ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

指導という名の「装置」 - サッカー審判員の私論

さて、TVの中継を観ているといよいよ解説者の方からも競技規則の改正に触れるコメントが出てきていたりしますね。ただ・・・やはりというべきか、改正点について正しく理解してそれを適切に伝達出来ているのか?・・・ということになると怪しいと言わざる得ません。でも、それは単に解説者の方の理解不足では済まされない、それ以上のことを今回の競技規則の改正は含んでいることを意味しているのではないでしょうか?要は以前の記事にも「間接的に」書いたようにすぐに理解できる点とじっくり咀嚼しないと正確に(文字通り曖昧にではなく)理解し難い点が混ざっているんですね。

 

というわけで、この辺のことは今後、何回かに渡って記事にしていきたいと思います。ひとつ付記しておくと今回の改正は「変わった」だけでなく今まで曖昧だったポイントが「炙り出された」とも言えるんものなんですよね。はい。

 

さて本日は先週末に練習試合と公式戦(U12とU15)の審判員を務めて思ったことを。で、またまたなんですけど直接的には審判法とは関係ない話です。あと、これから書こうとしていることは実は今まで避けてきたことでもあります。それは「指導」ということについてです。なんか歳のせいにするわけでもないんですけど、ご多分に漏れず最近説教臭い言説が段々と増えてきている私です。

 

あくまでこの「部屋」はサッカー審判員としての私の反省を記事にしているつもりなので、今まで指導者の方、つまりサッカーのコーチや監督の方の批判になるようなことは書いてこなかったつもりですけど、今回はそこに半歩?踏み込むかもしれませんので、「そんな考えもあるんだな~」程度でお聴きくださいませ。

 

さて、いつも通り長い前置きで失礼しました。それはU12の試合でのインターバール時間に私が見聞きしたことに始まります。

 

前の試合の主審を終えてイスに座って別のチームの試合を観ていると一方のチームのコーチと思しき方がベンチ後方にて前半に出場していたと思われる選手に「コーチング」をしていました。聴こえてきたコーチの声はほぼ同じ言葉を繰り返していました・・・。

 

曰く「責任感がないんだよ!」。

 

どうも具体的内容がいまひとつ把握できないんですけど彼女(女子選手です)がディフェンスすべき場面でボールに対して詰めなかったせいで得点になってしまったというような内容です。繰り返される「責任感がないんだよ」のコーチの言葉を彼女は直立不動で黙って聴いていました。そして何度かその言葉が繰り返されて、一切の相互のやりとりはないまま、その「コーチング」は終わり彼女はうつむいたままグランドに膝を抱えて座りました。そのなんとも言えない寂しいそうな表情・・・。

 

 

さて、これが「コーチング」として適切かどうか、はたまた「指導」と言えるものかのかどうか、その後どのようなフォローが彼女にあったのかは私が知るところではありませんので、ここではその時に私が感じた事そして膨らませて考えことを書いてみますね。

 

さてまずこのコーチの方が指導者であったことは間違いありません。ここでいう指導者の定義は「非指導者に指示を出す人」です。とりあえず難しいことは置いといて自分が期待している(プレー)を選手に指示する人ということです。このコーチの方と選手である彼女の間には「指示を出す人と出される人」というもの以上の関係があるのかもしれません(ないのかもしれません)。そしてこのコーチの方は「私は指示などしない選手の背中をそっと押してあげるだけだ。指示待ちの選手なんていらない」とおっしゃるのかもしれません(ないのかもしれません)。

 

さてさて、無理やり上記のような「指導者とは指示を出す人」と定義づけると「責任感がないんだよ」という「指導」は「責任感を持て!」という指示になります。いや、こんなに回りくどく書かなくても、私が目撃したコーチの方が彼女(選手)に期待したことは文字通りそういうことなんでしょう。

 

はてさて、私が3級審判員を目指してインストラクターの方から頂いたコメントの中で(彼らも広義の意味で指導者です)「責任感がないんだよ!」とか「責任感を持って試合に臨んでください」などと言われたことは一度もありません。それはヘッポコ審判員だった(で今も現在進行中)私が責任感にあふれていたから・・・ではなく、インストラクターの方のコメントはすべて「具体的な事象に基づいた」具体的なコメントやアドバイスだったからです。

 

シグナルの出し方や笛の吹き方の基本が出来ていない、オフサイドラインをキープ出来ていない、ボールやプレーに十分近づけていない(走っていない)、ポジションが悪い、主審や副審との事前打ち合わせが不十分等々、これらの事象と自分の審判法の拙さについて指摘されたり「指示(もちろんインストラクターの方々が仰ることすべてが『するべき、従うべし』の視点で発せられているわけではないことを承知であえてこの言葉を使えば)」されるということは審判員としては「責任感がない!」と断言されても甘んじて受け入れざる得ないこと、なのかもしれません。こうなると帯同審判員の中で極まれにオフサイドラインのキープが全くできていない(やる気がない)指導者の方を見るとまさに「責任感がない!」と言われても仕方がないように思います。ここまで酷くないにしろゴールラインまで走っていない副審の方やセンターサークル審判員の方を見ると「ああっ・・・」って思ってしまいます。

 

これをご自身の仕事ぶりにまで拡大してみるとどうでしょうか?社会生活全般に拡大してみてください。「私は責任感が欠如したことはただの一度もない!」なんて言える方はもうイチロー選手や長谷部選手並みの自己管理能力をお持ちなのか、もしくは自己認識能力が著しく欠如しているかのどちらかです。

 

ここまで書くと「ああ、だから精神論はダメっていいたいのね、具体的な事象に基づいた『コーチング』のスキルが足りないってことね」とか「成長過程にある子供と大人じゃ指導っていってもその内容や方法が異なって当たり前でしょう」ってお言葉が聞こえてきそうです。

 

正直、その通りで私が最初に感じたことは、そのコーチの方の指導(この言葉が一方的過ぎるならコーチングと置き換えて下さい)スキルが不足しているなということです。そもそも「責任感が足りない!」と言われた事象(プレー)を彼女(選手)と同じレベル(細部や全体感)で認識できているか(頭の中で再現して同じイメージを共有できているのか)も怪しい。彼女の認識で欠落している部分も確かめずにいきなり「指導」すると、そもそも何のことを言われているのかさえあやふやになっている・・・かもです。もしくは彼女の行動と「責任感がない」という精神状態(はたしてそれはどのような状態のなのか私には説明不可能なんですけど)の因果関係は・・・・?つまりコーチが繰り返している言葉の酷く「一般化」された否定的なニュアンスは感じ取っているものの、それ以上のことが自分の言動や姿勢として具体的に捉えきれず途方にくれさせてしまっている・・・。例えばこのように相手(選手)の理解レベルを確認しながら伝え方を変えたり調整したりする指導者としてのスキル・・・が足りてない(だから決して指導者の方の資質とか人格云々の話ではありません)のでは・・・と思った次第です。

 

でも、この記事で言いたいことはそのような精神論の否定やコーチングのスキル云々ではないんですね。そもそも私にはそんなスキルを語れる知識もありませんし、実行する能力もありませんので偉そうに語れません。一方で私が強く感じて考えを膨らませてしたったのはまさにこの「指導者になる」ということ・・・特に「子供の指導者になること」の重みとそこに潜む根の深い問題についてなんです。

 

「ここまで書いておいてまだ前置きだったのかよ」みたいな展開で、またまた御免なさい。

 

そう、実は我々はだれでも「指導者」になったり「指導される者」になったりした経験があるわけです。そしてどのような形であれ子供のときに受けた指導は色々な意味でその後の子供の行動や考え方にまで影響を及ぼす・・・特にスポーツのように身体の動きを伴った指導は非常に強い影響を成長過程の子供たちに及ぼす・・・と思うわけです。

 

このことを論理的に証明しようとすると大変なことになるでしょうし、残念ながらそのような力は私にはないので、ここでは私の勝手な仮説として申し上げることお許し下さい。

 

「身体の動きを伴った指導」というものは何もサッカーなどの競技に限った話ではなく、私たちが子供のときに行っていた運動会の練習とか体育の授業とかも含まれるでしょう。もっと広義に考えると一定の時間起立整列して校長先生の話を聞く朝礼とか校内で行われる清掃活動なども含まれると言えるでしょう(なぜならこれらは身体の動きをもって《例えば直立しているとか両手を使って床を拭いているとか》指示通り行わなければならない活動だからです)。これら「身体の動きを伴った指導」の極端かつ分かりやすい例が軍隊での訓練となるのではないでしょうか(その指導が良いとか悪いとかいう評価軸は別にして)。

 

で、このような指導は誰かが急に思いついたわけでなく代々引き継がれてきているものです。大袈裟に言えば人類の歴史を通じて世界中のいたるところで引き継がれたきたものと言えるでしょう。なので、指導方法の違いは当然あるにしろ本質的には身体の動きを伴った指導は強力な作用を人間に及ぼす「装置」として使われてきました。ここでいう「装置」とは社会に広く根付いた仕組みとも言い換えることができます。(実はここに書かれていることはフランスの哲学者ミシェル・フーコーの著書「監獄の誕生ー監視と処罰ー」の中で鋭く描き出されています。とても示唆に富む本なので興味ある方は是非ご一読をお勧めします)。

 

なので私たちが子供たちにサッカーを指導する場合も完全に自分独自の方法で行っているというより自分が子供だった時の指導者やその指導者の指導者から受け継いだものが知らず知らずのうちに自分の指導法の中に毛細血管のように広がった結果出来上がったものとも言えるのです。それは指導者という名でなくても学校の先生だったり自分の親だったり部活の先輩だったり、指導主体がその時々において姿形を変えて私たちのその後の言動や考えに大きく影響を及ぼしているのです。

 

何世紀、何代にもわたって引き継がれている、影響が及ぼされている・・・なんて大袈裟な話に聞こえるでしょう。まして「自分は旧態依然とした指導方法とは全く異なる最新のコーチングを理解して身に付けている」なんて方からすると「ナニ言ってんの?」の世界でしょう。妄想・・・でしょうか?そうかもしれません。でも最初に書いた「責任感がないんだよ!」のコーチの方の事象を思い出すにつけ、指導者個々の方々の違いはあるにしろ、やはり社会の大きな仕組みとしての指導方法は何十年も、いや

ひょっとしたら戦前からそう変わっていないのではと、これまた妄想してしまったわけです。

 

いきなりですけど1943年に出版された日本の教育心理学者による指導および指導者についての研究の本があり、そこには以下のようなことが書かれています。

 

●指導の根本原理は被指導者の絶対的服従の要求である。

●先の根本原理を成立させるための指導者資格とは(1)熾烈なる責任観念(2)鞏固なる意志(3)先見的明察の力(4)高慢なる徳性(5)被指導者に対する愛情

の五つである。

 

戦時下という特殊な状況で書かれたものとはいえ、なんか昨今のビジネス本に書かれていても違和感ないような内容ですね。いえいえ「絶対的服従の要求」なんて書いているノウハウ本なんて最近ないでしょう。でも一方で上記のような根本原理とは真逆なことが理想とされている現代にもかかわらず依然「絶対的服従の要求」に似た事象が見られるのはなぜなんでしょうか(ここ数年の学校や部活での指導における事件を思い出してみてください)?(で、一方で先週末U-15でご一緒した先生方は選手(生徒)に一方的な服従を求めているような方々ではありませんでした)

 

そうなんですよね、思うに指導という「装置」、つまり社会に広く根付いた仕組みは個人単位の啓蒙だけではそう簡単には変わらないのではないでしょうか?そのことは戦後の民主主義的な価値観からすると「悪」と捉えがちな戦前の指導法がすべて廃棄されたわけでなく私たちの中に(意識しようとしないとにかかわらず)脈々と受け継がれていることからも推測できるのではないでしょうか?最近教育史に興味のある筆者は、当時の指導法やなぜそのような指導法に至ったかを現代の価値観からだけで一刀両断するだけでなく(かといって過去の礼賛でもなく)客観的に冷静に分析することがとても大切だと思っています。なぜなら子供を指導する「装置」、つまり社会の仕組みはいったん根付くと容易には変えられないし、使い方を誤れば(なにが正しい使い方なのかは今回は触れませんけど)大きく社会を誤った方向へ導いてしまうからです。

 

筆者は個人単位の啓蒙だけでは抗しがたいこの指導という「装置」の巨大さを感じながらも、先に書いたサッカーインストラクターの方々のコーチングに、この「装置」を部分的に変えていくためのヒントがあるように思います。つまり個々のインストラクターの方々も拭い難い影響を子供時代に指導者から受けていながらも被指導者に「絶対的服従の要求」などしない合理的な(そして同時にヒューマンな)コーチングを身に付けられているという事実・・・これには勇気づけられるものがあります。つまりサッカーインストラクターという「装置」が個々の差を超えて機能しているという実例です。このような実例をもっともっといろいろな分野の指導者にも応用していけるのでないでしょうか?(しかし偉そうでごめんなさい・・・)

 

まあ、現実はそう簡単ではないでしょう。そもそもサッカーの指導者は資格がなくても出来てしまうわけですから、指導の仕組みを変えようにもなかなか組織的に行うことは難しいでしょう。

 

さて、冒頭に書いた私が目撃したコーチの「指導」に話を戻すと「責任感がないんだよ!」の言葉は実は彼女(選手)に向けられるべきものではなかったのではないでしょうか?

 

その言葉は本当はそれを口にしたコーチの方自身に向けられるべきものではないでしょうか?

 

それは次の様に自問すべきことだったのではないでしょうか?

 

つまり:

 

「自分は指導者として責任感をもっているのか?」

 

と。

 

ここまできて、言うのもなんですけど「責任感」ってなんでしょうか?

つまり指導者としての「責任感」とは?

 

それこそは指導者の方々が答えをお持ちのことだと思いますのでここにはあえて記しません。

 

さて今回の記事、日々色々とご苦労や悩みが絶えないコーチや監督の方には勝手な言い分に聞こえたことと思います。もし不快に思われたらお詫びいたします。ただ、それだけ皆さんへの期待は大きく重要なことを務められているということが私がここで言いたかったことです。

 

とまあこの辺にして、次回から出来れば改正された競技規則の解釈について切り込んでいければと思っております!

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

一挙再掲載! 「サッカー審判員の「無知」が選手の生命を危険にさらす(前編&後編)。」

 も~う、酷暑と言える1日でしたね今日は。

 

というわけで過去記事、再度掲載させていただきます。

 

 

サッカー審判員の「無知」が選手の生命を危険にさらす(前編)。

 

サッカー審判員の「無知」が選手の生命を危険にさらす(後編)。

 

熱中症予防、重症化回避には水分補給&正しい知識も必要ですけど、まずは十分な睡眠と栄養補給(食事)です。これすごく実感しています。

 

今週末の審判も万全の体調で臨みましょう!

 

では、I'll be back.

 

 

 

飲水タイムふたたび

さて前々回のこちらの記事(→ 飲水タイムで最も大切なこと )に対して審判ビギナーズさんからコメントを頂きましたのであらためてご紹介させていただきます(以下原文まま)。

 

「はじめまして、いつもブログ読ませて頂き勉強させてもらっています。
今回の飲水タイムの記事で気になる点があったのでコメントしました。
4種でも飲水タイムの空費された時間は各前後半の試合時間に追加して良いことになっています。ですので、飲水タイムの時は時計を止めます。また、アウトオブプレーの時にはタッチライン上での飲水は認められています。
地域によって違うのかも・・・・。
札幌も暑い季節になりましたので熱中症と落雷には注意していきたいです。」

 

で頂いたコメントに対しての私の返信も原文のまま。

 

「審判ビギナーズさん、いつもありがとうございます。こちらこそ勉強させてもらってます。ご指摘の通り飲水タイムをアディショナルタイムとすべきかランニングタイムとすべきかは競技会規則や大会要項によって決まりますね。どちらの場合にしても「空費」は最小限にするのがポイントだと思います。また給水タイムではなく3分間のブレイクを設けるなどの場合もあるでしょう。ちなみにこの場合はアディショナルタイムとはしない(表示追加時間としない)ということになろうかと思います。これは例えば試合中にゴールポストやネットに不具合が生じこの修繕に時間を費やした場合アディショナルではなく試合時間を完全に停止して再開されるというタイムマネジメントとするケースと同じわけですね。さてタッチライン上での飲水を4種でも実行されているとは素晴らしい。参考になります。今後もアドバイスよろしくお願いします!」

 

なんかコメント頂いたのに自分の非を認めずに偉そうな返信になっているような・・・(汗)。でその後、色々調べてみると上記で触れた「3分間のブレイク」つまりcooling breakクーリングブレイクの場合、その時間はアディショナルタイムに含める場合もあれば試合を中断させてアディショナルとは表示しない場合もあるということが分かりました。これも飲水タイムの取り扱いと同じく競技会規則や大会要項で確認し、試合前に大会運営本部と合意しておくことが必須ですね(ブレイクの場合時間の長さも要確認です!)。なんか自分の無知ぶりを(と同時に経験不足)さらけ出してしまいお恥ずかしい限りです。

 

いずれにしてもこれからの時期、審判員にとってますます重要なマネジメント項目なので試合前の確認は絶対にやりましょう(・・・まずは自分から・・・です。はい。)

 

それにしても今日も暑かったです。筆者は割と温暖な地域に住んでおりますけど、所用で今年は何回か審判ビギナーズさんがご活躍されている札幌を訪れております。で、勝手なイメージで札幌はとても寒い、もしくは何時も涼しい街という印象だったのですけど・・・必ずしもそうではないんですね。ちなみに今月も訪れる予定なので、どの程度の暑さなのか体感したいと思います。楽しみ・・・ただ筆者は飛行機が大の苦手なのでありますけど・・・。

 

では、I'll be back.

サッカー審判員は常に「当事者」であるべし!の巻。

この週末は久しぶりの実戦、それも初めて経験することが多々あった3種の公式戦でした。

 

この試合については色々と学ぶことが多く「まだまだ知らないことが沢山あるな~。」と思い知らされた次第です。豊富なネタ満載のこの試合についてはあらためて詳細に記事にしたいと思います。

 

さて、今回思ったことを。それは当たり前ですけど、審判員はやはりフィールド上の審判ぶりで評価されてナンボということです。私なんか偉そうに?記事を書き綴っていますけど、審判員としては未熟も未熟。というか、いくら審判について専門的な知識を持っていたり語れたりしても、審判員としての評価は試合においてどのように実行できたかどうか、の1点ということです。

 

これには1級も2級も3級も4級もないですね。4級の審判員の方が3級の人より2級の人よりある試合を上手くコントロールできた・・・というのはあり得る話です。逆に「俺の方が上級なんだから・・・」って姿勢で話されても、試合での審判ぶりが??な状況であれば・・・説得力ないですよね。

 

で、最近仕事においてもすでに「年寄」のカテゴリーに入っているであろう私が心に留めていることがあります。それは、ちょっと単純化し過ぎなんですけどある組織の中にいる人を「能力」と「経験」の掛け合わせで分類すると以下の四つのパターンに分かれるということです(ここでいう「能力」とは、自分で見たり聞いたり感じたり実行したりしながら関わってきた事象すべてを「経験」とした場合に、その人が今の時点で持っているあらゆる技術、精神力、思考力、体力、コミュニケーション力等の総体とお考えください。また求められる「能力」とは属する組織によって異なるので万能というものではありません)。

 

① 能力があって経験もある = 即戦力、主力

② 能力があって経験はない = 金の卵

③ 能力はなくて経験はある = 「害」をおよぼす人

④ 能力も経験もない    = 戦力外

 

①でありたいと思いつつ、審判員における私は鍛錬を怠ると④で終わってしまいます。で、日々の営みで同時に注意しているのが③にはならないようにすることです。実はこれはだれにでも起こり得る「落とし穴」ではないでしょうか?

 

ひとつ念のために書きますけど、決して「経験」を「能力」より下に見ているわけではないのです。「経験」を積むことは何事にも代えがたい貴重なものです。また「経験」を通じて能力は磨かれるはずです。ですので上記にある「能力がある」とは「能力を磨こうとしている=向上心」と読み替えて頂いて結構です。

 

逆に「能力がない」状態とは謙虚に自分を見つめなおして自分を磨こうとすることを忘れてしまっている状態ということなのです。

 

例えば周囲や「上」を批判したり論評しているうちに、実は自分が気づかぬうちに仲間や部下に悪影響を与えて組織停滞を招く足枷になっている・・・なんてサラリーマンの方でなくとも身に覚えがあるのではないでしょうか・・・。そう、この時点で「当事者」であることを忘れ、上から目線のまま謙虚さを失ったまま他人の批判には舌鋒鋭く、自己認識は鈍い・・・なんて「くわばらくわばら」ですね。

 

というわけで、やはり試合で自分を磨くしかないわけです。自分でリスクをとることだけが、そして「当事者」になることだけがサッカー審判員を審判員たらしめる最低要件だという気づきを得た私でした。

 

では、I'll be back.

 

 

飲水タイムで最も大切なこと

さて、今月も実戦から遠ざかっていますけど、次回の出動に向けて筋トレ、イメージトレーニングで過ごす毎日でございます。

 

というわけで、過去の書きかけネタから、まずは先月のU10リーグ戦であったこと。飲水タイムについてです。

 

その日、大会本部も兼任していた私は、監督と「飲水タイムどうしましょうか今日は?」と話しながら「それは主審の判断でよいのでは」との監督の返答に「まあ、そうなんだけど、決められるのかな~」なんて話をしておりました。

 

ちなみに「通達」では4種においてはWBGT(湿球黒球温度)25℃以上、乾球温度28℃以上、湿球温度21℃以上の環境下では飲水タイムを設けることが規定されています。仮に上記の測定値が得られない場合は主審の裁量によって決定するとなっています。

 

そう午前中の試合でまだ気温も完全に上昇しきっていない環境だったので主審の裁量によって決めるということは通達通りで我が監督が正しいといえば正しいのですけど、私にはある懸念がありました。

 

さて、主審担当の方に「飲水タイムどうしましょうか?」と尋ねると「まだ午前中だし無くてもいいのでは」と予想通りの?回答。そこで私はある意味強引に「そうですね、ただ今日はすでに気温も高くなっていますので私は設けた方がいいのではと思います」とお伝えしました。すると主審の方は「ではちょっと考えさせて下さい」とのこと。

 

私の頭の中には、「熱中症注意ラインは環境の絶対値だけが判断基準ではなく、環境に体が慣れているかどうかも判断に入れなければならない(つまり比較的低い気温や湿度でも熱中症は起こり得る)」との考えがありました。「通達」にも飲水タイムを設けるかどうかの決定は「安全を重視するという観点から判断することが重要」との一文がありますね。

 

さて両ベンチに飲水タイムを行うかどうか伝える必要がありますので主審の方に確認すると「飲水タイム設けます」とのこと。でそれを仰ったのに続いて「実は飲水タイムやったことないんですけど何時やればいいんですか・・・」とのお言葉がありました。その後、「ボールがアウトオブプレーで・・・」と一通りの手順をお伝えすると「時間は2,3分でいいんですよね?」との確認が主審の方からありました(どうも飲水タイムを設けることに消極的だなあ、と思ったら・・・知らなかったのですね・・・)。

 

そうです。ここです。今回のメインテーマ「飲水タイムで最も大切なこと」に対する答えがあります。そう、最も大切なことは:

 

「できるだけ速やかに試合を再開させる」

 

なのであります。

 

エッ?それって・・・目的と手段が逆転していない?

 

仰る通りでございます。でも、それでイイんです!

 

確かに選手の安全のために飲水タイムを設けているわけですから確実に選手が飲水できているかどうかが大切なわけですけど、特に4種の試合に限って言えばこの「速やかに試合を再開させる」ことのみに主審と副審が神経を集中させていいと断言いたします。

 

「2、3分」と主審の方が仰っていたのは、選手を休ませるもしくはクールダウンさせるためとの意図があった、もしくは飲水タイムへの「無知」(失礼!)から来るものだったと思われます。

 

しかし4種では多くの場合、飲水タイムはランニングタイム扱い、つまり「空費された時間」として試合時間に加算されることはありません。2,3分も使ったら・・・試合時間がなくなっちゃう・・・です。

 

もちろん選手がフィールドの外に出ないようにとか、勝手に選手が入れ代わっていないようにとか、飲水タイム時に交代が要請された場合の適切な手順とか、色々大切なことはあります。この辺の注意すべきことは色々な記事をご参考いただければと思いますし、あらためてご紹介できればと思います。

 

で、まず飲水タイムのマネジメントに慣れていない方はとにかく「速やかに」を念頭においてください。

 

さて、この日私が主審を担当した試合までを見るとベンチの方々も実に手際よく飲水を選手にさせていて速やかに試合が再開されていました。で、自分が担当した試合です。かなり一方的な試合になってしまい、やられっぱなし(二桁も得点された)のチームのコーチの一人の方がかなりエキサイトされてまして「お前らこのまま終わるんか!」と叱咤されてました。で、飲水タイムになっても・・・そのコーチの方が相変わらず吠えてます(苦笑)。

 

さて、実はこのような状況になることは予想出来ておりました。そこで私は、まず自分の担当である本部席左側のベンチ(つまり勝っているチーム側)の選手に「飲み終わった人から帰ってね~」と声掛けをします。で、A1の方の方を見ると打ち合わせはしておりましたけど、やはり「吠える」コーチの方を前に、どうしたものかと佇んでおります。そこで、私は駆け寄りながら「飲んだ人からドンドン戻ろう、戻ろう!」と声をかけました。

 

まず、審判団がチームとなって速やかな試合再開のためのベンチおよび選手マネジメントすることが大前提です。ただし実際に4種では審判員の方は帯同の場合がほとんどなので技術差や経験差があります。ので主審がリードしましょう。

 

で、この試合でのマネジメントポイントは2つ。

 

1)勝っている(この場合しかも大差)チームが遅れてもどらないようにさせる(=不公平感を最初から無くす)

 

2)ベンチ役員の心理状態と子供の心理の両方を念頭に最初から声掛けする(=とにかく先手「必勝」)。

 

まず1)は、もし勝っているチームが意図的に時間をかけて飲水していたら・・・それは絶対許されません。これは遅延行為ですよね。

 

で、2)です。今回の場合「叱咤」なので「指示」ではないかもしれませんけど、どちらも飲水タイムの行為としてはベンチがやってはならないことです。といっても選手の不甲斐なさにフラストレーションがたまっているベンチ役員と正面きっていきなり対峙するのも得策とはいえません。同時にベンチの声を全く無視するわけにもいきません。ので、毅然とした態度を示しながらここは選手とコーチを早く引き離すことにします。そのために間髪いれずベンチに近寄って「飲んだ人から戻ってね」の声掛けが重要ですね。それも全員ベンチ前を離れるまで、促し続けます(これはある意味ベンチ役員に対する間接的なマネジメントでもあります)。

 

幸い、他のコーチの方は冷静なので、この辺の雰囲気を読みながら余計な対峙はさけながら試合再開に向けて行動すべし、です。

 

 

さて私の方法が完璧な飲水タイムのマネジメント方法かどうかは別にして、とにかく「できるだけ速やかに試合を再開させるを旨にすべし」でこの夏試合に臨んで下さい。

 

まあ、いうまでもなく試合前の審判団の打ち合わせおよびベンチ役員とのコミュニケーションによる準備がなによりも「速やかな試合再開」のために大切なことは言うまでもありません。

 

あと蛇足ながら私は4種においても飲水タイムよりアウトオブプレー中に選手がライン上で好きな時に飲水できるほうがいいと思っております・・・課題は多々あるとは思いますけど。

 

では、I'll be back. 

 

 

 

落雷の季節再び - キックオフの前に

先週報道されていたように大気が不安定になっていたヨーロッパで落雷の事故が相次ぎました。

 

なかでもドイツ西部のホップシュテッテンの町のサッカー試合会場では大人3人が重傷、子供29人が予防処置のため病院に運ばれたのことです。

 

CNNによると地元警察の話で「試合を終わらせるため笛を吹いた審判が落雷の直撃を受けた」とのこと。主審を務めていたと思われるこの45歳の男性はヘリコプターで病院に搬送されたそうです。無事をお祈りするばかりで、とても他人事とは思えません。

 

この日サッカー場の上空は晴れていたとのことで、目に見える周辺の天候状況だけでは危険を察知できない雷の恐ろしさをあらためて物語っていると思います。

 

今後夏に向けて雷の季節となります。

 

気象庁のデータによると   対地放電(落雷)、雲放電ともに、放電数は1年の中で8月が最も多いそうで、実に12月~2月の約100倍ということです。特に夏の場合、知っておきたいのは落雷の多くみられる時間帯です。お昼過ぎから夕方に向かってピークとなっており、15時過ぎからは要注意ですね。もちろん他の時間帯でも同じ配慮が必要ではありますけど、特にこの時間帯で試合を担当する場合、念には念を入れて状況を見極めたほうがよいようです。

 

ちなみに私は「StrikeAlertストライクアラート」なる雷探知機(なんか以前よりずいぶん価格が高くなったような・・・)を使っています。精度にはバラつきがあるように思いますけど、いろいろな状況で使用してみて補助的な判断材料になればと思っております。

 

近年、大気が不安定な状態になることが増々多くなっています。さらに最近では落雷だけでなく竜巻も日本各地で危険要因となってきています。自然現象の発生を食い止めることは不可能でも、事故から事前に回避する行動をとることはできます。サッカー審判員としてこれからの季節、試合に臨む前に必要な準備をしておきたいものです。

 

落雷と審判員の役割についてはこちらの過去記事をどうぞ。→ 「 サッカーと落雷 - 審判員における決断力と「勇気」 

 

では、I'll be back.

「緊急覆面座談会」 Part1-サッカー審判員が本音で語る!?「2016/2017年競技規則の改正」

司会 「こんにちは皆さん。本日は『2016/2017年競技規則の改正について大いに語る』と題して急きょ、それぞれの現場で活躍されている5人の審判員の方々にお集まり頂きました。えー皆さんよろしくお願いします」

 

審判員一同 「よろしくお願いします!」

 

審判員Q 「えっーと、じゃあ最初に私から、えーお話しさせていただくとですね、まず協会からの通達にもあったように『三重罰』のケースがより限定されたってことが大きな改正点だと思うんですよね」

 

審判員R 「さ、さんじゅうばつ?ってなんですか??」

 

審判員Q 「あなたねぇー審判員やっててそんなことも知らないんですかぁ。ペナルティエリア内で決定的な得点や得点の機会の阻止をやった競技者が退場になって、相手チームにペナルティキックが与えられて、かつ退場になった競技者が次の試合に出場できなくなる、この3つの罰を『三重罰』っていうんですよ。わかりました?」

 

審判員R 「なるほど。そういうことなんですね。」

 

審判員T 「私なんかほとんど4種の試合を担当しているので「警告」や「退場」を次の試合にまで持ち越すことなんかほとんどないんですけどね・・・。そもそもペナルティエリア内でファウルしたら『決定的な得点や得点の機会を阻止』かどうかにかかわらずペナルティキックを与えられるわけですから、ペナルティキックが罰のひとつというのも、なんか変というか・・・」

 

審判員Q 「いいですか、とにかくこの『三重罰』になるケースとならないケースの見極めが大変になると思うんですよね。例えば『相手競技者を押さえる、引っ張る、または押すという反則』の場合は退場になるので『三重罰』なんだけど、そもそも押すって行為は手だけでなく背後から体使って押すこともあるけど、この場合チャージともとれるし、その上同時に守備側競技者の数と位置とかその他もろもろの状況を瞬時に判断しなければならないなんて正直大変ですよ」

 

審判員P「私はね、ちょっと違う意見なんですけど、そもそも今回の改正での一番のポイントは『第12条 ファウルと不正行為』にある『決定的な得点、または得点の機会の阻止』だと思うんですね。で、ペナルティエリア内で反則が起きた場合、その反則が不用意以上無謀以下のチャージとかタックルなら退場じゃなくて警告になるわけですよ。まあ、手が使われることを前提として抑える、引っ張る、押すのファウルに対してはより重い罰を与える意図で警告ではなく退場としたのでしょうけど、この見極め結構大変ですよ」

 

司会「・・・Qさんとほぼ同じ意見でしょうか。えーSさんは今回の改正についてはどう思われますか?」

 

審判員S「えーっとですね、改訂文全体に目を通してみて言えることは、いいところもある、わるいところもあるって印象ですね」

 

審判員Q 「いいですか、今回の改正は国際サッカー評議会の130年におよぶ歴史の中で最大の改正なんですよ。いいですか、その中で最大のポイントは『三重罰』にかかわる部分の改正なんですよ。ただでさえね、ペナルティエリア内でのファウルの判断は難しいのに『三重罰』になる場合とならない場合を見極めるわけなんですよ。これは現実大変ですよ」

 

審判員T「判定も大変そうなんですけど、4種の場合ベンチ役員の方も含めて今回の改正点を理解されているか、その辺が心配と言えば心配なんですよね・・」

 

審判員P「私はね、ちょっと違う意見なんですけど、今回の通達によるとペナルティエリア外での『決定的な得点の機会の阻止」の場合は今まで通り競技者は退場となるんですよね。これね、揉めそうですよ、ペナルティエリアの内か外か?、犯したファウルの種類は何か?、その時の状況は?を一瞬のうちに判断ですよ。揉めるポイント満載ですよ。」

 

司会「えーっとQさんと同じ懸念ですかね。Sさんはどうでしょうか?」

 

審判員S 「皆さんね改正、改正って仰ってますけどこれはね改訂なんですよ、ですからね、いいところもある、わるいところもあると思うんですね」

 

審判員R 「やっぱり、協会の研修に積極的に参加して改正点について理解した方が・・・」

 

審判員Q 「なに悠長なこと言ってるんですか、日本フットボールリーグの 6月18日の試合から新しい競技規則の適用開始日なわけですよ。もう『三重罰』の部分なんか絶対に理解してないとまずいわけ。わかります?絶対に揉めますよこれ。」

 

審判員R 「とはいえやはり上級審判員の方とかインストラクターの方に質問したり解説頂いたりすることが勝手な解釈をしたり誤解をしたりしない上で大切かと思うわけで・・・」

 

審判員 P 「 私はね、ちょっと違う意見なんですけど、フェアプレーを確保するためにと言いながら程度の差じゃなくてファウルの種類で警告だったり退場だったりと異なる処置になるってのは揉めそうですよ。」

 

審判員S 「ですからね、今回の改訂はすべて俯瞰してみると、いいところもある、わるいところもあるというのが偽らざる気持ちなんですね」

 

審判員T 「4種の場合ですと、少なからずな審判員の方々はそもそもホールディングのファウルをきっちりとれるかどうかってことからスタートしなきゃいけないレベルでもあるわけなので、そこに今回の改正が入ると・・・色々な課題が見えてきますね」

 

審判員R 「やはり協会の割り当てをしっかり受けて、試合の中で経験を積んでいくことが肝要かと・・・」

 

審判員Q 「何言ってんですか、まずは『三重罰』の例外の部分を運用していくことの難しさに気づかないと痛い目に遭いますよ!」

 

審判員S 「やはり結論としては今回の改訂は、いいところもある、わるいとこともある」

 

審判員P 「私はね、ちょっと違う意見なんですけど、やはり『決定手的な機会」の場合、警告や退場としたときにそれはファウルの種類のせいだったのかファウルをした選手のアプローチのせいだったのかファウルが起こった時の周りの状況のせいだったのか・・・揉めますよ」

 

審判員R 「まあ、まだ2016/2017年競技規則も送られてきてないので、それをまず見て、理解すれば不安もなくなると思いますけど・・・」

 

審判員Q 「あーっ!もう分かってないなあ!今回のは大改正でしかも多岐にわたるわけ。だからそんな余裕こいている場合ではない!ひとつのポイントだけ重視すればいいってことでもないわけですよ」

 

審判員S 「その多岐にわたる改訂ポイントには、いいところもある、わるいところもある」

 

審判員P 「私はね、ちょっと違う意見なんですけど、今回の改正には覚えなきゃいけないことが盛りだくさんなんですよ。まずはこれだけ重視するって語り方は間違ってますよ」

 

司会「・・・なんかQさんもPさんも最初に仰っていたことと違ってきているような・・・まあ、お二人とも同じご意見なんですよね。」

 

審判員S 「そう意見は同じでも、今回の競技規則改訂にはいいところもある、わるいところもある」

 

審判員T 「そうですね、最初の『決定的な機会』ももちろん大切ですけど、4種の場合わりと認知が高そうなキックオフ時におけるインプレーになる条件の変更には注目が集まっても、いろいろなケースでの再開方法を審判員が間違えても誰も気づかないなんて可能性がありそうで、得点に絡む場合には特に注意したいですよね」

 

審判員R 「ところで来年の更新筆記試験にはやはり改正競技規則からたくさん出題されるんですよね・・・すべて覚えないと・・・」

 

審判員一同 「あっ・・・・・」

 

Part2へと続く(構成:T-800)

 

では、I'll be back.