「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?(後編)
さてワンクッションおいて後編です。
何の話でしたっけ・・・いやいやこういことでしたよね。つまり:
「ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズは熱烈なアーセナルFCのサポーターでありながらアルバム『おせっかい』に収録されている『フィアレス』の中でリヴァプールFCのサポーターが歌う『You'll never walk alone』を引用しているのはなぜ?」
というお話でしたね。
今やなんの興味もない方も今回で完結なので今しばらくのご辛抱を。
さて、その前に肝心の「You'll never walk alone」という曲について全然書いていませんでしたね。
「You'll never walk alone」はもともとミュージカル「回転木馬」のために作曲されました。その後、フランク・シナトラやエルビス・プレスリーなんかにも歌われた人気曲なんですね。しかしこの曲を一気にポピュラーにしたのは1960年代マージービートバンド(リヴァプールを中心としたイギリス北部出身のロックグループの総称。リヴァプール市内を流れるマージー河が名前の由来)としてアメリカでも人気者になったジェリー&ザ・ペイスメイカーズによるバージョンです。イギリスだけで80万枚を売り切ったといわれている大ヒットとなりました。
実は今回の記事を書くのに彼らのレコードやCDを探し、タイミングよく今年デジタルリマスターされたCD「太陽は涙が嫌い+20」に「You'll never walk alone」が収録されていたので購入。じっくりとこの曲を聴きました。
もともと優等生的な曲なんですけど、ジェリー・マースデンの初々しいボーカルとシンプルなアレンジで「青春の挫折の泥にまみれながらも前に進む歩を止めない若者の静かな力強さ」をイメージさせる曲に仕上がっているように思います。ジェリーの歌によってこの曲の世界観により多くの人が共鳴するようになったことは間違いないでしょう。で、この歌がリヴァプールFCサポーターの心をつかみ試合前の合唱となっていった・・・という経緯はこちらのサイトでとても詳細に分かりやすく蘊蓄満載に紹介されているのでご参照くださいませ → You'll never walk alone
それにしても、オスカー・ハマースタイン2世が書いた歌詞なんですけど、文部省推奨歌のごとく前向きかつ誠実さあふれる世界が展開されていますね。どう考えても「おせっかい」以後ますます辛辣さを増していくロジャー・ウォーターズによるピンク・フロイドの歌詞世界とは真逆のような印象です。
一方で「前向き」とは書きましたけど「You'll never walk alone」の描き出す世界は勝利を確信している楽天的な応援歌というより、とてもハードルが高くて、様々な困難が待ち受けていて進めば進むほどボロボロになって到達できない目標(とうてい勝ち目のない戦い)かもしれないけど「俺たちは絶対見捨てないよ。いつも一緒なんだ。一緒に困難に立ち向かうのさ!」といった一種、悲壮感ただよう前向きさとも表現できるでしょう。それがゆえに皆で歌っていると特別な高揚感が生まれるのではないでしょうか?
なんか「You'll never walk alone」に似た世界観の曲が昔あったような・・・と考えを巡らしていて思い当たったのが1966年にシングルヒットしたザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」。その歌詞は:
「君の行く道は はてしなく遠い だのに なぜ 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで 」
というように続きますね。
ジェリー達の「You'll never walk alone」が全英No.1ヒットになったのは1963年のことなのでひょっとして「若者たち」は「You'll never walk alone」に影響を受けたのかも・・・です。
さて、ここまで書くともうお分かりのようにピンク・フロイドの「フィアレス」の歌詞の世界観と「You'll never walk alone」の歌詞の世界観は全くかけ離れているどころか共通しているのですね。である意味「若者たち」とも。
曲 歌詞
フィアレス あの丘は険しすぎて登れない、と君は言う
You'll never walk alone たとえ夢が砕かれても、挫けそうになっても
若者たち 君の行く道ははてしなく遠い
で、これは偶然というより1960年~1970年代のイギリスの、日本の、そして
世界の若者が感じていた空気感と共鳴して出来上がった歌詞のように思えます。もちろん「You'll never walk alone」だけ作詞されたのは1945年になりますけど、だからこそ「You'll never walk alone」はより普遍的な歌詞世界になっていて、時代を超えて若者(もちろんそれ以外の世代)の心に強く響く力があるのではないでしょうか。
この60年代~70年代前半がどのような空気感だったのか、その時世界はどうだったのかを語り始めるのは私の知識と筆力では無理なので、ここでは強引に単純化するとベトナム戦争を契機とした反戦運動、アメリカを念頭に置いた覇権主義に向けられた批判やマーティン・ルーサー・キング・ジュニアに象徴される人種問題の高まり、そして英国に目を向けるなら大英帝国の栄光は今は何処、悪化をたどる一方の経済状況等により若者の憤りと怒りそして挫折感・・・といったところでしょうか(かなり勝手ないい加減解釈ですけど)。
なので「フィアレス」が書かれる前から「You'll never walk alone」が世に出た間、特に1960年代には特に同じような世界観の曲が作られたように思います。
でも、その中で「フィアレス」に込められたメッセージはリヴァプールFCサポーターが歌う「You'll never walk alone」を挿入することでより普遍性のあるものになっていると思います。それはなぜかというと「フィアレス」は歌詞を書いたロジャー・ウォーターズの決意表明のような曲でもあるからなんですね。
2015年のローリングストーン誌のインタビューでロジャーから「友人だったこともなければ、打ち解けたこともないね」と言われたデイッド・ギルモアでさえも
「ああ、俺だって『エコーズ』の歌詞自体がそれほど意味のあるものとは記憶してないさ。あのアルバム(「おせっかい」)には、もっと意味深い歌が入ってたと思うよ。タイトルは忘れちゃったけど、最後にYou'll never walk aloneって一節があるヤツとかね。あのアルバムには、ロジャーが入っていきたがっていた方向を示すものがギッシリ詰まっていると思うよ」
と曲名は忘れ去られているものの「フィアレス」の核心を掴んでいます。
ではロジャー・ウォーターズの決意表明とは何かといえば、それは彼が目指す理想の社会の実現ではないでしょうか。彼が目指す理想とは核兵器のない世界そして一部の人だけが富を握らない世界、法の下すべての人が平等に取り扱われる世界のようです。そしてそれは現在の資本主義に代わる彼なりに理想としている社会主義らしいんですね。「らしい」と言ったのはこればっかりは本人に訊いてみないとわからない…(苦笑)。ただ彼は子供時代から共産党員だった母親の影響もあったようですし、学生時代から反核運動を熱心に推進していたようですし、その後ピンク・フロイドの一員(リーダー)として成功してもますます富を占有する資本家、自由主義の御旗のもと共産勢力に対抗すべく(という口実で)核の抑止力を掲げ、軍事行使を正当化する国々(まあ主な矛先はアメリカということになりますね)に対する批判を強めていきます。
もちろんロジャー・ウォーターズのこのような主義主張を知らなくともピンク・フロイドの音楽は楽しめますし(知らない方がよけい楽しめるか)、「フィアレス」もいい曲だと思います。ただ私にとっては何かとても強い人間の意志の力を感じた「フィアレス」が単なる趣味のサッカーから気まぐれに引用してきた効果音に過ぎなかった・・・で終わって欲しくなかったので実は「フィアレス」においてリヴァプールFCのサポーターが歌う「You'll never walk alone」が引用されたのは上記のようなロジャーの理想に向かう同志へのエールだった、ということを知ったことで、この曲に関する一時の「落胆」が大きく「確信」へと変わっていったのでした。
つまり:
You'll never walk alone = リヴァプールFCへのサポーターによるエール
フィアレス = ロジャー・ウォーターズによる社会主義的傾向が強い
(強かった?)リヴァプールの人達へのエール
ということです。
このこのとに気づかされた記事はこちら → Liverpool FC: the Pink Floyd connection
ここにアーセナルFCの熱烈なファンでありながらロジャー・ウォーターズがリヴァプールFCの歌う「You'll never walk alone」を自分たちの曲(作曲はデヴィッド)に引用した必然性があったわけです。
ロジャーの主義主張は多分ピンク・フロイドを始める前からのもので現在にわたるまで首尾一貫しているように思います。ふつうは(あえて言えば)政治的なメッセージが強いアーティストはピンク・フロイドまでメジャーになれなかったり、音楽的才能が枯渇してしまったので軸足が社会・政治的活動(例えばチャリティコンサートなどの出演)へ移ったりする(これは坂本龍一氏自身が以前語っていたことですね)ものですけど、ピンク・フロイド自体はロジャーの主義主張にかかわらずヒットアルバムを生み出し続けどんどんと巨大な存在になっていきます。まあ、それは楽曲の素晴らしさと同時にあくまでロジャーの視点が「個人」に向けられていてより普遍性のある(政治やイデオロギーに限定しなくとも)歌詞になっているからだとも思います。
話すと長くなるのですけど(もう十分に長い!)ロジャーの感じていることを端的に言えば世界で起こっていること(他者の言動)と自分の内面(理想)とのギャップからくる疎外感かもしれません。そんな疎外感(他者に対する違和感とも言えます)とは表現者であれば誰でも、そして表現者ならずとも誰でも感じていて、やがてそれは社会システムに深く入り込んだ(つまり大人になった)時点でどんどん忘れる(忘れ去られるべき)ものなのでしょう。
このような気持ちがのちに傑作「The Wall ザ・ウォール」を書かせたのかもしれません。
「おせっかい」の次に出したアルバム(正確にはサウンドトラック・アルバム「Obscured by Clouds 雲の影」の次なんですけど)「Dark Side of the Moon 狂気」によって巨大なセールスを挙げたロジャー達は皮肉にも批判の対象だった資本家のごとく大きな富を手中にします。しかしロジャー自身が書く歌詞はどんどん攻撃的になっていきます。正直いうと、それは富を手中にした自分をカモフラージュしているのか?「フィアレス」のときのような気持ちには戻れないのでは?と一時考えた時もありました。
でもロジャーの姿勢や意志は変わるどころか、もっと先鋭化された形で世界に物申すようになっていくんですね。
まあ、「お金がいっぱいあれば怖いものなしでだれにも気遣うことなく思ったことを口に出せるよ!」というご意見もあるかもしれません。そうかもしれませんけど、そうでもないですよね。例えばロジャーはパレスチナ問題に関してイスラエル政府の姿勢や行動を非難してます。イスラエルでコンサートを行うアーティストに対しても批判したり書簡を送ったりしてコンサートを行わないように説得を試みています。これは日本では想像できないほど「タブー」であります。彼自身も世界中で現在、軒並み起こっている大きな潮流である「現実の単純化」(例えば仕事がないのは移民のせいで国境に壁を作れば解決する・・・とか)の攻撃にさらされ反ユダヤ主義者などとの攻撃を受けたりしています。いくら「闘士」のロジャーでもこのような批判にさらされることは相当なストレスになると思います。例えば皆さんも、安全な場所にいて、匿名で自分の日常生活から切り離された対象を批判はできても、自分を公にして(知られている状況で)自分のコミュニティ(近所、友人仲間)や利害関係者(自分の上司や取引先)に対して異議の声を上げることの難しさは身に染みているでしょう。そんなことしたら、、仲間内で空気を読めないやつと冷たい視線を向けられる、地域で自分や家族が疎外されてしまう、組織で自分が干されてしまう、等々・・・このようなプレッシャーは皆さん自身が深く感じていることではないでしょうか?ロジャー自身は人種、国籍、宗教、境遇にかかわらず法の下ですべての人が平等に扱われる世界を望んでいるだけのようなんですけど・・・。
ロジャー・ウォーターズが上記のパレスチナ問題で感じている疎外感、孤独感は彼がいかに「成功した」人であっても拭えないものだと思います。
この疎外感、孤独感に対して「そんなことで挫けてはだめだ!必ず夢はかなう!」と強い意志を表したのがまさに「フィアレス」であり、人間の意志の強さをさらに共感をもって表現しようとした結果がリヴァプールFCサポーターの歓声と歌声を引用した理由だったはずです。
それはロジャーが支持を表明した民主党の大統領予備選立候補者のバーニー・サンダースの唱える民主社会主義的世界の実現のように、それは世界中の人々が法の下で平等に扱われてその生命財産を脅かされない世界がやって来ることのように、それは一部残留が主な目標だったサッカーチームがリーグ優勝をすることのように、到底叶えられることのない夢で終わってしまうばかりかもしれません。
でも、レスター・シティFCはリーグ優勝しましたよね。「誰も信じちゃいないだろうけど、俺たちはリーグ優勝出来るんだ!」と応援し続けたサポーターのようにロジャーは自分の気持ちを曲に託し、そしてリヴァプールの人々へ、そして世界中の人々に伝えたかったんでしょう。
そう、まさに「You'll never walk alone」を歌うとき、同じ目標に向かう者達がたとえ顔見知りでなくとも「決してあきらめない、君を一人にはしないよ!」という力強い意志を誰に気兼ねなく叫べる・・・それ以上に人々を勇気づける瞬間はないでしょう。
そういう意味で私は最初ロジャーがリヴァプールFCサポーターの歓声を単に趣味の延長でサッカーファンとして引用したのなら「落胆」すると書きましたけど、それは政治や社会問題と比べサッカーというスポーツを一段低くみている・・・ということではなく、それどころかこんなに混沌としてやりきれないぐらいの「単純化」の攻撃に個人がさらされやすいこの世界において個々の人間の存在の尊さを感じさせてくれるサッカーというスポーツの素晴らしさをあらためて感じている次第です。
もしよろしければお聴きくださいませ → 「Fearless」
では、I'll be back.