ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

飲水タイムで最も大切なこと

さて、今月も実戦から遠ざかっていますけど、次回の出動に向けて筋トレ、イメージトレーニングで過ごす毎日でございます。

 

というわけで、過去の書きかけネタから、まずは先月のU10リーグ戦であったこと。飲水タイムについてです。

 

その日、大会本部も兼任していた私は、監督と「飲水タイムどうしましょうか今日は?」と話しながら「それは主審の判断でよいのでは」との監督の返答に「まあ、そうなんだけど、決められるのかな~」なんて話をしておりました。

 

ちなみに「通達」では4種においてはWBGT(湿球黒球温度)25℃以上、乾球温度28℃以上、湿球温度21℃以上の環境下では飲水タイムを設けることが規定されています。仮に上記の測定値が得られない場合は主審の裁量によって決定するとなっています。

 

そう午前中の試合でまだ気温も完全に上昇しきっていない環境だったので主審の裁量によって決めるということは通達通りで我が監督が正しいといえば正しいのですけど、私にはある懸念がありました。

 

さて、主審担当の方に「飲水タイムどうしましょうか?」と尋ねると「まだ午前中だし無くてもいいのでは」と予想通りの?回答。そこで私はある意味強引に「そうですね、ただ今日はすでに気温も高くなっていますので私は設けた方がいいのではと思います」とお伝えしました。すると主審の方は「ではちょっと考えさせて下さい」とのこと。

 

私の頭の中には、「熱中症注意ラインは環境の絶対値だけが判断基準ではなく、環境に体が慣れているかどうかも判断に入れなければならない(つまり比較的低い気温や湿度でも熱中症は起こり得る)」との考えがありました。「通達」にも飲水タイムを設けるかどうかの決定は「安全を重視するという観点から判断することが重要」との一文がありますね。

 

さて両ベンチに飲水タイムを行うかどうか伝える必要がありますので主審の方に確認すると「飲水タイム設けます」とのこと。でそれを仰ったのに続いて「実は飲水タイムやったことないんですけど何時やればいいんですか・・・」とのお言葉がありました。その後、「ボールがアウトオブプレーで・・・」と一通りの手順をお伝えすると「時間は2,3分でいいんですよね?」との確認が主審の方からありました(どうも飲水タイムを設けることに消極的だなあ、と思ったら・・・知らなかったのですね・・・)。

 

そうです。ここです。今回のメインテーマ「飲水タイムで最も大切なこと」に対する答えがあります。そう、最も大切なことは:

 

「できるだけ速やかに試合を再開させる」

 

なのであります。

 

エッ?それって・・・目的と手段が逆転していない?

 

仰る通りでございます。でも、それでイイんです!

 

確かに選手の安全のために飲水タイムを設けているわけですから確実に選手が飲水できているかどうかが大切なわけですけど、特に4種の試合に限って言えばこの「速やかに試合を再開させる」ことのみに主審と副審が神経を集中させていいと断言いたします。

 

「2、3分」と主審の方が仰っていたのは、選手を休ませるもしくはクールダウンさせるためとの意図があった、もしくは飲水タイムへの「無知」(失礼!)から来るものだったと思われます。

 

しかし4種では多くの場合、飲水タイムはランニングタイム扱い、つまり「空費された時間」として試合時間に加算されることはありません。2,3分も使ったら・・・試合時間がなくなっちゃう・・・です。

 

もちろん選手がフィールドの外に出ないようにとか、勝手に選手が入れ代わっていないようにとか、飲水タイム時に交代が要請された場合の適切な手順とか、色々大切なことはあります。この辺の注意すべきことは色々な記事をご参考いただければと思いますし、あらためてご紹介できればと思います。

 

で、まず飲水タイムのマネジメントに慣れていない方はとにかく「速やかに」を念頭においてください。

 

さて、この日私が主審を担当した試合までを見るとベンチの方々も実に手際よく飲水を選手にさせていて速やかに試合が再開されていました。で、自分が担当した試合です。かなり一方的な試合になってしまい、やられっぱなし(二桁も得点された)のチームのコーチの一人の方がかなりエキサイトされてまして「お前らこのまま終わるんか!」と叱咤されてました。で、飲水タイムになっても・・・そのコーチの方が相変わらず吠えてます(苦笑)。

 

さて、実はこのような状況になることは予想出来ておりました。そこで私は、まず自分の担当である本部席左側のベンチ(つまり勝っているチーム側)の選手に「飲み終わった人から帰ってね~」と声掛けをします。で、A1の方の方を見ると打ち合わせはしておりましたけど、やはり「吠える」コーチの方を前に、どうしたものかと佇んでおります。そこで、私は駆け寄りながら「飲んだ人からドンドン戻ろう、戻ろう!」と声をかけました。

 

まず、審判団がチームとなって速やかな試合再開のためのベンチおよび選手マネジメントすることが大前提です。ただし実際に4種では審判員の方は帯同の場合がほとんどなので技術差や経験差があります。ので主審がリードしましょう。

 

で、この試合でのマネジメントポイントは2つ。

 

1)勝っている(この場合しかも大差)チームが遅れてもどらないようにさせる(=不公平感を最初から無くす)

 

2)ベンチ役員の心理状態と子供の心理の両方を念頭に最初から声掛けする(=とにかく先手「必勝」)。

 

まず1)は、もし勝っているチームが意図的に時間をかけて飲水していたら・・・それは絶対許されません。これは遅延行為ですよね。

 

で、2)です。今回の場合「叱咤」なので「指示」ではないかもしれませんけど、どちらも飲水タイムの行為としてはベンチがやってはならないことです。といっても選手の不甲斐なさにフラストレーションがたまっているベンチ役員と正面きっていきなり対峙するのも得策とはいえません。同時にベンチの声を全く無視するわけにもいきません。ので、毅然とした態度を示しながらここは選手とコーチを早く引き離すことにします。そのために間髪いれずベンチに近寄って「飲んだ人から戻ってね」の声掛けが重要ですね。それも全員ベンチ前を離れるまで、促し続けます(これはある意味ベンチ役員に対する間接的なマネジメントでもあります)。

 

幸い、他のコーチの方は冷静なので、この辺の雰囲気を読みながら余計な対峙はさけながら試合再開に向けて行動すべし、です。

 

 

さて私の方法が完璧な飲水タイムのマネジメント方法かどうかは別にして、とにかく「できるだけ速やかに試合を再開させるを旨にすべし」でこの夏試合に臨んで下さい。

 

まあ、いうまでもなく試合前の審判団の打ち合わせおよびベンチ役員とのコミュニケーションによる準備がなによりも「速やかな試合再開」のために大切なことは言うまでもありません。

 

あと蛇足ながら私は4種においても飲水タイムよりアウトオブプレー中に選手がライン上で好きな時に飲水できるほうがいいと思っております・・・課題は多々あるとは思いますけど。

 

では、I'll be back. 

 

 

 

落雷の季節再び - キックオフの前に

先週報道されていたように大気が不安定になっていたヨーロッパで落雷の事故が相次ぎました。

 

なかでもドイツ西部のホップシュテッテンの町のサッカー試合会場では大人3人が重傷、子供29人が予防処置のため病院に運ばれたのことです。

 

CNNによると地元警察の話で「試合を終わらせるため笛を吹いた審判が落雷の直撃を受けた」とのこと。主審を務めていたと思われるこの45歳の男性はヘリコプターで病院に搬送されたそうです。無事をお祈りするばかりで、とても他人事とは思えません。

 

この日サッカー場の上空は晴れていたとのことで、目に見える周辺の天候状況だけでは危険を察知できない雷の恐ろしさをあらためて物語っていると思います。

 

今後夏に向けて雷の季節となります。

 

気象庁のデータによると   対地放電(落雷)、雲放電ともに、放電数は1年の中で8月が最も多いそうで、実に12月~2月の約100倍ということです。特に夏の場合、知っておきたいのは落雷の多くみられる時間帯です。お昼過ぎから夕方に向かってピークとなっており、15時過ぎからは要注意ですね。もちろん他の時間帯でも同じ配慮が必要ではありますけど、特にこの時間帯で試合を担当する場合、念には念を入れて状況を見極めたほうがよいようです。

 

ちなみに私は「StrikeAlertストライクアラート」なる雷探知機(なんか以前よりずいぶん価格が高くなったような・・・)を使っています。精度にはバラつきがあるように思いますけど、いろいろな状況で使用してみて補助的な判断材料になればと思っております。

 

近年、大気が不安定な状態になることが増々多くなっています。さらに最近では落雷だけでなく竜巻も日本各地で危険要因となってきています。自然現象の発生を食い止めることは不可能でも、事故から事前に回避する行動をとることはできます。サッカー審判員としてこれからの季節、試合に臨む前に必要な準備をしておきたいものです。

 

落雷と審判員の役割についてはこちらの過去記事をどうぞ。→ 「 サッカーと落雷 - 審判員における決断力と「勇気」 

 

では、I'll be back.

「緊急覆面座談会」 Part1-サッカー審判員が本音で語る!?「2016/2017年競技規則の改正」

司会 「こんにちは皆さん。本日は『2016/2017年競技規則の改正について大いに語る』と題して急きょ、それぞれの現場で活躍されている5人の審判員の方々にお集まり頂きました。えー皆さんよろしくお願いします」

 

審判員一同 「よろしくお願いします!」

 

審判員Q 「えっーと、じゃあ最初に私から、えーお話しさせていただくとですね、まず協会からの通達にもあったように『三重罰』のケースがより限定されたってことが大きな改正点だと思うんですよね」

 

審判員R 「さ、さんじゅうばつ?ってなんですか??」

 

審判員Q 「あなたねぇー審判員やっててそんなことも知らないんですかぁ。ペナルティエリア内で決定的な得点や得点の機会の阻止をやった競技者が退場になって、相手チームにペナルティキックが与えられて、かつ退場になった競技者が次の試合に出場できなくなる、この3つの罰を『三重罰』っていうんですよ。わかりました?」

 

審判員R 「なるほど。そういうことなんですね。」

 

審判員T 「私なんかほとんど4種の試合を担当しているので「警告」や「退場」を次の試合にまで持ち越すことなんかほとんどないんですけどね・・・。そもそもペナルティエリア内でファウルしたら『決定的な得点や得点の機会を阻止』かどうかにかかわらずペナルティキックを与えられるわけですから、ペナルティキックが罰のひとつというのも、なんか変というか・・・」

 

審判員Q 「いいですか、とにかくこの『三重罰』になるケースとならないケースの見極めが大変になると思うんですよね。例えば『相手競技者を押さえる、引っ張る、または押すという反則』の場合は退場になるので『三重罰』なんだけど、そもそも押すって行為は手だけでなく背後から体使って押すこともあるけど、この場合チャージともとれるし、その上同時に守備側競技者の数と位置とかその他もろもろの状況を瞬時に判断しなければならないなんて正直大変ですよ」

 

審判員P「私はね、ちょっと違う意見なんですけど、そもそも今回の改正での一番のポイントは『第12条 ファウルと不正行為』にある『決定的な得点、または得点の機会の阻止』だと思うんですね。で、ペナルティエリア内で反則が起きた場合、その反則が不用意以上無謀以下のチャージとかタックルなら退場じゃなくて警告になるわけですよ。まあ、手が使われることを前提として抑える、引っ張る、押すのファウルに対してはより重い罰を与える意図で警告ではなく退場としたのでしょうけど、この見極め結構大変ですよ」

 

司会「・・・Qさんとほぼ同じ意見でしょうか。えーSさんは今回の改正についてはどう思われますか?」

 

審判員S「えーっとですね、改訂文全体に目を通してみて言えることは、いいところもある、わるいところもあるって印象ですね」

 

審判員Q 「いいですか、今回の改正は国際サッカー評議会の130年におよぶ歴史の中で最大の改正なんですよ。いいですか、その中で最大のポイントは『三重罰』にかかわる部分の改正なんですよ。ただでさえね、ペナルティエリア内でのファウルの判断は難しいのに『三重罰』になる場合とならない場合を見極めるわけなんですよ。これは現実大変ですよ」

 

審判員T「判定も大変そうなんですけど、4種の場合ベンチ役員の方も含めて今回の改正点を理解されているか、その辺が心配と言えば心配なんですよね・・」

 

審判員P「私はね、ちょっと違う意見なんですけど、今回の通達によるとペナルティエリア外での『決定的な得点の機会の阻止」の場合は今まで通り競技者は退場となるんですよね。これね、揉めそうですよ、ペナルティエリアの内か外か?、犯したファウルの種類は何か?、その時の状況は?を一瞬のうちに判断ですよ。揉めるポイント満載ですよ。」

 

司会「えーっとQさんと同じ懸念ですかね。Sさんはどうでしょうか?」

 

審判員S 「皆さんね改正、改正って仰ってますけどこれはね改訂なんですよ、ですからね、いいところもある、わるいところもあると思うんですね」

 

審判員R 「やっぱり、協会の研修に積極的に参加して改正点について理解した方が・・・」

 

審判員Q 「なに悠長なこと言ってるんですか、日本フットボールリーグの 6月18日の試合から新しい競技規則の適用開始日なわけですよ。もう『三重罰』の部分なんか絶対に理解してないとまずいわけ。わかります?絶対に揉めますよこれ。」

 

審判員R 「とはいえやはり上級審判員の方とかインストラクターの方に質問したり解説頂いたりすることが勝手な解釈をしたり誤解をしたりしない上で大切かと思うわけで・・・」

 

審判員 P 「 私はね、ちょっと違う意見なんですけど、フェアプレーを確保するためにと言いながら程度の差じゃなくてファウルの種類で警告だったり退場だったりと異なる処置になるってのは揉めそうですよ。」

 

審判員S 「ですからね、今回の改訂はすべて俯瞰してみると、いいところもある、わるいところもあるというのが偽らざる気持ちなんですね」

 

審判員T 「4種の場合ですと、少なからずな審判員の方々はそもそもホールディングのファウルをきっちりとれるかどうかってことからスタートしなきゃいけないレベルでもあるわけなので、そこに今回の改正が入ると・・・色々な課題が見えてきますね」

 

審判員R 「やはり協会の割り当てをしっかり受けて、試合の中で経験を積んでいくことが肝要かと・・・」

 

審判員Q 「何言ってんですか、まずは『三重罰』の例外の部分を運用していくことの難しさに気づかないと痛い目に遭いますよ!」

 

審判員S 「やはり結論としては今回の改訂は、いいところもある、わるいとこともある」

 

審判員P 「私はね、ちょっと違う意見なんですけど、やはり『決定手的な機会」の場合、警告や退場としたときにそれはファウルの種類のせいだったのかファウルをした選手のアプローチのせいだったのかファウルが起こった時の周りの状況のせいだったのか・・・揉めますよ」

 

審判員R 「まあ、まだ2016/2017年競技規則も送られてきてないので、それをまず見て、理解すれば不安もなくなると思いますけど・・・」

 

審判員Q 「あーっ!もう分かってないなあ!今回のは大改正でしかも多岐にわたるわけ。だからそんな余裕こいている場合ではない!ひとつのポイントだけ重視すればいいってことでもないわけですよ」

 

審判員S 「その多岐にわたる改訂ポイントには、いいところもある、わるいところもある」

 

審判員P 「私はね、ちょっと違う意見なんですけど、今回の改正には覚えなきゃいけないことが盛りだくさんなんですよ。まずはこれだけ重視するって語り方は間違ってますよ」

 

司会「・・・なんかQさんもPさんも最初に仰っていたことと違ってきているような・・・まあ、お二人とも同じご意見なんですよね。」

 

審判員S 「そう意見は同じでも、今回の競技規則改訂にはいいところもある、わるいところもある」

 

審判員T 「そうですね、最初の『決定的な機会』ももちろん大切ですけど、4種の場合わりと認知が高そうなキックオフ時におけるインプレーになる条件の変更には注目が集まっても、いろいろなケースでの再開方法を審判員が間違えても誰も気づかないなんて可能性がありそうで、得点に絡む場合には特に注意したいですよね」

 

審判員R 「ところで来年の更新筆記試験にはやはり改正競技規則からたくさん出題されるんですよね・・・すべて覚えないと・・・」

 

審判員一同 「あっ・・・・・」

 

Part2へと続く(構成:T-800)

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サッカー審判員の「批評と弱点」(後半)

さて、トゥーロン国際大会の日本対ポルトガル戦の主審の「ツッコミどころ」と実況アナウンサーの方の「理解不足」について・・・なんて言っていたらイングランド戦も終わりました。

 

さて先に「理解不足」について書くと、まあ例のバックパスなんかは競技規則やガイドラインにも明確に記述されていないので、ここはキックとは「足のどの部分でボールを扱うことなのか」の補足があればよりバックパスについての正しい認知が広がる(それだけでは不十分でしょうけど)とは思います。

 

で、私が実況のアナウンサーの方の言葉に審判員として過剰に反応してしまったのは前半31分過ぎのこと。植田選手からのロングパスが、前線の浅野選手に通ろうかとしていたら・・・オフサイドフラッグがあがり「浅野へ、受ける、オフサイドです。遅れてフラッグがあがりました」の実況。

 

さて、この場面浅野選手の裏に抜ける動きは二人のポルトガル選手のDFによるオフサイドラインのコントロールにより完全に無力化されオフサイドポジションにいてボールを先に触るのは浅野選手ばかり、という状況でした。では、A2の方のフラッグアップはというと・・・全く遅くないですね。浅野選手がボールをトラップするタイミングで旗をあげてますのでウエイト&シーの基本通りで問題なし。つまりいくらボールに触れるのは可能性として、ほぼ浅野選手しかいなくても反則が成立するまで旗を上げないという見極め動作のお手本だと思います。

 

まあ、実況の方はそんな意味合い(つまり「ボールは浅野選手に向かっていてもともと浅野選手はオフサイドポジションにいたんだから、もうちょっと早くあがれば浅野選手だって裏のスペースに向かってあんなに走らなくてもよかったのに」というニュアンスでしょうか)ではなかったかもしれませんけど、どうしてもフラッグアップのタイミングが「遅れて」なんて言われると過剰に反応してしまうんです。はい。

 

これはちょど自分が先週末にU-10の試合で副審を務めたときの事象を思い出したからでもあるんです。何列か並んだ前線の攻撃側選手を監視していた時一人の選手がオフサイドポジションにいたのを見極め、彼のところにボールが行ったので、思いっきり旗あげたら「触ってないよー!」のベンチの声。そう、その前にオンサイドの別の選手がシュート。(主審の方が後で気を使ってくれたのか「旗気づきませんでした」と言ってくれましたけど、)結果ボールがゴールラインを割った後にすぐ、私のフラッグアップを見た主審の方とお互いアイコンタクトしながらフラッグをキャンセル、ゴールキックでの再開となりました。

 

見込みでフラッグアップは厳禁なんですね。

 

もうひとつの事象オフサイドポジションにいた選手が、すでにゴールキーパーの足元にいっているボールに向かってプレーに干渉しそうになったんですけど、フラッグアップを保留。無事?ゴールキーパーはボールを前線に蹴り出しそのままプレーは続きました。これプレーに干渉した時点で旗をあげると「遅い!」って周りからは言われそうでした。もちろんゴールキーパーとの接触が危険を呼びそうな局面では早めのフラッグアップが望まれますね。自分が主審だと早めにフラッグアップされても見極めながらキャンセルできるんですけど・・・この辺主審と副審のアイコンタクト(連動)が重要です。

 

というわけで、「遅くない!」とついつい叫んでしまったわけです。過敏かな~。

「理解不足」なんて言っておきながらフォローさせていただくと、実況の方も競技規則をほぼほぼ理解されていたかとは思います。まあ、バックパスのシーンは解説の早野 宏史さんの明確なフォローがあるとよかったかも(少なくとも、その後のいわれなき審判批判の声のいくつかは防止できたかもです)、そして例の「ハンド」のシーンでは反則かどうか選手の意図を見極めるポイントについてのガイドラインの条文をすぐに実況の方が付け加えるとかしたら一方的な「主審の見落とし(≒誤審)」批判を、これまたある程度は防止できていたかもな~なんて思います。

 

さてその「ハンド」で始めた主審のミロさんの「ツッコミどころ」についてです。

前半で書いたようにミロ主審がポルトガルのエンリケ選手のプレーをハンドリングの反則と判定しなかった理由で考えられることは:

 

1)エンリケ選手の意図は認めず偶発的に腕にボールが当たったと判断した。

2)エンリケ選手のハンドリングと認めたものの、その直後野津田選手がシュートできるとみてアドバンテージを適用した(ちなみに、ここでプレーオンのシグナル&声を出すと「やっかい」なことになる可能性があり・・・なんですね)

3)そもそも腕にボールが当たった事象が見えなかった。

 

の三つでした。まあ1)ということなんでしょう。

 

で、2)なんですけど確かに野津田選手の足元にボールが落ちていてシュートチャンスとも言えます。ただ前にいる複数ポルトガル選手の位置から考えるとシュートコースはかなり限られていてPKを上回るアドバンテージとは思えません。というわけで日本側から見るとアドバンテージなんか適用しないで、PKにしてよ!ってことになると思います。よってミロ主審がハンドリングの反則をみながらプレーオン(シグナルなしで)をかけてアドバンテージをかけた可能性はないでしょう。

 

ちなみにこのような局面で(つまりペナルティエリア内のファウルという判断で)仮にアドバンテージをみてプレーオンのシグナル&声出してしまった場合には「無事」ゴールとなればいいですけど、シュートが枠をはずれたら・・・すでにシュートというアドバンテージの権利を実行したのでその時点でロールバックは行わないということになります。しかしそれだとアドバンテージをもらった攻撃側チームとしたら「笛吹いてよ~」ってことにもなりますね。決定的な得点の阻止ではない状況でペナルティエリア内での守備側選手よるハンドの反則直後に、続けてシュートされたボールがゴールインなんて状況、私も経験ありです。ですので守備側チームによるハンドの反則があっても、各選手のポジションや体勢等々、一呼吸状況を見極めてから笛を吹くべきかと思います。ただU12以下なんかではハンドの直後に守備側選手が主審の笛が鳴るものばかりだと思い込みフリーズ(静止)してしまい、その隙に攻撃側選手がシュートを決めるなんてこともあり得ます・・・うーん色々と「やっかい」です。

 

さて、3)についてはミロ主審がまさか事象を目撃できなかったとは思いませんけど、南野選手がちょうどエンリケ選手に重なるような形でミロ主審の視界を遮ったので主審は事象が見えなかったのでは?・・・ということが一瞬頭をよぎってしまいました。実はこれには伏線があり、それが「ツッコミどころ」なんですね。

 

そう、それは前半に予告したようにミロ主審の動きなんです。

 

まずは誤解なきように書いておきますと試合全般にわたりミロ主審の動きは素晴らしいものだったと思います。ジョグ、スプリント、バックステップ、サイドステップなどなど状況に応じて使い分け的確にポジションを変えながら争点を監視していたと思います。ただ・・・1点を除いて。それは「動き出しのタイミング」なんですね。これが私の眼には「もう少し早くてもいいのでは?」と思ってしまう場面がありました。特にフィールドを縦に選手たちが速いスピードで駆け上がっていくときの動きですね。分かりやすい例でいえば浅野選手が裏に抜けてポルトガルDF陣と競り合いながらゴールに向かう場面などではポジションとしては「串刺し」になっていたような。距離も遠いかな~。

 

これまた週末の試合で、他のチームの帯同審判の動きを見ているとやはり遅いんですね動き出しが。もちろんミロ主審のレベルと比べるのは適切ではありませんけど、どの方も試合全体を通じて動けていない(動いていない)とも言えます。そもそも4種のカテゴリーでずーっと動いていない主審が突如、全力疾走を始めたら審判員の動きとしては「オカシイ」と思ってください。変化していく争点を監視するためにこまめに的確な位置取りを主審が心がけているなら4種のフィールドの大きさや選手たちのスピードでは、主審として(周りから見て余裕がないような)全力疾走が生じることは私の経験上ありません(もちろん相手コーナーキック直後の自陣深い位置からの素早いカウンター攻撃に転じる場合など、全力疾走が全く必要ないわけではないですよ)。

 

もっと言えばシニア審判員としては本当に必要な時のためにスプリントするスタミナを温存するためにも「動き出しの早さ」が命なんですね。はい。早くスタートすれば少ない走力で争点に迫れるというわけです。

 

とにかく最初はあまり深く考えず争点に近づくことだけに集中しましょう。これを試合を通じて集中してやるとヘトヘトになるはずです。で、このように動く習慣が出来てから以下の不都合な真実に向き合えばいいのです(大袈裟)それは:

 

「ある争点に近づくということは、次の争点から遠ざかる、または次の争点のためのより良い視野を犠牲にするリスクが高まることと表裏である。」

 

ということです。

 

このことがあるから、ただ闇雲に争点(あるいはボールに)に近寄ればいいわけではなく、常に次の争点を予測(意識)した上で今の争点との距離やそれを監視すべくポジションを決める必要があるんですよね。

 

ということからも過去記事でも繰り返し書いている、この「動き出しの早さ」の重要性がお分かりいただけるかと思います。

 

さてミロ主審の場合、高いレベルで私がそう感じていただけで、けっして動き出しが悪いわけではなかったかもしれませんけど、ここが審判員の性(さが)なんですね。つまり上記のオフサイドの見極めにしても動き出しについても自分の「弱点」だと感じていることを他の審判員の中に投影して「批評」してしまうんですね。まあ、ここに書いていること全部だともいえます。

 

また蛇足ながら上記の「ハンド」のケースにおいても、あまりに明らかに伸ばした腕などにボールが触れたのを見ると(つまり事象がクリアに見えると)すぐに笛を吹かないでその意図を深読みして「セーフ」にしてしまうこともあります。このような場合あとで振り返ると「直観」より「理屈」に走り過ぎたかな~と反省することがあります。これは私の性(さが)です。

 

というわけで、ミロ主審、自分のことを棚に上げて批評している日本の3級審判員をお許しくださいませ!お手本とさせていただいたことの方が多かったことは間違いございません。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

サッカー審判員の「批評と弱点」(前半)

さて、トゥーロン国際大会の日本VSポルトガルの試合についてです。

 

前回予告していた主審(フランス)のミロさんの「ツッコミどころ」と実況の方の「理解不足」についてです。

 

さてまずは「ツッコミどころ」は巷で話題の?日本のクロスボールをポルトガルのDFパウロ・エンリケ 選手が手で「叩き落した」事象についてです。実はあらかじめいっておくと本当の「ツッコミどころ」はこの瞬間の判定(ハンドにすべきだったのか、どうか)についてではなく試合全体におけるミロさんの動きなんですね。それは後ほど。

 

とはいえ、この「ハンド」については書くべきだと思いますのでちょっと詳しく見ていきましょう。

 

最初にフェアに話を進めるために私が主審だったらどうするかを書くと、即「ピー」っと笛吹いてPKとしますね。

 

第 12条 ファウルと不正行為

ボールを手または腕で扱う
競技者が手または腕を用いて意図的にボールに触れる行為はボールを手で扱う反則であ る。主審は、この反則を見極めるとき、次のことを考慮しなければならない。

●ボールが手や腕の方向に動いているのではなく、手や腕がボールの方向に動く。

●相手競技者とボールの距離(予期していないボール)。

●手や腕の位置だけで、反則とはみなさない。

●手に持った衣服やすね当てなどでボールに触れることは、反則とみなされる。

●サッカーシューズやすね当てなどを投げてボールにぶつけることは、反則とみなされ る。

 

さて、事象を素直に見ると「手や腕がボールの方向に」・・・動いてます。「予期していないボール」・・・とは言い難いですね。

 

ただ上記の条文はあくまで「考慮しなければならない」要点であってもハンドリングの反則が成立するための要件ではありません。一番大事な見極めポイントは「意図的に」ボールを腕や手で扱ったかどうかですよね。

 

私の判断はクロスボールが上がってきている状況で、あれだけ腕を上げていたら「未必の故意」を感じてしまうという次第です。はい。

 

一方でエンリケ 選手の悪意まで感じるかというと、そうでもないことは腕で叩き落とされた後のボールの軌道を見ればわかりますね。そう、野津田選手がシュートできるように跳ね返っているわけですので、決して腕を使って阻止したとまでは言い切れないようにも思えます。

 

というわけでずるい言い方なんですけど、この事象をハンドリングと判定しても大誤審とも言えずハンドリングでないとしても大誤審とは言えないアンビバレントな後半なんですね(なんのこっちゃ)。

 

さてミロ主審はどのように判断してPKとは判定しなかったのでしょうか?可能性は以下の通り。

 

1)エンリケ選手の意図は認めず偶発的に腕にボールが当たったと判断した。

2)エンリケ選手のハンドリングと認めたものの、その直後野津田選手がシュートできるとみてアドバンテージを適用した(ちなみに、ここでプレーオンのシグナル&声を出すと「やっかい」なことになる可能性があり・・・なんですね)

3)そもそも腕にボールが当たった事象が見えなかった。

 

まあ、順当に考えて1)だと思いますけど、2)3)は考慮に値しないかと言えば・・・それは後半で。

 

次にNHK実況のアナウンサーの方の「理解不足」について。

 

まず例のバックパスについては膝にボールを当ててゴールキーパーに返しているのでミロ主審の判定で何の問題もありません。詳しくはこちらの本のP117をご参照下さい →

ポジティブ・レフェリング

 

で私が実況の方の理解不足を感じたのはここではなく、審判員としての悲しい性?からくる微妙~な、感覚についてなんですね。これも後半で。

 

では、I'll be back.

 

 

遅延行為にみる「本音と建前」

トゥーロン国際大会の日本対パラグアイU-21の試合。残念ながら1-2で日本U-23代表は一次リーグの初戦を落としてしまいました。

 

しかし普段はこんなこと書かないのですけど、日本代表のサッカー、そっくりそのままJリーグのジュニアやユースチームが行っているボール回しそっくりですな。つまり相変わらずのバックパス、横パスの連続。早い動きや激しい当たりの中で前に進めるボール回しに「慣れていない」ので受け身なゲーム展開だったような・・・。ちょっとこのままの状態が続くと日本のサッカーの将来が心配、心配、心配・・・です。

 

そんな中でも浅野選手とオナイウ選手のコンビネーションに明るい希望を見ました。

 

さて、この試合で気になったことがパラグアイの選手による「ちょっかい」と主審のマネジメントなんですね。

 

日本がフリーキックなどでリスタートしようとするたびにパラグアイの選手がボールをあらぬ方向に動かしたりボールを持ったまま移動して離さなかったり、ボールの前に立ってリスタートの位置を直させようとしたり・・・まあ、自由にリラックスして?「ちょっかい」出してくれてました。

 

これらは遅延行為の要件を満たしていてイエローカードを提示してもいいのですけど、そこはギスギスしたくない?伝統ある国際大会ゆえか、主審もまずは十分な注意を与えていました。パラグアイの選手に時間をとってコミュニケーションをしています。まあ、最初の対応としては妥当なものでいきなり警告にしないこと、またはしたくないという主審の本音も見えます。

 

ところがまったくパラグアイの選手には効かないんですね、この注意(苦笑)。その後もことごとく「ちょっかい」出して、まるで不良に翻弄されている優等生の日本選手って感じで、見ているこっちもイライラしてきました。

 

こうなると主審の本音は建て前となり、本音としてはイエローカードだしたいけど、基準の一貫性が損なわれる、どうしょうかな~って感じでしょうか。まあ、その心持は推測するしかないんですけど、明らかに後半はパラグアイの選手が「ちょっかい」だしても前半ほど注意しなくなったので、正直これは主審のマネジメントとしては失敗しているという見方をされてもしかたないかな~と感じました。

 

つまりはやんちゃなパラグアイの選手(こういうのをマリーシアという概念で括ってはいけません)は、「いくらやっても警告されないから、やっちゃえやっちゃえ」と思っていた(もしくは少なくとも結果そのように採られてしかたない状況が生み出された)ふしがありますね。

 

これU-12のカテゴリーで主審がこのようなマネジメントをやったらベンチは大荒れ、教育上もよろしくないということになります。そもそもU-12で選手がこのような「ちょっかい」をリスタート時にだしたら、明らかな悪意を認めていいと思いますので私なら(偶発行為でない限り)即警告です。というかこのような芽は早い段階で摘んで「悪い大人」のマネはしないようにとのメッセージとすべしですね(指導者の方々、応援の父兄の方々くれぐれも子供たちに向かって「ボールの前に立てよ!立てよ!」なんて声は出さないようにお願いします)。

 

とはいうものの、今回の遅延行為のマネジメントには考えさせられる部分も多々あり、遅延行為に限らず主審の意図が選手に理解されず(もしくは無視され)「無法状態」になった場合(もしくはなりかけた場合)どのように、またどのタイミングで次の一手を打つべきかという課題が突き付けられた感じがします。

 

まずは、どのような場合でも選手が競技規則の意図に反して自分たちの都合がいいように試合を進めているような状況を生み出さないようにしましょう。

 

さてこの記事書いていたら今度はポルトガルU-20代表チームに日本U-23代表は負けてしまい2連敗となりました。トホホ・・・。

 

この試合もネタ満載で?主審のフランスのミロさんの判定にもツッコミどころあり・・・なんですけど一方で実況されていたNHKのアナウンサーの方の審判法(もしくは競技規則)に対する理解不足などもありここは審判の方々の名誉のためにも書いておかなければ・・・というわけでその辺は久しぶりに(一か月ぶり?)に主審と副審を務めた自身のケースとともに後日。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

「サッカーと音楽」シリーズ 第二回 ~ 「おせっかい」?それとも「恐れ知らずの愚か者」?(後編)

さてワンクッションおいて後編です。

 

何の話でしたっけ・・・いやいやこういことでしたよね。つまり:

 

ピンク・フロイドロジャー・ウォーターズは熱烈なアーセナルFCのサポーターでありながらアルバム『おせっかい』に収録されている『フィアレス』の中でリヴァプールFCのサポーターが歌う『You'll never walk alone』を引用しているのはなぜ?」

 

というお話でしたね。

 

今やなんの興味もない方も今回で完結なので今しばらくのご辛抱を。

 

さて、その前に肝心の「You'll never walk alone」という曲について全然書いていませんでしたね。

 

「You'll never walk alone」はもともとミュージカル「回転木馬」のために作曲されました。その後、フランク・シナトラエルビス・プレスリーなんかにも歌われた人気曲なんですね。しかしこの曲を一気にポピュラーにしたのは1960年代マージービートバンド(リヴァプールを中心としたイギリス北部出身のロックグループの総称。リヴァプール市内を流れるマージー河が名前の由来)としてアメリカでも人気者になったジェリー&ザ・ペイスメイカーズによるバージョンです。イギリスだけで80万枚を売り切ったといわれている大ヒットとなりました。

 

実は今回の記事を書くのに彼らのレコードやCDを探し、タイミングよく今年デジタルリマスターされたCD「太陽は涙が嫌い+20」に「You'll never walk alone」が収録されていたので購入。じっくりとこの曲を聴きました。

 

もともと優等生的な曲なんですけど、ジェリー・マースデンの初々しいボーカルとシンプルなアレンジで「青春の挫折の泥にまみれながらも前に進む歩を止めない若者の静かな力強さ」をイメージさせる曲に仕上がっているように思います。ジェリーの歌によってこの曲の世界観により多くの人が共鳴するようになったことは間違いないでしょう。で、この歌がリヴァプールFCサポーターの心をつかみ試合前の合唱となっていった・・・という経緯はこちらのサイトでとても詳細に分かりやすく蘊蓄満載に紹介されているのでご参照くださいませ → You'll never walk alone

 

それにしても、オスカー・ハマースタイン2世が書いた歌詞なんですけど、文部省推奨歌のごとく前向きかつ誠実さあふれる世界が展開されていますね。どう考えても「おせっかい」以後ますます辛辣さを増していくロジャー・ウォーターズによるピンク・フロイドの歌詞世界とは真逆のような印象です。

 

一方で「前向き」とは書きましたけど「You'll never walk alone」の描き出す世界は勝利を確信している楽天的な応援歌というより、とてもハードルが高くて、様々な困難が待ち受けていて進めば進むほどボロボロになって到達できない目標(とうてい勝ち目のない戦い)かもしれないけど「俺たちは絶対見捨てないよ。いつも一緒なんだ。一緒に困難に立ち向かうのさ!」といった一種、悲壮感ただよう前向きさとも表現できるでしょう。それがゆえに皆で歌っていると特別な高揚感が生まれるのではないでしょうか?

 

なんか「You'll never walk alone」に似た世界観の曲が昔あったような・・・と考えを巡らしていて思い当たったのが1966年にシングルヒットしたザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」。その歌詞は:

 

「君の行く道は はてしなく遠い だのに なぜ 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで 」

 

というように続きますね。

 

ジェリー達の「You'll never walk alone」が全英No.1ヒットになったのは1963年のことなのでひょっとして「若者たち」は「You'll never walk alone」に影響を受けたのかも・・・です。

 

さて、ここまで書くともうお分かりのようにピンク・フロイドの「フィアレス」の歌詞の世界観と「You'll never walk alone」の歌詞の世界観は全くかけ離れているどころか共通しているのですね。である意味「若者たち」とも。

 

曲          歌詞

フィアレス      あの丘は険しすぎて登れない、と君は言う

You'll never walk alone たとえ夢が砕かれても、挫けそうになっても

若者たち       君の行く道ははてしなく遠い

 

で、これは偶然というより1960年~1970年代のイギリスの、日本の、そして

世界の若者が感じていた空気感と共鳴して出来上がった歌詞のように思えます。もちろん「You'll never walk alone」だけ作詞されたのは1945年になりますけど、だからこそ「You'll never walk alone」はより普遍的な歌詞世界になっていて、時代を超えて若者(もちろんそれ以外の世代)の心に強く響く力があるのではないでしょうか。

 

この60年代~70年代前半がどのような空気感だったのか、その時世界はどうだったのかを語り始めるのは私の知識と筆力では無理なので、ここでは強引に単純化するとベトナム戦争を契機とした反戦運動、アメリカを念頭に置いた覇権主義に向けられた批判やマーティン・ルーサー・キング・ジュニアに象徴される人種問題の高まり、そして英国に目を向けるなら大英帝国の栄光は今は何処、悪化をたどる一方の経済状況等により若者の憤りと怒りそして挫折感・・・といったところでしょうか(かなり勝手ないい加減解釈ですけど)。

 

なので「フィアレス」が書かれる前から「You'll never walk alone」が世に出た間、特に1960年代には特に同じような世界観の曲が作られたように思います。

 

でも、その中で「フィアレス」に込められたメッセージはリヴァプールFCサポーターが歌う「You'll never walk alone」を挿入することでより普遍性のあるものになっていると思います。それはなぜかというと「フィアレス」は歌詞を書いたロジャー・ウォーターズの決意表明のような曲でもあるからなんですね。

 

2015年のローリングストーン誌のインタビューでロジャーから「友人だったこともなければ、打ち解けたこともないね」と言われたデイッド・ギルモアでさえも

 

「ああ、俺だって『エコーズ』の歌詞自体がそれほど意味のあるものとは記憶してないさ。あのアルバム(「おせっかい」)には、もっと意味深い歌が入ってたと思うよ。タイトルは忘れちゃったけど、最後にYou'll never walk aloneって一節があるヤツとかね。あのアルバムには、ロジャーが入っていきたがっていた方向を示すものがギッシリ詰まっていると思うよ」

 

と曲名は忘れ去られているものの「フィアレス」の核心を掴んでいます。

 

ではロジャー・ウォーターズの決意表明とは何かといえば、それは彼が目指す理想の社会の実現ではないでしょうか。彼が目指す理想とは核兵器のない世界そして一部の人だけが富を握らない世界、法の下すべての人が平等に取り扱われる世界のようです。そしてそれは現在の資本主義に代わる彼なりに理想としている社会主義らしいんですね。「らしい」と言ったのはこればっかりは本人に訊いてみないとわからない…(苦笑)。ただ彼は子供時代から共産党員だった母親の影響もあったようですし、学生時代から反核運動を熱心に推進していたようですし、その後ピンク・フロイドの一員(リーダー)として成功してもますます富を占有する資本家、自由主義の御旗のもと共産勢力に対抗すべく(という口実で)核の抑止力を掲げ、軍事行使を正当化する国々(まあ主な矛先はアメリカということになりますね)に対する批判を強めていきます。

 

もちろんロジャー・ウォーターズのこのような主義主張を知らなくともピンク・フロイドの音楽は楽しめますし(知らない方がよけい楽しめるか)、「フィアレス」もいい曲だと思います。ただ私にとっては何かとても強い人間の意志の力を感じた「フィアレス」が単なる趣味のサッカーから気まぐれに引用してきた効果音に過ぎなかった・・・で終わって欲しくなかったので実は「フィアレス」においてリヴァプールFCのサポーターが歌う「You'll never walk alone」が引用されたのは上記のようなロジャーの理想に向かう同志へのエールだった、ということを知ったことで、この曲に関する一時の「落胆」が大きく「確信」へと変わっていったのでした。

 

つまり:

 

You'll never walk alone = リヴァプールFCへのサポーターによるエール

フィアレス      = ロジャー・ウォーターズによる社会主義的傾向が強い

             (強かった?)リヴァプールの人達へのエール

ということです。

 

このこのとに気づかされた記事はこちら → Liverpool FC: the Pink Floyd connection

 

 ここにアーセナルFCの熱烈なファンでありながらロジャー・ウォーターズリヴァプールFCの歌う「You'll never walk alone」を自分たちの曲(作曲はデヴィッド)に引用した必然性があったわけです。

 

ロジャーの主義主張は多分ピンク・フロイドを始める前からのもので現在にわたるまで首尾一貫しているように思います。ふつうは(あえて言えば)政治的なメッセージが強いアーティストはピンク・フロイドまでメジャーになれなかったり、音楽的才能が枯渇してしまったので軸足が社会・政治的活動(例えばチャリティコンサートなどの出演)へ移ったりする(これは坂本龍一氏自身が以前語っていたことですね)ものですけど、ピンク・フロイド自体はロジャーの主義主張にかかわらずヒットアルバムを生み出し続けどんどんと巨大な存在になっていきます。まあ、それは楽曲の素晴らしさと同時にあくまでロジャーの視点が「個人」に向けられていてより普遍性のある(政治やイデオロギーに限定しなくとも)歌詞になっているからだとも思います。

 

話すと長くなるのですけど(もう十分に長い!)ロジャーの感じていることを端的に言えば世界で起こっていること(他者の言動)と自分の内面(理想)とのギャップからくる疎外感かもしれません。そんな疎外感(他者に対する違和感とも言えます)とは表現者であれば誰でも、そして表現者ならずとも誰でも感じていて、やがてそれは社会システムに深く入り込んだ(つまり大人になった)時点でどんどん忘れる(忘れ去られるべき)ものなのでしょう。

 

このような気持ちがのちに傑作「The Wall ザ・ウォール」を書かせたのかもしれません。

 

「おせっかい」の次に出したアルバム(正確にはサウンドトラック・アルバム「Obscured by Clouds 雲の影」の次なんですけど)「Dark Side of the Moon 狂気」によって巨大なセールスを挙げたロジャー達は皮肉にも批判の対象だった資本家のごとく大きな富を手中にします。しかしロジャー自身が書く歌詞はどんどん攻撃的になっていきます。正直いうと、それは富を手中にした自分をカモフラージュしているのか?「フィアレス」のときのような気持ちには戻れないのでは?と一時考えた時もありました。

 

でもロジャーの姿勢や意志は変わるどころか、もっと先鋭化された形で世界に物申すようになっていくんですね。

 

まあ、「お金がいっぱいあれば怖いものなしでだれにも気遣うことなく思ったことを口に出せるよ!」というご意見もあるかもしれません。そうかもしれませんけど、そうでもないですよね。例えばロジャーはパレスチナ問題に関してイスラエル政府の姿勢や行動を非難してます。イスラエルでコンサートを行うアーティストに対しても批判したり書簡を送ったりしてコンサートを行わないように説得を試みています。これは日本では想像できないほど「タブー」であります。彼自身も世界中で現在、軒並み起こっている大きな潮流である「現実の単純化」(例えば仕事がないのは移民のせいで国境に壁を作れば解決する・・・とか)の攻撃にさらされ反ユダヤ主義者などとの攻撃を受けたりしています。いくら「闘士」のロジャーでもこのような批判にさらされることは相当なストレスになると思います。例えば皆さんも、安全な場所にいて、匿名で自分の日常生活から切り離された対象を批判はできても、自分を公にして(知られている状況で)自分のコミュニティ(近所、友人仲間)や利害関係者(自分の上司や取引先)に対して異議の声を上げることの難しさは身に染みているでしょう。そんなことしたら、、仲間内で空気を読めないやつと冷たい視線を向けられる、地域で自分や家族が疎外されてしまう、組織で自分が干されてしまう、等々・・・このようなプレッシャーは皆さん自身が深く感じていることではないでしょうか?ロジャー自身は人種、国籍、宗教、境遇にかかわらず法の下ですべての人が平等に扱われる世界を望んでいるだけのようなんですけど・・・。

 

ロジャー・ウォーターズが上記のパレスチナ問題で感じている疎外感、孤独感は彼がいかに「成功した」人であっても拭えないものだと思います。

 

この疎外感、孤独感に対して「そんなことで挫けてはだめだ!必ず夢はかなう!」と強い意志を表したのがまさに「フィアレス」であり、人間の意志の強さをさらに共感をもって表現しようとした結果がリヴァプールFCサポーターの歓声と歌声を引用した理由だったはずです。

 

それはロジャーが支持を表明した民主党の大統領予備選立候補者のバーニー・サンダースの唱える民主社会主義的世界の実現のように、それは世界中の人々が法の下で平等に扱われてその生命財産を脅かされない世界がやって来ることのように、それは一部残留が主な目標だったサッカーチームがリーグ優勝をすることのように、到底叶えられることのない夢で終わってしまうばかりかもしれません。

 

でも、レスター・シティFCはリーグ優勝しましたよね。「誰も信じちゃいないだろうけど、俺たちはリーグ優勝出来るんだ!」と応援し続けたサポーターのようにロジャーは自分の気持ちを曲に託し、そしてリヴァプールの人々へ、そして世界中の人々に伝えたかったんでしょう。

 

そう、まさに「You'll never walk alone」を歌うとき、同じ目標に向かう者達がたとえ顔見知りでなくとも「決してあきらめない、君を一人にはしないよ!」という力強い意志を誰に気兼ねなく叫べる・・・それ以上に人々を勇気づける瞬間はないでしょう。

 

そういう意味で私は最初ロジャーがリヴァプールFCサポーターの歓声を単に趣味の延長でサッカーファンとして引用したのなら「落胆」すると書きましたけど、それは政治や社会問題と比べサッカーというスポーツを一段低くみている・・・ということではなく、それどころかこんなに混沌としてやりきれないぐらいの「単純化」の攻撃に個人がさらされやすいこの世界において個々の人間の存在の尊さを感じさせてくれるサッカーというスポーツの素晴らしさをあらためて感じている次第です。

 

もしよろしければお聴きくださいませ → 「Fearless

 

では、I'll be back.