ターミネーター3級審判員の反省部屋

パブリックプレッシャーを感じながら今日も走る。サッカー3級審判員の"I'll be back!"な毎日

「経験と訓練」 君はハドソン川を目指せるか? 

先週末は試合が続き、今週は出張(しかも筆者が苦手の飛行機を使っての)の疲れもあり週末はお休みモード。

 

久しぶりに副審、副審、主審の3試合連続担当となり、いくらシニアの試合と言えど3試合目の直前には久しぶりに左の膝の外側に違和感(古傷の痛み)があり、脹脛(ふくらはぎ)が攣りそうになりました。それが証拠にこれまた久しぶりにインストラクターの方にご指導頂き、頂戴したコメントが「もうちょっと走りましょう」・・・。

 

恥ずかしながら仰せの通りです。「動き出しが遅い」とのお言葉には、自分も同感なのでなんの異論もございません。試合中に考えていたこと(=言い訳)は脹脛が気になってセーブモードになっていたことと、ボールが蹴られても意図通り前線の選手に繋がらず、またすぐに逆の方向に走る羽目になるだろう・・・との予想でこれまたセンターサークル付近で細かく動くセーブモードになっていたわけです。はい、これすべて言い訳でございます。主審としての基本が出来ていない。トホホな状態でした。

 

で、翌日はこれまた1種のリーグ戦での副審を担当。両チームグッとお若い方が揃っていたので、ちょっとスピード感が前日よりアップ。これまた色々反省点ありな試合でしたけど、オフサイドラインを形作っていた守備側選手と裏に抜けだす動きのFWの選手が競争となり横並びでトップスピードになったシーン、フラッグアップしませんでしたけどオフサイド(の反則)だったかも・・・です。というのもこの時サイドステップにこだわり過ぎてトップスピードの選手たちの並走に遅れてしまいラインから遅れた動きになったからです。・・・セーブモードアゲイン・・・反省。

 

「なかなか筋肉疲労が回復しなくて・・・」の言い訳には「年齢とは残酷なもので・・・」とのインストラクターの方のお言葉に慰められながらも落ち込み・・・。

 

でもこんな、「歳のせいで・・・」というのは結局出来ないこと(やりたくないこと)の言い訳に過ぎないことをあらためて思い知らされたのが昨日観た映画「SULLY」。そう、またまた素晴らしい作品を届けてくれた御大クリント・イーストウッド監督、86歳でございます。いやー無粋な邦題のようにこの御大の近年の多作ぶりとそのクオリティーの高さには思わず「奇跡!」と言いたくなるも、これはこの人にしてみれば必然であり、やりたいことやり続けている結果なんでしょうね。

 

思えば蓮實重彦センセイのお言葉を待つまでもなく、マグナムでバンバン人を撃っていた前からこの人は「凡庸な」映画作家ではなかった。いや「凡庸でない」映画作家にスポットライトが当たるなかこの御仁は世間からは「凡庸な」映画人として、いやそれどころかマグナムをバンバン撃つ脳みそ筋肉オジサン、もしくはわざわざ刑事(自分)と売春婦(本当の恋人)が乗ったバスが仲間の警察官からの一斉射撃でハチの巣になるシーンを撮りたいがために映画を作った俺マニアオジサンとしてしか世間は見てなかったような・・・。

 

そんな自分も世間がようやく映画作家としてこの人を認知した「ブロンコ・ビリー」を今から30年以上前に劇場で観た時、冒頭シーンの直後から2本立てだったせいかそのまま睡魔に襲われ鑑賞できず・・・の過去を持ちますです(さてさてもう一本の映画はなんだったのか…思い出せず)。御大、この「ブロンコ・ビリー」を監督、主演した時すでに50歳!。もう言い訳なんて・・・出来ません。

 

さてさて映画「SULLY」ですけど、御大得意の実話の再構築。でもこれだけ有名な事件(USエアウェイズ1549便のハドソン川への不時着)を映画にするのは本当に大変なこと。誤魔化せない、結末は皆知っているし・・・とこれ相当ハードル高しです。でもそこは巨匠、素晴らしいの一言です。いや~純粋に楽しめました。

 

さて、いつもの悪い?クセで審判目線でこの映画を解釈してしまうと、まずは印象に残ったのはトム・ハンクス演じる機長の「自分が感じたことと決断したこと」への揺るぎない自信でした。曰くもう一度同じ状況に遭遇しても同じ行動を採るとの揺るぎなさはプロ中のプロですな。「あの判定やっぱり・・・」「ああ、もうちょっと・・・」なんてやっている審判員の私とは比較するのもハズカシイ・・・。

 

「感じたこと」もすごく印象深く、ネタバレになるので詳細は省くとしてバードストライク(鳥の機体への衝突)によってエンジンが受けたダメージについてコンピュターによる解析とは異なる自分の感じ方を呟くシーン・・・分かります。「ファウルも感じるもの」って・・・レベルが違い過ぎるか・・・。

 

この映画は「コンピューターVS人間」とか「論理VS勘」のように捉えがちになるかもしれませんけど、実際に素晴らしいのはトム・ハンクス演じるサレンバーガー機長が危機的状況に置かれたコクピット内での冷静さそのままに、事故後の調査において論理性を失わずにコンピュターと異なる人間の行動特性をそして航空機の特性や客観的状況を説得力を持って周囲に伝えていく過程にあります。

 

この説得力はもちろん実話なのでサレンバーガー機長ご自身の卓越したプロフェッショナルリズムから来るのですけど、映画においてはトム・ハンクスの演技が可能にしたことでもあるでしょう。思えばこれまた30年以上前に見た「スプラッシュ」での演技で素晴らしい俳優になっていくんだろうな~と思った当時の若手コメディアンも今やアメリカを代表する名優です。巨匠(=イーストウッド翁)の映画に出なければ絶対に自分から進んでこの人の主演作など見ない自分にとっても、この人でしか持ちえなかった説得力だと断言できます(というふうに監督に導かれたのか)。共和党支持者の翁が民主党支持者のハンクスを最初からこの役に見据えていたことも・・・なんか納得。

 

さてさて、映画の素晴らしさは御覧いただくとして事故が起こったときに「前代未聞のトラブルながらなぜ冷静沈着に対応できたのか?」の問いかけにサレンバーガー機長は以下のように答えています。

 

「あのときの私たちが、不自然なほど落ち着いていたというのは誤解なんだ。たしかに無線の会話は冷静に聞こえるし、その内容も理路整然としている。しかし、そういう対応ができたのは、数十年もの経験と訓練があったからだ。」

 

「経験と訓練」・・・すべてに通じることですね。

 

蛇足ながらオートパイロット(自動操縦)では到底安全に空港に引き返すことはできませんですね。論理的に考えれば自明。あと邦題が・・・これでかなりの観客を失ってます・・・ような。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

 

「見えなかった事象にフラッグアップしない」の例外。

さて・・・改正競技規則のリサーチ&フィールドワークを行っておりますので暫しお待ちを(誰も待っていないか・・・)。

 

さてさて、ここのところ4種の試合より1種の試合の担当の方が多くなってきております。当然ながらスピード感も異なるわけですけど、何より審判に対する選手の「アピール力」が段違いに違います(苦笑)。

 

「ファウル!ファウル!」「オフサイドオフサイド!」「おぇええ!?」と枚挙に暇がないほど多種多様な「シグナル」が遅られてきます。ここは審判員としてもいつも以上に確信をもって判断(判定)しないとその「シグナル」に引きずられて判定基準の一貫性を欠いてしまう、なんてことに成りかねません。

 

と思いつつ副審として「やらかした」ケースを挙げると:

 

① 自分のサイド(A1)からは見えなかったゴール向こう側(ファーサイド)のゴールライン際のイン・アウトの判定で複数の選手が「出た!」と手を挙げたのでフラッグアップしてしまった。

 

② 自分の目の前(A2側)で守備側競技者が激しく相手競技者にチャージしてボールを奪った。攻撃側競技者がファウルアピールを熱烈に行った。私自身も直観的に「不用意な」コンタクトプレーと判断し主審の位置や視界を確認せずにフラッグアップしてしまった。主審はフラッグアップをキャンセル。

 

というような反省すべき点がありました。

 

①は絶対にやってはいけないこと。現在のボールの位置とラインの関係が見えてもないのに「ボールが出た」というシグナルを送ってはなりません。しかもアウトオブプレーになったというシグナルを一旦出したのにキャンセルするという二重失態なわけです。この時は主審が採用しなかったので(しかも選手からの異議もなかったので)事なきを得ました。「多分・・・だろう」でフラッグアップしてはならないという典型です。

 

②は主審を無視したファウルサポート。余計なお世話になわけです。正直、選手のアピール力に引きずられたことは否定できません。これまた絶対やってはいけない・・・。

 

この後、主審の位置と視界を確認してのファウルサポートがひとつ。この時は主審とアイコンタクトと確認シグナルを交換しながらファウル認定とあいなりました。

 

さて今回のテーマである「見えなかった」には二つの視座があることがお分かりいただけたと思います。つまり:

 

1)副審から見えなかった

2)主審から見えなかった。

 

というふたつです。

 

1)はとにかく「見えなかった」ら憶測(山勘)でフラッグアップしないということです。

 

2)は自分が副審なら主審が見えているのか見えてないのか判断です。で、自分が主審なら見えなかった・・・といって判断を見送るわけにはいきません。判定はマスト。ただし審判団が見たことから判定すべしということが大原則です

 

そう言えばその昔、ガンバ大阪の試合でのこと。ペナルティエリアの近くで主審の方がガンバのファウルをとったら遠藤選手が何回も何回も主審の人に抗議しているかのような姿が映し出されました。音声は聞こえないのですけど遠藤選手の口の動きを見ていると、このように言っているとしか思えませんでした。『見てないでしょ。見てないでしょ。』。フィールドを俯瞰的に把握できる遠藤選手からすればそのファウルが起こった時の主審の位置からでは事象が見えたはずがないと直感的に思ったのかもしれません。

 

閑話休題。さて1)の場合の例外がありますよね。一番よくあるケースはどちらの競技者が最後に触れたかわからない場合です。この場合はボールがタッチ(ゴール)ラインを割ったことは見えているので真っすぐフラッグアップして主審の判定を待ちます(もしくは「多分こちら」のシークレットサインの交換を試合前の打ち合わせに基づいて主審と行います)。

 

あっ~でもこれも例外ではないですね。つまり見えなった「どちらの競技者が最後に触れたのか」についてはフラッグアップ(=どちらのボールかのシグナル)しないわけですから。

 

でもやはり例外があります。そしてその例外こそ私が「やらかした」もうひとつのケースです。そう。このケースこそは「見えなかった」としてもフラッグアップしなければいけないのにフラッグアップしなっかた失敗なんですね。

 

それはオフサイドの反則のフラッグアップなんです。

 

その「やらかした」事象を再現してみると・・・

 

1)副審である自分の近くで攻撃守備が目まぐるしく入れ替わりながら最終ラインの上げ下げが行われていた。

2)守備側の最終ラインにいた選手がボールをキープし前方に蹴り出すも直後にボールは大きく跳ね返り最終ラインである守備側競技者の頭上をループ状に越えてその背後にいた攻撃側競技者(つまりはオフサイドポジションにいた選手)の足元へ。

3)守備側選手が「オフサイド!」とアピールするも私はフラッグアップせず最終ラインの真横に位置すべく移動。もちろん主審の笛も鳴らず。守備側ゴールキーパーの「笛がなるまで勝手に止まるな!」の声のもとプレーは続行。

 

という具合です。

 

で私がなぜこの事象においてフラッグアップしなかったというと、オフサイドポジションにいた攻撃側選手へ渡ったボールに最後に触れたのは攻撃側の味方選手ではなく守備側選手だったと判断したからです。つまり最終ラインを作っていた守備側選手の一人が前方に蹴ったボールは同じく前に走り始めた守備側選手に当たり跳ね返ったと判断したわけです・・・けどこれは私の憶測で実際には私は最後に誰がボールに触れたのかは見てなかったわけです。

 

つまり:

 

見えなかった事象=ボールの出どころ

 

だったわけです。

 

そう、この場合はたとえ「見えなかった」としてもフラッグアップして主審の判定を待つべきなんです。

 

逆を言えば主審は「出どころ」が見えてなければなりません。もちろん理想はボールの出どころもオフサイドラインと競技者の位置関係の両方とも副審が見ることです。でも目まぐるしくラインが動き、ボールの動きも早い場合、両方を視認することは難しい場合もあります。なのでボールの出どころ(=誰が最後に触れたか)が見えなくてもフラッグアップするのが基本です。

 

あと見えないケースとして出どころだけでなく、ボールが前方に出たタイミングも見えないことがままあります。この場合はご存知のように視認できなくとも聴覚(競技者がボールに触れた音)をフル活用してフラッグアップするかどうかを副審が判断しましょう。主審はボールの出どころを視認してフラッグアップを採用するのかキャンセルするのかの判断はできますけど、ボールが出たタイミングは常にオフサイドラインと競技者の位置関係とのセットで判断をしなければならないわけですから、これを見極めるのは(決定は主審でも)やはり副審の任務なわけです。

 

とういうわけで、オフサイドの反則を見極める時にはボールの出どころを勝手に判断してしまう(『見てない』のにフラッグアップをしない)ことのないように副審を担当する場合には注意が必要です。でも大事なことはできるだけフィールドに正対する、つまりサイドステップを駆使して監視するという繰り返し記事にしていることに尽きます。これだけでもずいぶん誤審(=間違ったシグナルを出す)になることは少なくなると思います。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

多数決による主審の決定

さて、次から次へと競技規則の改正点を記事に・・・と思いつつここでまた妄想してしまいました。例えば前々回とりあげた第5条に新しく追記された条文が、仮に以下のようになっていたとしたら・・・。

 

第5条 主審

 

2. 主審の決定

決定は、主審が競技規則および“サッカー競技の精神”に従ってその能力の最大を尽くし て下し、適切な措置をとるために競技規則の枠組の範囲で与えられた裁量権を有する主 審の見解に基づくものである。ただし状況によって主審は競技者も含む多数決によって決定を行うことができる。

 

(下線部、筆者妄想)

 

多数決で決めてたら試合時間も長くなり、プレーのスピード感もなくなり・・・別の競技になる・・・というか、審判がいる意味がなくなるのを承知で無駄な妄想(意味のある妄想とは?)をしてしまったわけです。しばし無駄なことにお付き合いを。

 

さて多数決とは何でしょうか?多数決ってよく民主主義を説明する(定義づける)時に出てきますよね。いわく多数決=民主主義のように。

 

これを検討するには民主主義とは何かを定義づけないとなりませんけど、そんなことは私にはできないので置いといて、多数決に話を絞ると:

 

多数決とは賛成、反対の数で物事を決める(ある選択肢を採用する)過程および仕組み

 

と面白味も発見もない説明になってしまいます。

 

実はここで考えたいのは多数決によって「正しい決定」が出来るのか?ということです。それにはまず「正しい決定」とは何なのかという問いに答えておく必要がありそうです。

 

例えばサッカーの場合では競技者同士の身体的接触があったある事象がファウルであるなら、「正しい決定」とはその事象を正当なコンタクトプレーではないと判断し、競技規則に基づいてその程度(不用意なのか、無謀なのか、過剰なのか)を試合全体を通じての一定の基準に置き換えて、懲戒罰の種類や再開方法や再開の権利をどちらのチームに与えるかを規則に基づき決めることです。これによってサッカー競技の魅力が最大限に引き出され、選手に大きな不満を起こさせずに試合は円滑に運営されるようになる、ということです(もちろん「決定」だけで達成できることではないのですけど)。

 

つまり「正しい決定」とはまず合理的である(=他のどの選択肢を採るよりももたらされる利益をが大きい)ということです。と同時に腹落ちする(=その選択肢を採ることに共感できる)ということでもあると思います。

 

「利益が大きい」などと書くと何やらお金が絡んだ経済合理性のお話しに限られるように思われるかしれませんけど、必ずしもそれだけではないですよね。抽象的な言い方ですけど、サッカー競技を観戦する楽しみがより大きくなるとか選手の安心・安全がより確保されるということも「利益が大きい」ということになると思います。

 

さてそれでは多数決という仕組みによって人は必ず「正しい(=合理的で腹落ちする)」選択肢を採用することが出来るのでしょうか?

 

よく言われるように賛成・反対の数だけ異なる個人がかかわって下した決定なんだから多くの角度から検討されただろうし、その検討の末だからより合理的な判断になっているはずだし、より多くの人の共感を得る結果になっているはずです・・・し、そうでないとも言えます。

 

これは言い換えれば、よ~く考えて考え抜けば、完璧とまではいかなくても、かなり合理的な判断になっているでしょうし、より多くの異なる意見に耳を傾けて審議を尽くせば全員は無理でもかなり多くの人の共感を呼ぶ選択肢になっている、一方で多くの人がかかわっていても考えぬいてなければ・・・異なる意見を無視して採った選択肢なら・・・「正しい」決定とはほど遠いものになる、ということです。

 

現実の世界を見ても分かるように多数決のすべてのケースで考えぬかれたと言えないばかりか、採決者が決を採ろうとしている案件に全く興味がないなんてこともあり得るわけですよね。また誤った知識や理解で賛成したり反対したりすることもあるわけです(イギリスのEU離脱残留かの国民投票のケースとか、そのようですよね)。

 

また人は常に自分の信念を貫けるほど強い存在でもありません。周りの雰囲気やプレッシャーで賛成か反対を決めることもあるでしょうし、一時の感情の高ぶりで非合理的な判断に陥ることもあるでしょう。

 

「つまり多数で決めた=正しい」と必ずしもならないことは上記からも自明で「数はそれだけでは正しいことの根拠にはならない」というこれまた当たり前のことを表しているに過ぎません。

 

では多数決は止めるべきかというと、現在の仕組みでこれ以外のよりよい決定プロセスは中々思い浮かびません。それは多数決が結果(=決めたこと)自体の合理性を担保している(考え抜かれた審議し尽されたという前提で)だけでなく、決定過程の合理性も担保しているからです。つまりより少ないコスト(=時間、お金、労力)とより少ない不公平感で物事を決定できるプロセスになり得るわけです。

 

ですから多数決は現状では:

 

常に正しい決定が行われるわけではないけど、正しい決定が行われる可能性がもっとも高い=完璧な仕組みではない。次善の策である

 

ということになります。

 

さてサッカーの試合中に主審が「決を採ります!」といって判定を多数決に委ねたら、まあ自チームに有利な判定を求めるのが常、11人VS11人の同数で最後は主審が1票を投じ決まるという流れに・・・ってイマトナニモカワラナイ・・・。

 

まあ、このような場面が訪れたときにすでに退場者を出しているチームはより不利な状況になり、主審の1票でも同数になる可能性も出てきて・・・では副審も多数決に参加してもらおうとなり・・・どうせなら主審と副審合わせて3人だけの多数決にしようかその方が簡単スピーディだし・・・よし競技規則改正だ・・・なんて無駄な妄想はどこまでも続く・・・。

 

というわけで主審は民意を代弁する代表民主主義を体現している・・・いやいや、ひとり裁判官とも言える・・・いやいやそれとも独裁者か・・・・なんて思いながら、いずれにしろ合理的かつ腹落ちする決定を下さなければならない責を負うていることだけは間違いないのです。つまり実社会においても中々体験することのできない決定することにおいての唯一人の当事者なんですね(一方で決定を行えるのは主審ひとりでもその決定に影響を与える「助言」を行える副審以下他の審判員の存在は大きいわけです)。

 

現実社会では決められないトップがいたり当事者がいない(なりたくないので皆逃げる)決定が存在しているのに、主審ってエライなぁ・・・なんて贔屓の引き倒しで本日の妄想は打ち切りでございます。

 

そもそもフェアに言えば、現実社会では何が合理的で腹落ちするか、つまり何が正しいかは視座や視点や視野が変われば一様ではないはずですけど、サッカーでは競技規則とサッカー競技の精神に反して決定することはできないのでブレようがないわけですね。

 

さて・・・もうそろそろ改正競技規則について書かなきゃ・・・です。

 

では、I'll be back.

 

 

 

 

 

 

 

ゴールかノーゴールか?サッカー主審、動体視力より大切なこと。

日本代表、負けた~。

 

FIFAワールドカップアジア最終予選の初戦。UAE代表の守備も崩せたようで総崩れにはならず。GKのエイサ選手のセーブも素晴らしかったですね。

 

今は、ちょっと脱力気味で、書きかけの記事を完成させる気力もなし(はい、言い訳です)。ちょっと混乱してクールダウンしきれていない頭のまま以下の過去記事へのリンクを並べておきます。

 

ちなみに、言わずもがな「得点(いわゆる『ゴール』)」とは以下のような状態のことです。

 

第10条


試合結果の決定

1. 得点

ゴールポストの間とクロスバーの下でボールの全体がゴールラインを越えたとき、ゴー ルにボールを入れたチームが競技規則の反則または違反を犯していなければ、1得点と なる。

 

 

動体視力か鷹の目か - 全豪オープンと7人の侍(前編)

動体視力か鷹の目か - 全豪オープンと7人の侍(中編)

動体視力か鷹の目か - 全豪オープンと7人の侍(後編)

 

選手でさえ確信を持てなかったゴールを判定する・・・。

「審判稼業はつらいよ」と今日もどこかで誰かが言ったとか、言わなかったとか・・・。

 

 

では、I'll be back.

 

サッカー競技の精神

競技規則の改正について書かなければと思いつつ日々過ぎてゆくばかり。

 

その他書きたいこと諸々ありますので、なんとか酷暑に負けず?書いていきますね。

 

さてその競技規則の改正。第1条から順番に取り上げていくにもまだまだ全てを理解出来ておらずどこから始めようかなと競技規則をパラパラとめくっておりましたら目についた一文がこれ。

 

第5条 主審

 

2. 主審の決定

決定は、主審が競技規則および“サッカー競技の精神”に従ってその能力の最大を尽くし て下し、適切な措置をとるために競技規則の枠組の範囲で与えられた裁量権を有する主 審の見解に基づくものである。

 

英文では:

 

Law 5  The Referee

2. Decisions of the referee

Decisions will be made to the best of the referee`s ability according to the Laws of the Game and the ‘spirit of the game’ and will be based on the opinion of the referee who has the discretion

 

となります。

 

この文章を完璧に説明することは難しいように思われます。それぞれの言葉の意味は理解できても肝心の「サッカー競技の精神」については定義が与えられてないからです。ちなみに競技規則に付記されている「すべての改正点の詳細」において「”サッカー競技の精神”のコンセプトは競技規則の中で表現されている」と説明されています。ウ~ン、コンセプトって・・・なに?(あとこの文章英文と照らし合わせてみると日本語訳にちょっと疑問ありです。)

 

というわけで、見事に何も解説できていない私でありますけど、この条文を取り上げたワケは競技規則の中において初めて「主審の決定は競技規則だけによって成されるものではない」ことが明文化された画期的なものだと思うからであります。

 

もちろん決定の根拠は常に競技規則に求められなければならないわけなんですけど、規則を自動的に適用するだけでは不十分というわけですよね。従来も「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」において「その精神」とか「コモンセンス」という言葉はあり、考え方そのものが変化したわけではないわけです。一方で競技規則と明確に分けてその存在が公に認められた「サッカー競技の精神」が競技規則に明記されたので競技規則になった・・・うーんクラインの壺的構造。

 

結局うまく説明できていない「サッカー競技の精神」についてはこちらの記事も再度お読みいただければ幸いです → 「 サッカーのファウルと反則と違反のちがいを説明できますか?(後編 まとめ) 」

 

他の競技はいざ知らず「ルールはそうだけど、それってずるいんじゃな~い」と思われる事象にどう、いや誰が、そして対処「すべし」と競技規則に明文化されているってサッカーという競技の財産なのではないでしょうか。

 

では、I'll be back.

「ハピネス イズ 『ザ』 ウオーム ミソ スープ」 酷暑での副審の学び

いや~今日も暑かったですね。まるで外は太陽系第三惑星の表面だとは思えないほどの高温でした。

 

先週末は2日間とも社会人の方々の試合にて副審の任務。危険なほどに高温多湿の中以下の三つの学び(?)がありました。

 

① やはり基本はそして究極的にもサイドステップ

繰り返し書いていることですけど副審の最重要任務と言えるオフサイドの反則の監視においてフィールドに正対していることのメリットは計り知れませんよね。特に微妙な選手の動きや位置を監視するには自分の両目の正面にオフサイドラインをおいて見続けることが欠かせません。しかし、サイドステップが常に維持できないのは選手の動くスピード(ボールの場合もある)がもはやサイドステップでは追尾することが不可能な速度になって並走する必要がでてくるから・・・という至極当然な理由。または前半はサイドステップでオフサイドラインをキープ出来ていたのに後半疲労によりそのスピードでのサイドステップが出来なくなった・・・つまり持久力の問題ですね。

 

で、週末の試合ではこんな状況がありました。

1)FWの選手の一人が全力疾走でドリブルしながらボールをゴールへ向かって運んでいる。

2)DFの選手二人が並走して追いかけている。

3)その二人のDFの間をもうひとりのFWの選手が全力で並走してパスをもらう機会をうかがっている。

 

この場合、副審は微妙に変化するオフサイドラインをキープしながら正確に各選手およびボールの位置を「記憶し直し」判定に備える必要があります。微妙に変化するオフサイドラインとは「二人目」の守備側選手が最終ラインになっていることもあれば、次の瞬間にはボールが最終ラインになっている場合もあるのでその変化に応じて選手の位置の記憶を書き換え続ける必要があるということです。なんせオフサイドの反則の見極めは過去の位置関係と今の瞬間の事象を正確に照らし合わせる作業なわけですから。なのでこの「記憶の書き換え」を正確に行う最も良い方法はサイドステップによる監視です・・・あれ?話が回っている・・・。

 

 似たような事象として昨日のリオ・オリンピックにおける日本代表VSコロンビア代表の試合での浅野選手とDF陣の競り合いの動きであったような・・・。浅野選手がトップギアに入ると国際副審の方でもサイドステップで追尾することは不可能です。でも上記のような微妙な位置関係、例えば並走している味方の攻撃側選手がオフサイドライン(並走しているDF選手またはドリブルされているボール)より前方に出て走っていた(すなわちオフサイドポジションであった)のにオンサイドと判断したり・・・このようなトップスピード時の並走中の判定ってほんと難しいです。

 

なのでサイドステップのスピードの限界に挑む必要があります。まずどの程度のスピードならサイドステップは維持できるのか・・・たとえトップスピードになってもどのカテゴリー(もしくは選手のレベル)なら自分のサイドステップ走力で追尾できるのか・・・今より一つ二つ上のスピードで移動し続けられるサイドステップ力を磨きましょう。で、それを試合全体を通じて維持できる持久力を養いましょう。

 

筆者の経験上、特にシニアと一般的に呼ばれる年齢層に達したサッカー審判員であれば日常的な下半身筋トレと柔軟性の向上(特に足首の多方向への動きと可動域の拡大)が欠かせないように思います。

 

② 飲水タイム時のベンチコントロール

またかよ!の飲水時の事象について。当然週末も飲水タイム必須の天候。で自分はA1としてアウエーチームの前半の飲水タイムでの監視をしようとしたら・・・あれ?飲水ボトルがベンチエリアの境界線沿いにでてまへん。と思っていたら選手が発した言葉が「ボトルとりに行きたいのでフィールドから出ていいですか?」。そしてベンチに一人いる選手兼コーチ?の方が「人がいないもんで(ボトルを出すことが出来ませんので悪しからず)」。私は心の中で『あなたがいるじゃないの~事前に用意しておいてよ~』。

でここで質問です。私がとった行動は次のどれでしょう?

A: 選手がフィールドの外へ出るのを認めずベンチに残っている一人に速やかにボトルを並べるように指示した。

B:選手がフィールドの外へ出ることを認めてベンチに残っている一人に飲水タイムに向けて用意しておくようにお願いした。

C:選手がフィールドの外へ出ることを認め速やかに飲水させて、前半が終わった時点で本部(4th該当の運営本部担当の方)に後半に向けてのアシストをお願いした。

 

まあ、すぐに答えを言ってしまうとCだったわけです。Cが最善の策かと言うとすでに、上記のような事象を招いてしまっている時点でアウトなんですよね。つまり飲水タイムをスムースに進めるために必要な協力的なベンチワークのお願いを試合開始前に行えてなかったのが「敗因」なわけです。

 

Aにしてしまうと原則は守れても(大会規定であった)「飲水タイムはランニングタイムとする」ことは守れない(=大幅に試合時間をロスしてしまう)ことになりますし、選手やベンチとの不要な軋轢も生みかねません。Bも結果Aと同じことになりかねません。で、次善の策としてのCなわけです。ただフィールドの外へ出ることを黙認することは一方のチームに不公平感を生みかねないので仕方ないので認めるという意志を明確に示す必要があると思います。・・・で学びはスムースな飲水タイム進行には試合前のベンチ役員との確認合意が欠かせないという基本の巻きでした。

 

③ 熱中症対策の切り札は和食のど真ん中の「アレ」!

 

そして週末の試合のクライマックスは気温がピークになるであろう時間帯での2試合連続の任務。社会人の方といっても、カテゴリー的には自分の体力を使い切ることなくこなせる自信はあったものの、そこは恐るべし熱中症の魔の手。

 

この日はマイドリンクを持参することなく自販機から水とか塩分の含まれるドリンクを選んで飲んでいたのですけど・・・うん、なんかちょっと体に力が入らないような・・・とまあ何とか試合は無事に終了したのですけど・・・筋力を残しながらもちょっと脱水気味なのであります。いや水分は体に補給されていたのでしょうけど、この時多分塩分を含むミネラルは試合前からウォームアップも含む発汗でかなり失われていたように思われます。

 

過去自分で熱中症に注意すべしの記事を書きながら・・・このざまです。やはり経験って重要です。そして、この経験から得たことは・・・。まずこの日は遅めの朝食を栄養バランスも考えしっかりとったつもりでした。というのは会場入りしてキックオフまでの食事はとらないつもりだったので・・・。これがよくなかった、やはり会場入りしても走るのに邪魔にならない程度には食事すべしです。

 

そうして自宅に戻り夕食時に「美味い!身体が求めていた味だ!う~ん、細胞から失われていたものが砂漠に染み入る水ように行き渡る感じ~」と感動しながら頂いたのがカミさんが用意してくれていた暖かい味噌汁なのであります。しかも猛暑の季節にはこれ以外にないのでは?と思わせる最高の食材がその味噌汁の具なのでありました。

 

その食材とはモロヘイヤ。筆者の大好物であります。実家では父親が趣味の野菜づくりでモロヘイヤを栽培していることもあり、茹でたものをサラダ代わりに食べたいだけ食べます。ネバネバが効きます。納豆と和えるとか、梅肉と和えるとか、もう最高の夏の食材ですね。

 

というわけで試合前にこそ温かな味噌汁で熱中症対策です。モロヘイヤ入りなら完璧。胃にもたれることなく、あなたをサポートしてくれるでしょう。ってモロヘイヤ協会(あるのかどうか?)の回し者ではあ~りません。

 

それにしてもその土地で食べ続けられた食はやはりその土地の気候風土にあったものになっているのですね。味噌汁万歳!

(追記:よくよく考えればモロヘイヤは北アフリカ原産の野菜。その食材を身体が欲しているということは・・・う~んそれだけ地球温暖化の影響で日本の気候が変わってしまっているということでしょうか・・・)

 

では、I'll be back.

 

 

「緊急覆面座談会」 Part2-「2016/2017年競技規則の改正」の裏のウラ

(控室にて)

 

審判員Q「しかし・・・今回の改正は確かに歴史的な事件だよ。」

 

審判員P「それは認める。確かにこんな改正は審判員になってから無かったのは事実。」

 

審判員R「そういえば、そろそろ新しい競技規則が協会から送られてきていいころなんですけどね」

 

審判員T「あれ?まだ届いてませんか。私のところにはもう来ましたよ。まあ、WEBで公開されていましたから、あらためて全部目を通してませんけど・・・。」

 

審判員S「多岐にわたる改正だから。」

 

審判員Q「そうそう、だから一遍に覚えようとしても無理・・・だから重要なところをまず押さえるべし。」

 

審判員R「重要なところっていうと・・・?」

 

審判員Q「まずはカードや得点が絡むようなところでしょうな。『三重罰』とかオフサイドの違反と罰則におけるいわゆる『オフサイドラインの変更するタイミング』なんかは競技規則の適用を誤ると重大な結果を招きますからな。まあ、極端な話キックオフ時の『ボールは、けられて前方に移動したときにインプレーとなる』が『ボールは、けられて明らかに動いたときにインプレーとなる』へ変更されたなんて規則適用仮に間違えても大勢に影響ないですから・・・。」

 

審判員P「うん?そりゃちがうでしょう。結果の重大性って仰りますけど、そもそも数試合に1回遭遇するかどうかの事象についての改正規則を先に覚えるより、出現頻度が圧倒的に高い改正ポイントを先に覚えた方が得策ですよ。キックオフ時に笛を吹きなおして『前に動かして』なんてやったら、一瞬でベンチや観客からも信頼を失いますよ」

 

審判員Q「いやいや結果の重大性を鑑みて優先順位をつけるなら・・・」

 

審判員P「いいえ。出現頻度ですって、優先順位は・・・」

 

審判員S「潔く、すべて覚えるべし」

 

審判員R「結果の重要性か?出現頻度か?難しいです・・・うん?例えばキックオフの時にボールを後ろに蹴って、後方の選手がそのままシュートしてゴールに入ったのにゴールに入る前に主審が間違ってやり直しの笛を吹いていたら・・・得点の機会を主審が奪ったことに・・・しかも出現頻度も高い場面・・・」

 

審判員Q「まあそれは・・・」

 

審判員P「その出現頻度はあまり高くない・・・」

 

審判員T「それって改正前でも同じことのような、つまりJリーグのキックオフのマネして4種なんかで後方にボールを蹴ってそのボールをシュートしたらゴールに入った・・・そのまま得点認めたら・・・揉めますよね」

 

審判員S「だから優先順位なんてつけずに潔くすべての改正規則を覚えるべし」

 

審判員R「そうですよね。やはり覚えるしかないですね。ところで皆さん競技規則の改正についてすべて理解できました?」

 

審判員Q「そりゃまあ・・・」

 

審判員P「だいたいね・・・」

 

審判員T「う~んなかなか一回読んだだけでは・・・」

 

審判員S「正確に理解することは一筋縄ではいかない」

 

司会「それではそろそろ本番2回目いきま~す。今回は『改正ポイントを分かりやすく解説』というテーマでお願いします!」

 

審判員一同「(緊張しながら)ちょ・・・ちょっとトイレへ・・・」

 

Part3へと続く(構成:T-800)

 

では、I'll be back.