま?)にけん引されてロジャー色が強くなるのですから、ある意味ロジャー・ウォーターズデヴィッド・ギルモア、リック・ライト、ニック・メイスンの4人が対等かつ有機的に音を紡ぎだしていた最後のアルバムかもしれません。

(昔お仕事で一緒になった方でフロイドファンの方がいて、一番好きなアルバムに「おせっかい」を挙げていました。「狂気」以降はあまりお好きではないとのこと。結構このようなオールドファンの方は多かったりします。で、若いファンの方には煙たがられたりします・・・(- -;) )

 

私自身は「おせっかい」が最初に好きになったアルバムで今でも特別な愛聴盤ではありますけど、ロジャーが提示する世界観が好きなので当然「狂気」以降のフロイド教の信者でもあります、はい。

 

さて、ここまで来たらもっと脱線して(どこが本線かはまだ不明)書くとB面の「エコーズ」の魅力は音の響きの素晴らしさにあるかと思います。それはヴォーカルの入る前半と後半の部分(もちろんここも良いわけですけど)ではなく「間奏」部分のニックのドラムとロジャーのベース(これはデヴィッド・ギルモアによるプレーかもしれません。というのは演奏技術がバンドメンバーの誰よりも上のデヴィッドはロジャーの代わりにベースを弾くことも多々あったので)による単純なリズムが延々と繰り返されそこにデヴィッドのギターそして後々あまり聴くことの出来ないリックのクールなプレイ(ほんと単純だけどカッコいい)-リズミックな高音を中心としたキーボード(たぶんハモンドオルガン)の響き。そして後半のボーカルパートに向けてのクレッシェンドで盛り上がっていく部分のニックの叩くシンバルの音。演奏技術のなさが逆に功を奏して?延々と単調に8ビートを刻むこのシンバルの響きもいいです。で、もちろんデイッド・ギルモアのギターはこれまた絶品。あれ、リーダーは何処に・・・?この曲で演奏するロジャーの姿は見えずですけど彼の歌詞はこの曲の世界観を見事に表現しております。ただ曲の構造は「神秘」「原子心母」というアルバムの大曲と同じで、これぞピンク・フロイドフォーマットなので、ロジャーはこの辺の構成については中心になって構築したはずですし、なによりも冒頭にリックが作った潜水艦のソナー音のようなエコーが効いたピアノの音からして(この音がこのアルバムのすべてを表現しているともいえるでしょう)、音の響きを研ぎ澄ますことに彼が最大限神経を集中させたことは間違いないでしょう。まさにエコーズ(反響)ですな。

 

この曲が与えた影響力は大きく、ピンク・フロイドはあまりカバーをされることのないバンドですけど、その音の響きは時を超えて若いアーテイストの感性を揺さぶったようです。例えば、たまに無性に聴きたくなるアレックス・パターソン率いるジ・オーブの1992年の作品「U.F.ORB」とか・・・まあ、「プログレッシブ・ハウス」なんて呼ばれていたようですし。もっと適格な呼び方は「アンビエント・ハウス」か。アレックスはブライアン・イーノ(この方もわたしには別格です)を敬愛していたようです。

 

極めつけは直接「おせっかい」の音を引用(サンプリング)している、これまた1992年リリースされたスイスのバンド「The Young Godsザ・ヤング・ゴッズ」による快作アルバム「T.V.SKY」です。8曲目の「Summer Eyesサマー・アイズ」・・・これまんま「エコーズ」です(苦笑)。でもパクリとかじゃなく、抜群のセンスで再構築してフロイドに敬意を表しています。やはり彼らもエコーズの「間奏」部分に魅入られたか・・・(サンプラーを駆使して構築した曲作りながら彼らはとても才能溢れるアーティストなので以後のアルバムも含めぜひお聴きを!国内盤出なくなったのはなぜ・・・?)。

 

 どうせここまで来たんだから?「エコーズ」についての私論を。

 

この「エコーズ」だけでなく、A面の4曲目「San Tropezサン・トロペ」も含め、南仏の田舎の海岸の雰囲気を感じます(って行ったことはないですけど)。まあ、「サン・トロペ」なんてもろ、南仏の地名なわけです(Saint-Tropezが仏語での正しい綴りか)。で、「エコーズ」自体も歌詞が描く情景そして音、特にピンク・フロイドお得意の美しいカオス(ノイズ)状態のクライマックスにむけての中間部のサイケデリックトリップ的音響(リックの弾くムーグシンセサイザー?デヴィッドのエフェクターもしくはエコーユニットを通したギター?カモメの鳴くようなノート)がさっきまで太陽の光が燦々と降り注ぐ真昼でありながら急に闇になったかのような海の風景を強く浮かびあがらせます。

 

その南仏つながりというわけではないですけど、ドビュッシーが作ったピアノ作品「前奏曲第一巻」の10曲目「沈める寺」を聴いていた時に、まさに「エコーズ」の響きを思い出してしまいました。この「沈める寺」はフランスのブルターニュ地方に伝わるイスという海辺の都市についての伝説にドビュッシーがインスパイアーされ作曲したたそうです。曲が出来てからタイトルを付けたのでは?・・・という風には考え難いほど、ここでのドビュシーの音の配分は素晴らしく冒頭から間もなく奏でられる最大の盛り上がりでは海に沈んだ寺(教会)が海上に浮かび上がり教会の鐘が鳴り響く幻想的な情景が感動的に描き出されています。そしてその後また海に沈んでいく様子も見事に音で表現されています。ここでもやはりエコーズ(反響、響き)がテーマのように思われます。簡単そうに聴こえて譜面を見ると難しいドビュッシー。この盛り上がり部分での音の残響のさせ方、特に低音部の効果的な使い方はいつ聞いてもシビれます(もはや一人宴会状態でごめんなさい)!

 

そうなんですね。音の響きの探求がテーマと思われるところが「エコーズ」と「沈める寺」が共通性を感じさせてくれるところでもあり、素直にそれぞれの曲の構成を見てもピンク・フロイドドビュッシーのこの「沈める寺」をモチーフに作曲したのではと思わせる相似性があります。「エコーズ」もすべての音が海底に戻っていくかのようなエンディングですし、何より冒頭のピアノの音は「同じ曲?」と思わざる得ないほどの似かたです。ただ実際はピンク・フロイドがこの曲を参考に「エコーズ」を作り出したかと言えば、それも考えにくく、そのことはこの曲の作曲方法がドビュッシーがとったであろうアプローチとは大きく異なることからも言えると思います(これは後程)。

 

さて、ここでようやくリヴァプールFCサポーターが歌う”You'll never walk alone"が登場します。「おせっかい」のA面3曲目として収録されている「フィアレス」には本拠地アンフィールドでこの”You'll never walk alone"を歌うサポーターの歌声、歓声、口笛などが使われています。あとで詳しく書きますけど曲の中に曲があるという構造なんですね。で、このリヴァプールFCのサポータが歌う”You'll never walk alone"も大きな「響き(エコーズ)」なんですね。力強いシュプレヒコールを挙げる群衆の響きというのが最初の印象です。

 

エコーズ、沈める寺、フィアレスそして”You'll never walk alone"と「響き」の連なりがテーマのように思われる楽曲。実はピンク・フロイドは単純にこの響きが欲しくて”You'll never walk alone"をサンプリング(当時はサンプラーなどないのでこの言葉は適当ではないんですけど)した!・・・・のではないですね。

 

さてもうかなりの方々が最後まで読むのを辞められたと思いますけど、このまま次回は「なぜピンク・フロイド」は”You'll never walk alone"を自作に引用したのか、しかもリヴァプールFCサポーターがアンフィールドで歌う声を使ったのか?に迫ります!!そして、その謎ときによってリヴァプールFCサポーターの歌声はそして「フィアレス」のメッセージは40年以上の時を経てまもなくクライマックスを迎える岡崎選手所属のレスター・シティへのメッセージにもなっていることが明らかになります!!!

 

中編に続く。

 

では、I'll be back.